32 死にたがり騎士の願い②

 ボリスの遺骸を連れて帰って経緯を報告したミハイルは、極刑を望んだ。

 だが国王はそれを許さず、「ボリスの死は、そなたのせいではない。甥の分も、そなたが生きろ」と言ったそうだ。


 確かに、ボリスはそういったことを望まない人物だった。

 だが――当時のミハイルは心身共に弱っており、しかも周りには口さがない者もいた。


『おまえは、カヴェーリン公の部下だろう。なぜ、公をお守りできなかった』

『なぜ、たかが平民上がりのおまえではなく、ボリス様が死ななければならなかった』

『王族の血を継ぐカヴェーリン公の代わりに、おまえが死ねばよかったのに』


 いくらしぶとくて強固な意志を持つミハイルでも、弱っていたところに心ない言葉を掛けられると、じわじわと傷ついていく。

 だが、確かに皆の言うとおりだ。


 なぜあのとき、自分はボリスから少し離れた場所に立っていたのか。

 なぜあのとき、自分とボリスの立ち位置が逆ではなかったのか。

 なぜあのとき――主君の後を追って死ななかったのか。


 ボリスは、ミハイルにとっての生きる意味で、戦う意味だった。


 主君をみすみす見殺しにした自分は、これからどうしていけばいいのか。生きていていいのか。

 騎士として生きるとしても、何のために戦えばいいのか。


 ――気が付けばミハイルは、我を失ったかのように戦いにのめり込んでいた。

 旧王国軍の残党がいると聞けば討伐部隊に参加し、誰よりも多く敵の首を刎ね、その遺骸を踏みにじった。


 何も考えたくない。何も恐れない。

 ただただ戦い、呼吸をするくらい自然に敵を討ち取る。


 いつしか自分は「首刎ね騎士」という、尊称なのか蔑称なのか分からない名で呼ばれるようになり、次々に戦果を挙げていった。

 だがどうしても、日々虚ろだった。


 王太子アドリアンは、悲しそうな目でミハイルを見る。王太子本人の希望で彼に剣の稽古をつけつつ――むごい人殺しが未来の国王陛下に剣を教えていいのだろうか、と何度も迷った。


 未だにミハイルのことを、「人殺し」「カヴェーリン公を見殺しにした、役立たず」と陰で言う者はいる。

 それらの言葉は呪詛のようにミハイルの体に染み渡り、心を拘束し、じわりじわりと黒く染めていく。


 自分は何のために、生きているのか。

 何のために戦い、戦績を残し、腐るほどの褒美をもらっているのだろうか。


 そしてもし戦いの中で死んだとして……自分に、何を生み出せるのか。

 誰に、何を残せるのか。


 誰か、自分に理由を与えてほしい。

 ボリスに勝る生きる意味、戦う意味が手に入らないのなら――せめて、自分が死ぬ意味を。


 そんな虚ろな日々を送るようになって一年。

 ミハイルは、エレンと再会した。


 当時のミハイルは酒に酔っており、久しぶりに再会したエレンを見て革命戦争時のことを思い出し――無性に寂しく、懐かしく、辛くなり、気付けばエレンを抱きしめていた。


 三年前、出会い頭に失礼な言葉をぶつけてしまったことも、小川の前で話をしたことも、全部覚えていた。

 それらは――まだボリスが生きていた頃の、輝かしい日々のうちのひとかけらだったからだ。


 だが自分の不注意で、自分とエレンの仲が噂されるようになった。たかが平民騎士の自分だけならともかく、王太子妃カミラの従姉であるエレンに不名誉を着せるわけにはいかない。


 そして……ミハイルは、気が付いた。


 自分は近い将来、戦場で死ぬ人間だ。

 それなら……エレンを、自分の「死ぬ理由」にすればいいのだと。











「……私を、ミーシャの死ぬ理由に?」


 思わずエレンは口を挟んでしまった。

 だがミハイルは静かに頷き、目を閉じる。


「……おまえと結婚した後で俺が戦死すれば、俺がこれまで築いてきた名誉や手に入れてきた金や勲章などは全て、妻であるおまえが相続できる。だから……俺が死んだとしても、その死は無駄ではなかったといえる理由になるんだ」

「……は。なに、それ」


 笑い飛ばしてやりたくなったが……ミハイルの眼差しは鋭く、彼が本気であると分かってエレンは唾を呑んだ。


「俺は、おまえと本当の夫婦になるつもりはさらさらなかった。おまえと床を共にすることなく、なおかつおまえとの仲は良好だったと皆に印象づけた上で、さっさと戦死する。おまえは新婚で夫を亡くした哀れな女性として皆に労られ、カミラ妃殿下もおまえを慰める。当然、子どもができることもない」

「……」


「……未来の王妃の従姉で、しかも多額の資産持ちの心身清らかな女となれば、再婚先はいくらでもある。カミラ妃殿下はおまえのことが大切だから、きっと俺よりずっといい相手を見繕ってくださる。おまえはその男に初めて愛され、ずっと幸せに暮らせる。……それが、俺の計画だった」

「……」

「……先日、聖堂でヴァレリーの妻に詰られたな」


 ミハイルは肩を落とし、目を伏せた。


「俺が駆けつけたとき、確かにまだヴァレリーには息があった。……駐屯地に連れて帰ったあいつは、俺があいつの取りこぼした連中を始末したと聞くと、『よかった』と言って、死んだ。……それを周りの者たちも聞いていたし、あいつの妻にも伝えた。だが……あのように、詰ってきた」

「……それじゃああんなの、ただの言いがかりじゃない!」

「そうかもしれない。だが、先日またしても詰られたとき――ああ、今がそのとき、俺が死ぬべきときなんだな、と思ったんだ。これでやっと楽になれる、と」

「……ミーシャ」


 ゆっくり、エレンは立ち上がった。

 何も言わないミハイルを見下ろし、エレンはゆっくり微笑んだ。


「あなたの言いたいことは、よーく分かったわ」

「……それは僥倖だ。それで、その右手は何だ?」

「ああ、これ? 今から、あなたを一発殴ろうかと思って」


 ひらひらさせていた右手をミハイルに見せると、彼は少し意外そうに目を丸くするが、「ほう」と言うだけで文句は口にしない。


 ……ミハイルの言いたいことは、分かった。

 だが、エレンにだって言い分はある。


「せめて、殴る場所だけは選ばせてあげる。……どこがいい?」

「では、左頬で」


 よりによって、エレンにとっては殴りやすくてミハイルにとっては最もダメージが大きい場所を選ぶとは。


 エレンは、片肘を突いて身を起こしたミハイルに微笑みかけ――


「……自分の都合で、人を勝手に未亡人にするな!!」


 怒鳴り声と共に閃いたエレンの右手が、凄まじい音を立ててミハイルの左頬を張り飛ばした。

 負傷していない硬い部位だったら拳にするつもりのところを、頬なので平手打ちにしておいたのだが。


(痛い! 殴った方が痛いって、本当だった……)


 じんじん痺れる手をひらひらさせていると、ミハイルはしばし黙った後、熱を持つのだろう左頬にそっと触れた。


「……なかなか痛かった」

「うん、私も痛かった」

「……だがそれだけ、おまえは怒ったのだろう」

「ええ、怒ったわ。すごく、怒った」


 まだ痛む右手の平を左手で揉みながらエレンは言い、敷布の上に腰を下ろした。

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