31 死にたがり騎士の願い①
窓から差し込む朝日に顔を刺激され、エレンはゆっくりまぶたを開いた。
今朝は、雪が止んでいるようだ。だが朝日が雪によって反射されていて、ものすごく眩しい。雪焼け、というのは聞いたことがあるが、これは確かに日焼けのようになってしまいそうだ。
エレンは体を起こし――変な姿勢で寝たため、ギシギシ痛む関節に軽くうめいた。昨夜はミハイルの治療の後、彼の足元で伏せて寝たので仕方がない。
(……そ、そうだ! ミハイルは……)
慌ててミハイルの様子を確認する。
軟膏を塗った患部は、腐った果実のような色になっている。タオルで余分な軟膏を拭い、貼り付いていた包帯もそっと剥がしていく。
かさぶたの部分で少し引っかかったのでひやっとしたが、軟膏のおかげかかさぶたを剥がすことなく包帯は外れた。生々しい傷の上に新しい肉が盛り上がって見えているのが分かって、ひとまず安心できた。
ミハイルは、まだ眠っているようだ。眉根を寄せた険しい寝顔だが、呼吸は整っている。
エレンはきれいなタオルで彼の体の汗を拭い、口元の血の塊なども取ってやった。
「……ミーシャ」
死にたい、死なせてくれ、と訴えていたミハイル。
彼の額に掛かる前髪をそっと指で払い、ほんのり冷たい頬を撫でる。
そうして一旦彼に背を向け、エレンは新しい軟膏を作り始めた。
……一応仮眠は取れたが、かなり腹が減っている。
だがミハイルが目覚めたらまず新しい薬を飲ませ、軟膏も塗り直した方がいい。村人たちはミハイルのことを心配していたようだから、頼めば朝食も用意してくれるかもしれない。
「……なぜ、俺を、助けた」
いきなり掠れた声が背後から聞こえてきたため、エレンは乳棒を取り落とすかと思った。
弾かれたように振り返った先では、頭をこちらに向けてエレンを見つめるミハイルが。
彼の口調は、怒っているわけではなさそうだ。
ただただ純粋に、「なぜ自分を助けたのか」の理由を問うてくる。
「……それを知りたいのなら、まず私の問いに答えて。……どうしてあなたは、あんなに死にたがっていたの」
「……」
エレンが冷静に問うと、ミハイルは目を伏せた。その睫毛に汚れが付いているのに気付いたので指で摘んで取ってやると、彼は力なく笑った。
「……質問を質問で返すのは、美しくないことだな」
「今この場で美しさなんて追求したって何にもならないじゃない。……それとも、私には言えない?」
「言わなかったら、どうする?」
「どうしても言いたくないのなら、それでいい。でも私は王太子殿下や国王陛下の許可を取った上でここに来たからね。あなたが何と言おうとぶん殴ってでも王都に連れて帰って、陛下の御前で洗いざらい吐いてもらうわ」
「……ふ。俺の妻は、そういう人間だったな」
ミハイルが笑ったところで、小屋のドアが控えめにノックされる音が聞こえた。
振り返ると、大きな布袋を抱えたイーゴリがそこに立っていた。
「おはようございます、ミハイル様、奥様。……よかった、無事に回復なさったのですね」
「ええ、おかげさまで」
「……イーゴリ、おまえがエレンを連れてきたのか」
「はい、お叱りなら王都に帰ってから聞きます。……積もる話もあるでしょうが、まずはお二人とも体調を整えてください。奥様の朝食は、村人が用意しておりますよ」
「あ、ありがとう。でも、ミハイルは……」
「ミハイル様のことは、私がします」
服もお召しになっていませんからね、とイーゴリが言うので、はっとしてエレンは振り返った。
……確かに、ミハイルは胸に包帯を巻いているだけで、上も下も何も着ていないようだ。
昨夜は色々と必死だったし毛布を下げたのもへそまでだったので何とも思わなかったが、全裸の男性の隣で突っ伏して寝ていたのだと気付くと、エレンの頬がかあっと熱を持ち始めた。
「え、えっと……分かりました。すみませんが、お願いします」
「はい、お任せください」
村人が作ってくれた温かい朝食を食べ、かじかみ痺れていた手足を癒すために温かい風呂に入らせてもらい、質素だが清潔な服にも着替えさせてもらった。
至れり尽くせりでエレンは遠慮したのだが、「騎士様たちに村を助けていただいたお礼です」と言い返された。どうやら騎士団は今回、この近辺でたむろする盗賊集団を倒すために派遣されていたそうだ。
案の定尻は擦り剥いていて真っ赤になっていたし、体中のあちこちが悲鳴を上げていた。エレンはしっかり体を休めた上で、ミハイルの休む小屋に向かった。
そこはイーゴリのおかげで掃除されていて、きれいになったベッドに横たわるミハイルも体を拭かれて清潔な服を着せられており、むっつりとした態度でエレンを迎えた。
去り際にイーゴリがまた魔法の炎を灯してくれていたようで、小屋の中は温かい。
敷布の上に座り、エレンはミハイルを見上げた。
「それで……教えてくれるの? あなたが無茶をしていた理由」
エレンが問うと、ミハイルはしばし黙っていた。
だがふっと視線を逸らし、観念したようにため息を吐き出した。
「……おまえにとって、気持ちのいい話ではないだろう」
「あ、それじゃあミーシャがいいと思う範囲でよろしく」
「おまえ……いや、まあいい」
ミハイルは、エレンの前に完全に白旗を揚げたようだ。
彼が寝返りを打ちたがっているようなので手を貸して楽な姿勢にしてやり、大きく息をついたミハイルの話を、エレンは静かに聞いた。
――エンフィールド王位継承革命を終えてリュドミラに帰還したミハイルは、カヴェーリン公・ボリスの腹心として活躍したことによる褒美を与えられた。
それは、平民からの叩き上げである彼からすると身に余る――余りすぎて困るほどのもので、用途に困った彼は主君に相談した。
だがボリスは笑い、困り顔のミハイルの背中を気さくに叩いた。
『なに、そんな悩まなくていい。これは君が得た勲章だ。これから先の人生で、君が使いたいと思うときに使い、継がせたいと思う人に継がせればいいよ』
そういうものなのだろうか、と思いつつ、結局ミハイルは小さめの屋敷だけもらい、後は貯金することにした。元々彼は倹約家だったし、家族は既に亡くなっていて継がせる相手もいなかったからだ。
国王からはたびたび縁談を勧められたが、ボリスの部下として戦えることに生き甲斐を感じていたミハイルは、どの話も丁重に断った。
結婚なんてすれば、自由がなくなる。「危険だから戦わないで」なんて言われた日には、ミハイルは妻と離縁するかもしれないからだ。
そうして二年経った、国境沿いのある山岳地帯にて。
旧エンフィールド王国軍の残党がリュドミラに逆恨みして小さな村を襲っているらしい、と聞いたボリスは騎士団を編成し、討伐に乗り込んだ。もちろんそこには、切り込み隊長としてミハイルも選ばれた。
まともな武器も闘志も持たない残党を蹴散らすのはあっという間のことで、これでこのあたりもしばらくは平和だろう、とボリスは微笑んだ。
――その一瞬の油断が、命取りとなった。
木陰に隠れていた残党が放った矢が、ミハイルの目の前でボリスの喉を貫通した。
周りに回復魔法を使える騎士がおらず、ミハイルは主君を背負って必死に駐屯地に戻ったが――手遅れだった。
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