24 夫婦でお出かけ①

「遠乗りに行かないか」とミハイルに誘われたのは、冬が近づきつつある日のことだった。


 屋敷にも多めに薪を準備していて、日中でも暖炉の火を燃やしている。

 そんな暖炉の前で丸くなっていたエレンは、夫の言葉に目を丸くした。


「それってつまり、お出かけってこと?」

「ああ。……もう一ヶ月もしたら雪が降り始め、あっという間に町が白く染められる。そうなると雪に慣れた俺たちならともかく、おまえは外出するのも困難になるはずだ」

「そうなのね。……今頃エンフィールドはまだ紅葉が美しい季節なのに、こんなに環境が違うんだ……」


 エレンがぽつんと言うと、ミハイルは少し難しい顔をしてエレンの隣のクッションに腰を下ろす。

 フェドーシャが寄ってきて、ホットミルク入りのカップを差し出してきた。エレンのカップには蜂蜜が、ミハイルのカップには香辛料が入っているので、水面の色を見ただけでどちら用か分かる。


「ミーシャ、どうぞ」

「ありがとう。……それで、どうする? 春になるまでは遠出ができなくなるし、今のうちに近郊にでも出かけてみないか」

「そうね……」


 相槌を打ちつつエレンがまず考えるのは、それぞれの仕事のこと。


(カミラ様には、事前にお薬を渡しておけば問題ないな。でも、ミハイルは……)


「……あなたは、いいの? 仕事があるんじゃないの?」

「あるにはあるが、事前に予定を知らせておけばどうにでもなる。それに、何日も掛かるような路程ではない。朝に屋敷を出て外で昼食を食べ、その後帰宅するくらいなら問題ないだろう」


 ミハイルがそう言うのなら、エレンとしては文句はない。


(それに……一緒に出かけるのは、これが初めてになるし)


「分かった。それじゃあ、予定を合わせて出かけましょうか」

「……自分で言っておいてなんだが、おまえは本当にいいのか?」

「何が?」

「……俺と出かけることが」


 ホットミルクのカップを持ったまま、ミハイルは俯いている。


 エレンは蜂蜜入りの甘いミルクを一口啜った後――ぴこん、と人差し指でミハイルの額を弾いた。


「って」

「本当に、自分で言っておいてなに、って状態ね」


 じとっと見てきたミハイルに笑みを返し、深い皺を刻む彼の眉間をそっと指先で撫でる。


「私、あなたと一緒に出かけられて嬉しいよ? それなのにそんなに後ろ向きなことを言われたら、悲しくなるじゃないの」

「……いや、そういうつもりでは。だが……うん、確かに配慮が足らない発言だったな」


 ミハイルは存外素直に言い、辛めに味付けされたミルクを啜った。


「……考えてみれば、毎日仕事でおまえに楽しい思いをさせられていなかった。……王都の外に、小さな川があるんだ。冬になるとすぐに凍ってその上でスケートをすることもできるし、暖かい時季なら水浴びもできる場所だ。そこに行こうか」

「いいね。……小川、ね」


 ひょっとして。


(三年前、革命戦争の駐屯地の小川付近でおしゃべりしたこと……覚えているのかな?)


 じっとミハイルを見ると、視線を逸らされた。


「……昔、言ったよな。おまえがリュドミラに来ることがあれば、歓迎すると」

「えっ……」

「当時のおまえは、リュドミラの風景に興味を持っているようだった。……三年前の約束を、果たしたいんだ」


 そっぽを向いたままのミハイルに言われるが、エレンの胸はじわじわと温かくなっていく。


 ミハイルが、ちゃんとあのときの会話を覚えてくれていた。

 それだけでなく、たわいもない話の一環だっただろうその「約束」を、叶えようとしてくれている。


「……ありがとう。嬉しいよ、ミーシャ」

「……別に、川があるだけで他には何もないがな」

「風景を見るだけでも楽しいと思うから、全然気にしないよ。……あ、そうだ。せっかくだからその日、私がお昼ご飯を作ろうか? これでも、最低限の料理はできるから」

「……そうだな。期待している」


 そう言うミハイルは相変わらず明後日の方向を向いているが、ほんのわずか見える彼の口元が優しく緩められていることに、エレンは気付いた。












 遠乗りの約束をした数日後。

 幸運にもエレンもミハイルも一日の休みを取れる日が重なり、思ったよりも早く出かけられることになった。


「……よし、こんなものかな」


 お出かけの日の朝、エレンは厨房に立っていた。

 今朝は早起きをして、エレンは使用人やフェドーシャの協力のもと、昼食を作っていたのだ。


 馬に乗って出かけるので、多少籠が揺れても構わないメニューにしなければならない。

 そこで、パンに肉や野菜を挟んだものを主食とし、甘辛いタレに漬けた豚肉を焼いた。他にも細い鉄の串にゆで卵、蒸し芋、野菜のピクルスを刺し、屋外でも食べやすいようにしている。


 飲み物として淹れた茶にはほんの少しだけ、液体状の魔法薬を入れている。疲労回復効果のある薬なので、乗馬で疲れた体も休められるはずだ。


「奥様お手製のお弁当だなんて……旦那様は幸せ者ですね」

「大げさよ、フェーニャ。みんなが作ってくれる料理に比べたら、歪(いびつ)なものだし」

「何をおっしゃいますか! 奥様が心を込めて作られたお弁当を、旦那様が喜ばないわけないでしょう!」


 フェドーシャに続いて使用人の女性も言い、そうだそうだとフェドーシャも熱心に首を縦に振る。


「私が同行できないのは残念ですが……よい報告をお待ちしております!」

「ええ。二人とも、本当にありがとう。いいお出かけにしてくるからね」


 エレンは言い、弁当の入ったバスケットを一旦使用人に託してから仕度をしに、フェドーシャと一緒に急いで自室に上がった。


 今日のための一着は、フェドーシャと相談して購入した。乗馬するのでスカートの丈は短めで、布もあまりひらひらしない素材にしてもらった。


 エレンの目と同じ濃い紫色のスカートの裾と同色のジャケットの胸元には白いレースを飾っており、のど元から覗くブラウスのフリル部分が可愛らしい。


(うーん……服に着せられている感じもしなくもないけれど……まあ、いいかな)


 髪はフェドーシャがまとめ、羽根飾り付きの小さな帽子はヘアピンで髪に留める。顔にも薄く化粧を施し、乗馬用のブーツを履いたら準備完了だ。


 着替えや化粧にメイドの手を借りるエレンと違い、男性でありしかもそれほど身だしなみに頓着しないミハイルはさっさと一人で着替え、先にリビングで待っていた。


「お待たせ、ミハイル。遅くなってごめんなさい」


 エレンが呼びかけると、ソファに座っていたミハイルが振り返った。


 彼はエレンのように特別な服を着ているわけではなく、普段着であるシャツとズボンの上にコートを一枚羽織っただけだった。

 だが装飾の少ない黒のコートを纏うミハイルの姿は洗練されており、けだるげに脚を組む姿からはそこはかとなく色気が感じられる。


 ミハイルはエレンを見、顔をしかめるように赤茶色の目を細めた。

 そんな眼差しで見られたエレンはどこか不都合でもあるのかと自分の姿を見下ろすが、フェドーシャの咳払いでミハイルははっとしたようにまばたきし、おずおず口を開いた。


「っと……悪い。不躾に見ていた」

「ううん、気にしないで。……それより、変なところでもある? この服、似合わない?」

「いや、似合っている……と、思う。俺は服のことは詳しくないが……その色は、おまえの目と同じ色だな。落ち着いていて、なんだかいいと思う」


 ぼそぼそと言う様から、彼が女性の服を褒めることに慣れていないのがよく分かる。そもそも普段から彼はエレンを見ても、あまり服装であれこれ言わない。


 そんな彼が発した「なんだかいいと思う」は、エレンにとっては十分すぎる褒め言葉だった。

 思わずだらしなく頬を緩めたからか、「変な顔だぞ」とミハイルは苦笑して立ち上がった。

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