23 王太子と魔法薬師

 アドリアンは、リュドミラ王国の王太子である。


 数ヶ月前に彼は、エンフィールド王国王女・カミラを妃に迎えることになった。「革命女王」の娘ということだが、本人は生まれて十二年は地方で暮らしており、母の即位に伴って王女となった。


 確かに、血筋としてはエンフィールド王家の者と言っていい。

 だが、人生の大半を田舎で暮らした彼女がはたして、王女としてふさわしいのだろうか、と疑っていた。


 父の命令により、カミラが妃としてやってきた。

 そして、いざ将来の妃と対面したアドリアンは――約三秒で、恋に落ちた。


 リュドミラでは珍しい赤茶色の巻き毛に、ぱっちりとした灰色の目。リュドミラの貴族令嬢よりは肌は焼けているが、かえってその健康的な美が新鮮で、一つ年上の妃にアドリアンはすっかり恋をしてしまった。


 とはいえ、今の自分は未成年の十四歳。実際に夫婦となって枕を交わすことが許されるまで二年必要だった。

 そこで彼は二年間で、カミラにふさわしい夫になるべく努力しようと心に誓った。敬愛する従兄・ボリスを亡くしてからは勉強のやる気が失せていた彼だが、恋とは凄まじいものである。


 勉学はもちろん、剣術だって身につけなければならない。

 恥ずかしいことに、今のアドリアンとカミラが並べば、若干カミラの方が背が高い。おまけにカミラはヒールのある靴を履き、髪も高く結うのでさらに身長差が生まれる。


 心身共に鍛えて立派な大人の男になり、カミラに愛してもらえるような王太子になるというのが、アドリアンの現在の目標である。


 そのためには常に高みを目指すべく、指標となるものを据えるのがよい、と家庭教師からも教わっている。

 そこで彼が剣術における指標にしたのが、従兄の部下だったミハイル・グストフであった。


 彼は平民出身だが確かな実力を持っており、アドリアンも彼に憧れていた。

 一年前にボリスが戦死してからはそれまでの明るさが嘘のように表情が死に、血みどろの戦いに身を投じるようになったことは、アドリアンとしても痛ましく思う。だが、昔よりは物静かになったとはいえミハイルはアドリアンにとって素晴らしい剣術の師範だ。


 願わくば、昔のように明るく笑うようになってほしい。


 ……そんなミハイルが、まさかの恋愛結婚をした。

 しかもあろうことか、相手はアドリアンの妃・カミラの従姉である。


 彼らは三年前のエンフィールド王位継承革命時代からの仲らしいが、そんな間柄の女性がいたとは知らないアドリアンは驚いた。とはいえ、身近に既婚者がいるというのは非常に心強いことだ。


 今後のため、ミハイルから夫婦のあれこれを教わろう。

 そう思ったのがなかなかどうして、ミハイルは妻のことを語ろうとしない。


「どんな女性か」と聞いても、「おっちょこちょいで気が強く、猛獣のように手に負えません」とろくな返事をしないし、「美人なのか」と聞いても、「俺にはよく分かりません」としか言わない。


 ……本当にこの男は、妻と恋愛結婚したのだろうか?


 そんなことさえ考えていたアドリアンだが、雨の中やって来たグストフ夫人とミハイルのやり取りを見ていて、合点がいった。

 こいつは、不器用なだけなのだと。


「……それを殿下がおっしゃいますか」


 ため息をついたのは、アドリアンの侍医でもある医師長だった。

 彼の向こうで薬を調合している若い男性魔法薬師は苦笑し、その補助をしているグストフ夫人・エレンは俯いていた。


「は? なぜ、私が言ってはならないのだ?」

「殿下と妃殿下の仲については、我々のもとまで情報が来ておりますからね。なんでも、カミラ妃殿下が愛おしいのに素直になれず、ついつい素っ気ない言葉掛けをしてしまうとか……」

「う、わ、あああ! お、おい、グストフ夫人の前でそれを言うか!?」


 アドリアンは慌てた。

 ここにいるのが医師長や男性魔法薬師だけだったならともかく、グストフ夫人はカミラの従姉で、専属魔法薬師だ。


 だがそれまで恥ずかしそうに俯いていたグストフ夫人は顔を上げ、何か言いたげにこちらを見ている。

 だからアドリアンは観念し、医師長に傷口を治療されながらヤケになって言った。


「……まったく。ああ、そうだとも! 私はカミラの前では素直になれない、お子様だ! それをどうにかしようと努力はしているからな。……なんだ、グストフ夫人」


 ほぼやけくそだったのだが、明らかにグストフ夫人の顔に安堵の色が広がったので聞いた。彼女は少しびくっとしたが、重ねてアドリアンが意見を問うと、やがて観念したように口を開いた。


「……僭越ながら申し上げます。実は主君カミラ妃殿下が、王太子殿下のことでご相談をなさっておりまして」

「な、何だと!? カミラは私について、何と!? ま、まさか私に愛想を尽かしたとでも言うのか!?」


 そうなれば、もうアドリアンは立ち直れない。このまま訓練場に飛び出て、泥の中に頭を突っ込んでしまいたくなる。


 だがグストフ夫人は首を横に振り、静かに言った。


「……妃殿下は、殿下ともっと仲がよくなりたいとお思いなのです。妃殿下は……殿下の素直なお気持ちを聞きたいそうです」

「私の……?」

「はい。嬉しいときには嬉しい、楽しいときには楽しいと、それだけでもおっしゃってくだされば……きっとカミラ妃殿下は、お喜びになるでしょう」

「……」

「出過ぎたことを申しましたこと、お詫びします」

「いや、いい。……むしろ、言ってくれて助かった。感謝する、グストフ夫人」


 アドリアンは穏やかな声でグストフ夫人に礼を言い、そうか、とため息をつく。


 まず自分がするべきなのは、カミラと向き合い、素直な言葉を贈ることなのだ。

 本当に、あの無愛想な「首刎ね騎士」も少しは妻を見習えばよいのに、と思ってしまう。


「私も以後、気を付けよう。だが……少し、緊張するな。カミラに素直な気持ちを言うのが嫌というわけではなくて、どうも気恥ずかしくて……」

「あっ、でしたら少し気持ちを大きくする薬を処方しましょうか」


 そう提案するのは、化膿止めの軟膏を仕上げたばかりの男性魔法薬師。


「もちろん、まずい薬ではありません。ハーブや薬草の本来の効果を強く引き出し……簡単に言うと、よい香りで気持ちを穏やかにし、優しい心で王太子妃殿下と話ができるように促す効果がある薬です。エレンさんも知ってますか?」

「はい。それなら町でも一般的に売られるものですね。紅茶などに入れて飲むことが多いので、カミラ妃殿下とのお茶の時間に数滴混ぜ、お気持ちを落ち着かせてからお話をなさるとよろしいでしょう」


 グストフ夫人も言い、アドリアンを見て微笑んだ。

 そういうことなら、とアドリアンも笑みを返す。


「それは……心強いな。では、早速処方してくれるか」

「かしこまりました、殿下」










 怪我の手当てをしてもらい、追加で薬をもらったアドリアンは医師たちに礼を言ってから部屋を出た。そして騎士たちの休憩所でミハイルの姿を見かけて、声を掛けた。


「ミーシャ、今日も世話になったな」

「……いえ、お気になさらず。今日は冷えますので、殿下もこの後は体を温めてください。……その小包は?」

「ふふ、これか? これはな、グストフ夫人たちが作ってくれた薬だ!」

「……」

「これがあれば、私もカミラの前で素直になれるはずだ。……なあ、ミーシャ。おまえも案外、こういう薬を使った方がいいのではないか?」

「……」


 ミハイルの目が、すうっと細まった。

 他の者ならばそれを見て逃げ出すだろうが、ご機嫌なアドリアンは気にした様子もなく、鼻高々に言葉を続ける。


「おまえ、何を考えているのか分かりにくいからな。私も努力するのだから、おまえももう少しは妻を労ってやれ。彼女は、なかなか素晴らしい女性だと思うぞ」

「……なぜ俺が、殿下に諭されなければならないのですか」

「自分の胸に手を当て、考えるとよかろう」


 肩を落としたミハイルにふふんと笑いかけ、アドリアンはきびすを返して歩きだす。


 どんな言葉を掛ければカミラは喜ぶだろうか、と考えながら。










 上機嫌なアドリアンは、気付かなかった。


 年下の王太子に説教されたミハイルが視線を逸らし、寂しげにまぶたを伏せていたことに。

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