20 エレンとエレオノーラ②

「……ああ、そうです。お手紙でも伝えましたが……エレンさん。ミーシャとの結婚、おめでとうございます」


 エレオノーラの言葉に、一瞬エレンは息を呑み――すぐに笑みを浮かべ、お辞儀をした。


「ありがとうございます、エレオノーラ様。贈り物のガラスの置物は、リビングに置かせてもらっています」

「まあ、そうですのね。あの鳥はクロットといい、リュドミラの山岳地帯に巣を作る大型猛禽です。狩りが得意で強靱な力を持つことから、騎士と共に絵に描かれることも多いのです」

「そうだったのですね。雄々しくて素敵な鳥だな、とは思っておりました」


 ……彼女がミハイルのことを「ミーシャ」と略称で呼んだことに一瞬動揺してしまったが、よく考えるとリュドミラ人は、よほど疎遠な相手でない限りは気楽に略称で呼びあうものだった。


(エレオノーラ様からするとミハイルはお兄様の部下にあたるし、ミハイルもエレオノーラ様のことを心配しているみたいだったものね……)


 うんうんと一人で納得していると、エレオノーラの方から、「……ミーシャのことですが」と新たな話題を振ってきた。


「彼は、どのような感じですか? 昔から女性に対する扱いがよろしくないと思っていたのですが、あなたに失礼なことはしていないですか? 彼に余計なことを言われて腹が立ったことはないですか?」


 ……エレオノーラの中で、ミハイルはどういう男になっているのだろうか。


「滅相もございません。夫は私の気持ちを優先し、とても優しくしてくれています。言うことは……まあ、昔も同じような感じだったので、特に気にしません」

「ああ、そういえばエレンさんはエンフィールド王位継承革命時に、ミーシャと知り合ったのでしたっけ。でしたら大丈夫ですね」


 ……どうやらエレオノーラの中でのミハイルの人物的評価は、微妙みたいだ。

 そこで一旦口を切り、エレオノーラは「……兄のことですが」と言う。


「兄は、とても勇敢な戦士でした。わたくしと違い魔力を持たずに生まれましたが、その分騎士団で心身を鍛え、どのような戦況でも冷静に戦い、皆を勝利に導く……わたくしの、憧れの兄でした」

「……カヴェーリン公のご冥福を、心よりお祈りします。私も革命戦争時から、カヴェーリン公のお噂をよく伺っておりました」

「ええ。……そしてミーシャは、そんな兄によく仕えてくれました。たとえ一見不可能な戦略でも兄の言葉を信じて敵陣に切り込み、兄に敵の剣が迫れば身を捨ててでも兄を守り……わたくしにとって、二人目の兄のような存在です」


 エレオノーラの言葉に、そういうことなのか、とエレンは少しだけほっとした。

 ミハイルはエレオノーラのことを主君の妹として案じているようだが、エレオノーラもまた、ミハイルのことを第二の兄のように慕っている様子だ。そこに恋愛感情はない、と考えていいだろう。


「……それを聞けばきっと夫も、喜びます」

「ふふ、そうかしらね。……兄亡き後も、ミーシャは信念のために戦ってくれています。『首刎ね騎士』の名は、恐れられ怖がられることもあるけれど……わたくしは、勇敢な彼にこそその名がふさわしいと考えています」


 ……それは少し意外だった。

 エレオノーラはどう見ても好戦的でないおっとりした淑女なので、「首刎ね」という物騒な名は嫌いそうだと、勝手に思っていた。


(でも確かに、ミハイル本人も「首刎ね」の名前をものすごく嫌っているわけでもなさそうだし……彼らしい、というのは間違いじゃないのかも)


「確かに、そうですね。ただ……無理だけはしないでほしいと、私は思っております」

「そうですね。……でも、もし彼から牙が抜かれた場合……残された人間ははたしてミハイル・グストフといえるのだろうか、とも思っているのです」


 さっと横目で見ると、エレオノーラはどこか遠い眼差しで夜空を見上げていた。

 白金色の長い髪が少し冷たい夜風を浴び淡く輝く様は、神秘的でありどこか物寂しそうにも感じられる。


「……私は妻として、彼には彼が望むような姿であってほしいと思っています」

「素敵な心構えですね。……エレンさん」

「はい」

「ミーシャのこと……好きですか?」


 エレンは、足を止めた。エレオノーラも足を止め、じっとエレンを見てくる。

 ミハイルのことを、好きか。


「……はい、好きです。意外と口が悪いところも、ちょっと無謀なところも……好ましい、と感じています」


 好きか嫌いか、の二択だったら、間違いなく好きである。

 世間一般の夫婦や恋人が抱くような「好き」とは、違うかもしれない。それでも、三年前と雰囲気は変わっても根っこの変わらない彼らしいところを、エレンが好意的に捉えているのは事実だった。


 エレンの言葉に満足したように、エレオノーラは微笑んだ。


「……それを聞けて安心しました。わたくしが言うのもおかしいかもしれませんが……どうかこれからも、ミーシャを支えてあげてください」

「エレオノーラ様……」

「ああ、そうです。わたくしの略称は、エーリャといいますの。わたくしたち、名前が似ているみたいですし……こうして周りに人がいないときだけでいいから、わたくしのことはエーリャと呼んでくださいまし」


 少しおどけたように片目を瞑って言われたので、エレンは微笑んで軽くお辞儀をした。


「かしこまりました、エーリャ様。……私の方こそ、今後もどうぞよろしくお願いします」














 定期馬車でエレンが屋敷に帰った約一時間後には、ミハイルも帰宅した。


「おかえりなさい、ミーシャ」

「……ああ、ただいま、エレン」


 使用人と一緒に夕食の仕度をしてくれているフェドーシャに代わり、今日はエレンがミハイルを出迎えて彼の荷物を受け取ろうと腕を伸ばした。


(たまにはこうやって、私にもできることをしないとね!)


 こうした日々の出来事の積み重ねが大切だと、エレンは思っている。

 だがミハイルはエレンを見ると、ものすごく困った顔になった。


「……」

「……ミーシャ?」

「その……しないと、だめなのか?」


 なぜかものすごく渋られ、エレンは首を傾げる。


(荷物を受け取るの、そんなに変なことかな……?)


 だが新婚二日目に帰宅した際、彼は少しも迷うことなくフェドーシャに荷物を渡していたはずだ。だとすれば、重そうなコートや剣を渡すという、エレンを使用人扱いするような行為に躊躇っているのかもしれない。


(ミハイルも案外頑固みたいだし……でも今荷物を受け取った方が、ミハイルも動きやすいし……よし、ここは私が押さないと!)


「ええ。私、ずっとここでこうして待っているわよ」

「……。……分かった」


 かなり悩んでいたが、首を縦に振ってもらえた。

 よし、とエレンは充足感に満たされたが、相変わらず困り顔のミハイルが剣をベルトから外したりコートを脱いだりする様子はない。


 それどころか、彼はパンパンと手でコートの裾を叩いた後、ずいっとエレンとの距離を縮め――


 正面から、エレンを抱きしめてきた。


「……?」


(ん? ……ん、んん?)


 抱きしめられ、外の匂いとミハイルの匂い、暖かな体温に包まれていたのは、数秒のこと。

 ゆっくり体が離れていき、目の前には眉根を寄せたミハイルの顔が。


「……これで満足か」

「……」

「……なんだ、その顔は。もっと長時間してほしかったのか?」

「……ち、がう」

「は?」

「……わ、たし……あの、荷物、コートと剣……」


 両腕を伸ばしたままの格好で、エレンはぎこちなく言った。


 一歩エレンから離れたミハイルが、首を傾げる。

 そしてエレンの手を見、自分の腰に下がる剣を見――


「……っ! め、飯だ! 飯にするぞ!」

「いぇっ!? あ、あの、服!」

「いいっ、自分で持っていく! おまえは先にリビングにいろ! いいな!?」


 片手で自分の顔を覆い、もう片方の手で雑に剣を外そうとしながら、ミハイルはエレンに命令するとずかずかと廊下を歩いていってしまった。


 何事なのか、と使用人とフェドーシャが厨房から顔を覗かせる中、腕を降ろしたエレンはへたりとその場に座り込んでしまった。


「ま、まあ、奥様!?」

「顔が真っ赤ですよ!?」


 二人には心配されたが、エレンは何も言えなかった。


 ミハイルに、抱きしめられた。


 彼に抱きしめられるのはこれで二度目なのだが、前回の彼は酔っていたし悲しそうだったので、エレンの方も彼を慰めようという気持ちが優先していた。


 だが、今回は違う。

 勘違いにしても、ミハイルは明確な意志を持ってエレンを抱きしめた――抱きしめて、くれた。


(……恥ずかしい! ……でも)


 同時に……とても、嬉しかった。

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