19 エレンとエレオノーラ①

 王太子・アドリアンの妃として、カミラは妃教育を受けている。

 政治、礼法、ダンス、歴史、絵画、詩作、刺繍などはもちろん、薬草学、乗馬、最低限の護身術なども必須教養として授業計画に組み込まれている。


 それぞれには家庭教師が付き、一対一の授業を行う。カミラは地方で生まれ育ったが、その頃からマリーアンナによって教育を施されてきた。また礼法などもエンフィールドの形式に則ったものなので、それらをリュドミラ風に少々変更することはあっても、基礎的なことはほとんど身に付いていた。


 だがこれまでは魔法の講師がおらず、ひとまずアドリアンと同じ場で授業を受けていた。そこへ、自らカミラの教師になりたいと名乗り出る者がいたそうだ。


「どうぞよろしくお願いします、カミラ妃殿下」

「こちらこそ、よろしくお願いします。エレオノーラ様」


 エマに案内されて部屋にやってきたのは、黒のドレスを纏った若い女性――エレオノーラだった。


 カヴェーリン公の妹でアドリアンの従姉にもあたる彼女は、カミラに魔法を教えられる人物を募集していると聞いて、一番に名乗りを上げたそうだ。教師に就けようと思っていた女性が急な事故で怪我をしてしまい、困っていたところに彼女が自薦したという。


 まさか王家に連なる血筋の者が王太子妃教育に名乗り出るなんて思ってもいなかったが、エレオノーラ本人の熱心な売り込みに、国王も首を縦に振ったそうだ。

 もしかすると、兄を亡くしてから聖堂に籠もりっきりの姪には役目があった方がいいだろう、と思ったのもあるかもしれない。


 リュドミラは土地の特徴なのか、エンフィールドよりも魔道士が生まれにくい。魔道士の素質は基本的に遺伝で決まるのだが、魔道士同士の親に生まれた子という同条件でも、エンフィールドとリュドミラでは子が魔道士である確率が全く異なるそうだ。

 現に、国王の姉夫妻はどちらも魔道士で娘のエレオノーラも優秀な魔道士だが、エレオノーラの兄であるカヴェーリン公は一切の魔力を持っていなかったそうだ。


 夫の従姉ということでカミラは最初緊張している様子だったが、エレオノーラがおっとりとした口調で魔法の理論を説明し、指先に炎を灯したり紅茶入りのカップを浮かせたりといった実演を見せるうちに慣れていったようだ。


 エレオノーラは攻撃魔法より、傷を癒したり光を灯したりといった魔法の方が得意なようで、未来の王妃であるカミラの教師としては適任だと思われた。


 数時間の授業を終えた頃には、日はすっかり沈んでいた。


「……それでは、本日はここまでといたします。次回は二日後ですので、教本をしっかり読み、今日は途中までにした光の色を変える魔法についてはメイドの監督のもと、しっかり復習なさってください」


 そう言ってエレオノーラは授業を締めくくった。様々な魔法を使ったカミラは少し疲れた様子だが、それでも充実した授業を受けられて満足そうだ。


(エレオノーラ様が教師になって、よかったみたい)


 他の授業に比べ、魔法の授業は講師と生徒の相性がものをいうようになる。魔法の属性という面ではもちろん、個人的な好き嫌いも魔法の出来に影響するので、エレオノーラとカミラの相性がよかったというのは、臣下としても嬉しいことだ。


 教本をメイドに渡したカミラがふと、顔を上げた。


「ねえ、エレ――」

「はい」

「はい」


 エレンとエレオノーラが、同時に反応した。

 二人は驚いて顔を見合わせ――そして、同時に噴き出してしまった。


 カミラも同じことに気付いたようで、最初はきょとんとしていたがふふっと笑った。


「ああ、ごめんなさい。今呼びたかったのはエレンの方だけど……エレオノーラ様にも関係があります」

「あら、エレンさんの方でしたのね」

「えっと、私に何かご用ですか?」

「エレンもそろそろ終業の時間だから、エレオノーラ様を聖堂までお送りしてもらえたら、と思って。どう?」

「……は、はい。かしこまりました」


 エレオノーラの見送りは騎士がするだろうと思っていたので少し驚いたが、カミラの命令だ。それに、エレオノーラの見送りならエレンも嫌だとは全く思わない。

 エレオノーラは遠慮していたが、どうせエレンだって家に帰るのだ。聖堂前まで一緒して、そこから定期馬車乗り場の方に行けばいい。


 そういうことでエレンも手早く片づけをしてから、エレオノーラを伴って離宮を出た。

 日が落ちた中庭は薄暗く、藍色の夜空とわずかな橙色の夕焼け空が天上で混ざりあっている。


「薄暗いですね……」

「よろしければわたくしが、明かりを灯します」

「あ……すみません、お願いします」


 カンテラを持ってくればよかった、と思ったが、エレオノーラは魔道士だ。


(こういうときは、目下の私が明かりを灯すべきなのに……)


 貴い身分の方をあごで使うような真似になってしまいエレンは反省するが、右手の平の中に明かりを生み出したエレオノーラはエレンを見、ふわりと微笑んだ。


「お気になさらないでください。わたくし、魔法の中でも光魔法が得意ですの。ですから、これくらい朝飯前でございますよ」


 朝飯前、なんてあまり貴族の令嬢らしくない表現だが、きっとエレンを励まそうと思って言ってくれたのだろう。


 エレンが応えるように微笑むとエレオノーラも頷き、二人は歩きだした。

 薄暗い中に魔法の光によって二人の姿が照らされ、形の違う二つの影が足元に揺れている。

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