16 お妃様は、興味津々
ミハイルは騎士団の朝礼に参加するらしく、エレンよりも先に出ていった。
エレンの方はゆっくり仕度をして、本日使用する予定の薬を確認してから出発する。
「じゃ、いってきます、フェーニャ」
「はい。お留守の間のことは、このフェドーシャにお任せください」
玄関前でフェドーシャに見送られ、エレンは一旦大通りに出てから定期馬車を捕まえた。
定期馬車の乗り方は昨日、ミハイルに教えてもらった。自分用の馬車を持つ騎士や上級使用人ならともかく、下級使用人や城下町に自宅のある者は乗合の定期馬車で城まで出勤することが多い。
様々な行き先の定期馬車があるが、この馬車は城下町の決まった場所から王城まで行くもので、王城関係者である証明書を見せなければ乗ることができない。
そうなると、この馬車の乗客は皆自分と似たような立場の者ということになるので、エレンは軽くお辞儀をしてから空いている席に座った。毎日同じ時間に同じ馬車に乗るので、必然的にこの乗客たちとは顔なじみになる。いずれ、気軽におしゃべりできるようになれたらと思っている。
馬車は、王城の使用人勝手口から入り、裏庭で停まった。料金は一律なので御者に運賃である銅貨一枚を渡し、停留所からカミラのいる離宮までは歩いていく。
エレンが背負っている箱が薬箱であるというのは一目瞭然で、しかも黒髪を持つエレンが異国人であるのも見れば分かること。
だからすれ違った者の中には、「もしかして、王太子妃殿下の……?」「この前、『首刎ね騎士』と結婚した……?」と、すぐにエレンの身の上に気付く人もいたみたいだ。
(うーん……やっぱりミハイルは本名より、『首刎ね騎士』の方で有名になっているみたいだな)
もしかしたら皆は、「首刎ね騎士」に見初められた女がどんな者なのか、興味があるのかもしれない。
エレンとしては少なくとも、夫と違って妻は敵の首を狩ることには関心はないということだけ分かってくれれば、それでいい。
「おはようございます、カミラ様」
「おはよう、エレン! ささ、ここに座って!」
カミラの部屋に入るなり、エレンはドアの側で控えていたメイド二人に腕を掴まれ、問答無用でカミラの正面に連行されていった。
きらきらの笑顔でエレンを待つカミラに、その両側で涼しい顔をしつつも同じくエレンをじっと見る騎士たち。メイドの一人は気合いを入れてエレンの分の茶も淹れているし、あの厳格な侍女長でさえ、なぜかノートとペンを構えて部屋の隅でじっとしている。
(ん? ……ん? なに、この状況?)
流れるようにソファに座らされたエレンは一瞬惚けてしまったが、まずは自分の仕事をせねば、と咳払いする。
「えっと……三日間の休暇、ありがとうございました。本日から職務を再開させていただきます」
「ええ、よろしく!」
「ま、まずは本日のお薬です」
そうして薬箱からいつもの薬を出したのだが――これまでなら少なからず渋そうに薬を飲むカミラなのに、なぜか彼女は一切渋ることなく、エレンが瞬く間に全ての薬を飲んでしまった。
(えっ、早いっ!? こんなに早く飲めたの!?)
「うー、苦っ! でも、飲んだわ! いいでしょう、エレン?」
「は、はい……」
「それじゃあお薬は飲んだし、本題ね」
ずいっ、とカミラが身を乗り出し、なぜかメイドや騎士たちまでエレンに迫ってくる。いつもなら彼女らを諫めそうな侍女長も、目をきらんと輝かせてエレンを見つめていた。
「じっくり聞かせてもらいましょうか……リュドミラ人との新婚生活について!」
「え……ええ?」
「これも私たち夫婦の未来のため、リュドミラの将来のためよ! 初夜はミハイルの仕事があったそうだけど……その後は、どうだった? 一緒に寝た? 初めては痛かった? リュドミラの男性は一見冷めているようだけど閨では情熱的になるっていうのは、本当だった?」
「ちょ、ちょっ……待って、待ってください!」
矢継ぎ早に質問――しかもなかなかきわどいことを聞かれるので、エレンは両手を挙げて意思表示をする。
ここまで言われて、カミラたちがエレンを期待の目で見ていた理由が分かった。
つまり――カミラ王女の部下の中で最初に結婚したエレンに夫婦のあれこれを聞き出し、いずれ来たるだろうカミラのときに備えようとしているのだ。
十五歳のカミラが色々なことに関心を持ち、将来に向けて勉学に励もうとする姿勢はとても素晴らしいと思う。エレンとて第三者だったら、経験豊富な人から話を聞くよう勧めただろう。
だが、当の本人からするとたまったものではないと、よく分かった。
「えっと……まず言わせてもらいますと。私とミハイルはまだ、そういう関係になるつもりはありません!」
ここだけははっきりさせようと思って言ったのだが、瞬時に王太子妃の部屋の空気がひんやりとしたものになった。
「……エレン、あなたまさか、『首刎ね騎士』にぞんざいに扱われているの……?」
「そうではありません! 何と言いますか……急に物事を進めるのではなく、ちょっとずつ恋人らしいことをしようということになりまして……」
エレンがたどたどしくも説明するうちに部屋の気温は元に戻り、やがて皆納得の表情になった。
「……まあ、そうね。エレンは数年ぶりにミハイルに再会して、彼のことが好きって気持ちに気付いたのよね。それなら、まずは恋人らしいことをしたいだろうし」
そういう設定になっているので、エレンはありがたくカミラの言葉に乗らせてもらうことにし、うんうんと頷いた。
「そういうことです! あのときはほぼノリで求婚されて、ノリで受けてしまったのですが……」
「いえ、そういう気持ちも分かるわ。どうしても相手を手放したくない、他の男に取られたくないと思ったからまずは結婚して、そこから少しずつ愛情を積み重ねていくっていうのも合理的だものね。それだけミハイルがエレンに傾倒しているって証しだわ」
別にそういうわけではないのだが、そういうことにさせてもらった。
「でも……そっか。結婚しても、恋人のような関係……ね」
「カミラ様?」
なにやらカミラが考え込んでしまったようだ。
助けを求めて侍女長の方を見ると、それまでは凄まじい勢いで何かを書き留めていた彼女はノートとペンをしまって、そそっと寄ってきた。
「カミラ様は、王太子殿下との関係について気にしてらっしゃるのです」
「も、もう、エマ!」
「王太子殿下との……?」
カミラは恥ずかしそうに手を振るが、エレンは構わず追及した。
カミラとアドリアンが結婚して一ヶ月ほど経つが、二人は夫婦――には至らずとも初々しい愛情を築いているように感じていた。
(でももしかして、見えないところではすれ違っていたり……?)
不安になったエレンだが、騎士の一人が微笑み、そっと耳打ちしてくれた。
「君の休暇中にお二人で魔法の講義を受けられたのだが……アドリアン殿下は奥手な方だからか、カミラ様と一緒に教本を読んだり魔法の打ち合いをしたりするのを恥ずかしがられてな。そのことを少々、気にされているみたいなんだ」
「なるほどね……」
「ちょっと、アリソン!」
カミラに可愛らしく睨まれて騎士アリソンは肩をすくめたが、侍女長エマは「まあ、事実ですからね」とアリソンの言葉を肯定する。
「そういうこともあり、カミラ様はエレンの結婚生活に関心を抱かれているのです。……カミラ様付きの中で一番早く結婚したあなたにはできるだけ、カミラ様へご助言をしていただきたく思います」
「……分かりました」
そういうことなら、とエレンは頷いた。
確かエマは数年前に夫を亡くしているし、他のメイドや騎士たちは独身だ。となると、「エンフィールド人の妻が、リュドミラ人の夫とどのように接していけばいいか」という点での助言ができるのはエレンだけだった。……よい助言をできる自信は、全くないが。
(でも、私よりもずっと、カミラ様の方が不安に思われているし。いざ本当のご夫婦になられたときにお困りになることがないように、私にできることならしたい)
そういうことでここに、「リュドミラ人の男性と仲よくなろうの会(会長・カミラ、助言役・エレン、書記・エマ)」が発足したのだった。
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