17 「首刎ね騎士」の気持ち
エレンたちが王太子妃の部屋であれこれ話をしている、少し前のこと。
「……おはよう」
約二日ぶりに騎士団詰め所に出勤したミハイルは小声で挨拶し――自分を取り囲む異様な空気に気付いて、目をすがめた。
「首刎ね騎士」という物騒な名で呼ばれるミハイルだが、戦闘前後の気が立っているときはともかく、普段ならば気さくに声を掛けてくれる者も少なくない。特に見習い時代からの仲の者なら何かとミハイルを気遣い、ときにはからかってくることもあった。
だが、今は戦闘モードではないというのに、出勤したミハイルのことを多くの者が、珍獣を見つめるような目で見てきていた。普段から自分が口数が少なく人付き合いが悪いという自覚のあるミハイルでも、朝っぱらからこのような態度を取られるとさすがに色々気になる。
とはいえ、別に同僚とおしゃべりをしに来たわけではない。周りの物言いたげな視線を無視して出勤簿にサインをし、壁に掛かった予定表を見る。
四日前――結婚式の日の夜に緊急討伐依頼が入ったのだが、ここしばらくは遠征任務もないようだ。今のところ、鍛錬と城下町警備がメインで、後は随時王族の護衛などが入るくらいだろう。
「よう、ミーシャ」
朝礼の前に一旦自室へ向かおうとしたミハイルを、仲間の一人が呼び止める。
彼は見習い騎士時代からの仲で、ミハイルと同じく平民出身の叩き上げだ。階級はミハイルよりも下だがお互い年が近いこともあって、ミハイルが「首刎ね騎士」と呼ばれるようになった今でも気さくに話をしてくれる者の一人だった。
ミハイルはいつもどおり挨拶しようとして――思い出したことがあり、相手の首根っこをひっ掴むとずるずると物陰の方に引っ張っていく。
「あいたたたた! おい、いきなり何なんだよ!」
「それはこちらの台詞だ。……おまえ、結婚の贈り物になんてものを寄越したんだ」
階段裏まで相手を引っ張り、薄暗がりの中でミハイルはドスの利いた声を出す。おそらくエレンの前では一生見せないだろう、非常にガラの悪い態度である。
だがミハイルに詰め寄られた男は、眉根を寄せた。
「なんてもの? 俺、そんな変なものを贈ったか?」
「しらを切る気か? メイドが先にリストアップしていたからいいが、あんなものをエレンに見せるわけにはいかないだろう!」
「……ああ、はっははは! なんだおまえ、それで怒っていたのか!」
相手はけたけたと笑うが、ミハイルとしては笑い飛ばせるようなものではない。
この男が「夫婦生活に役立てろよ!」というカードと共に贈ってきたのは――。
「いやいやいや、俺が贈ったものといっても、今城下町で流行っている香水だろう?」
「ああ、そうだな。とてもいかがわしい言葉が書かれた代物だったがな」
「いかがわしいって……そこまで過激なものじゃなかっただろ?」
彼としては、恋人たちがより愛情を深めるような効果のある香水を贈っただけだ。ミハイルはお堅くて明らかに女性慣れしていない様子だから、これでも使って肩の力を抜けよ、という完全な善意で選んだのだ。
だが、ミハイルの方はそうも言っていられない。
彼みたいなのがいるから、エレンには騎士団に来てほしくないのだ。小柄で異国風の見目をしているエレンなんて、こういう男たちのいいおもちゃになってしまう。
ミハイルがぎゅっと眉を寄せて「破廉恥だ」と呟くと、男はがっくりと肩を落とした。
「破廉恥って……いや、まさかおまえ、せっかくの新婚休暇なのに、嫁さんと何もしていないのか?」
「何もしていなくはない。贈り物の点検やメッセージカードへの返信はしたし、城下町の案内もした」
「俺が言いたいのはそういうことじゃないから。……ったく。俺たちはてっきり、『首刎ね騎士』がついに愛情に目覚め、新婚で浮かれポンチになった頭で出勤すると思っていたのに」
「誰の頭が浮かれポンチだ」
おそらく自分には一生縁のない言葉だろう、とミハイルは思った。
とりあえず相手を拘束する手は離してやったが、自分たちの夫婦生活について探りを入れられるのはおもしろくない。
「……俺とエレンは、まずは恋人同士のようなやり取りから始めることになった」
「はん? 恋人同士? おまえが?」
「……これはエレンの希望だ。結婚は俺の我が儘で押しつけたようなものだから、できるだけエレンの願いを叶えてやりたいと思っている」
正直、自分に世間一般の恋人たちのようなやり取りができるとは思えない。自分にとって女性を口説くことは、敵の心臓を抉るよりも数倍難しいことだからだ。
「あと、もう一つ言うと……俺のことはどうでもいいが、エレンを困らせるようなことはするな。あいつはリュドミラに来てまだ日が浅い。おまえたちが暑苦しく迫っていったら、あいつを怖がらせるだろう」
「……お、おう。なんというか……おまえ、思ったよりも嫁さんのことを気に入ってたんだな」
「……そう見えるか?」
「無茶苦茶そう見える。……まあ、そういうことなら、分かったよ。他の奴にも言っとくわ」
「そうしてくれ。……あと」
「ん?」
「おまえが善意であの香水を贈ったことだけは、分かった。先ほどはいきなり掴みかかって、すまなかった」
「……お、おう」
男は苦笑し、「……本当におまえ、そういうところが憎めねぇんだよなぁ」とぼやきながら部屋に戻っていった。
階段裏に一人残ったミハイルは仲間の背中を見送り、ふうっと息をついて壁に背を預ける。
先ほど仲間が何を言いたかったのか、だいたい分かっていた。いくら色恋に縁がなかったとはいえ、ミハイルにだって最低限の知識や色々と察する能力はある。
だが……。
「……俺は、あいつを幸せに、してやれない」
呟き、目を閉じる。
そうして脳裏に浮かんだのは、「ミーシャ」と少し照れたように笑ってミハイルの名を呼ぶエレンで――ミハイルはぐっと拳を握った。
まるで、自分の胸の奥に宿った感情の芽を、握り潰そうとしているかのように。
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