13 お出迎え②

 フェドーシャが申し出たので彼女に後始末を任せ、エレンは完成したばかりの魔法薬を手にリビングに向かった。

 誰もいないリビングは、とても静かだ。エレンの身の回りのことはフェドーシャが、料理や掃除などは通いで来る使用人がやってくれるので、今も遠くから使用人が昼食の仕度をする音が聞こえるくらいだ。


 新婚一日目というと、多くの夫婦は水入らずで一緒に過ごすものだろう。エレンの両親も、色々と難しい時代ではあったが新婚の頃は二人きりで暮らし、少し足を伸ばして花畑に行ったり川に入って遊んだりしたそうだ。


 エレンも子どもの頃は、大きくなったら誰かのお嫁さんになり、戦争も何も関係ない平和な場所で一緒に暮らすのだと夢見ていた。

 マリーアンナには「エレンもカミラも、結構ロマンチストよね」と笑われたことがあるが確かに、エレンはよくカミラと一緒に、「将来、旦那様と一緒にどんな家に暮らしたいか」のような話をしていたと思う。


「首刎ね騎士」などという物騒な二つ名を持つ騎士とこんな形で結婚するなんてことを当時の自分に教えたら、どんな顔をするだろうか。父は、母は、生きていたら何と言っただろうか。


 なお、既に屋敷にはたくさんの贈り物が届いているが、どれもリュドミラ王国の者からだ。エンフィールドからは魔法速達便で結婚祝いの手紙は届いたが、贈り物は手紙よりも魔力を使うからか、まだ届いていない。

 魔法速達便は便利だがとても運賃が高いと聞いているので、エレンとしてもそこまで急がなくていいと考えている。


(ミハイルのことを、ものすごく愛しているわけじゃない。でも少なくとも、昔と変わらない面もあると思っているし……今の彼を放っておけないし)


 エレンと結婚したから劇的に変わるわけではないだろうが、少しでも彼の支えになれたら、とは思っている。


 そうしていると厨房の方からだんだんいい匂いがしてきて、片づけを終えたフェドーシャが「間もなく旦那様がお戻りになります」と教えてくれた。

 彼女には食事の際に飲む紅茶の準備を任せ、エレンはちょうどいい感じに冷えてきた薬をテーブルに置き、鏡に映る自分の姿を確認した。


 毛先が少しうねっている黒髪はフェドーシャが結い上げ、きれいな編み込みも入れてくれた。「濃い色の髪のセットは不慣れですが、腕が鳴ります!」と、彼女も気合いを入れていたのだ。


 若草色のドレスは袖が七分丈で、繊細なフリルが袖口を彩っている。リュドミラのドレスはあまりスカート部分を膨らませず、尻の部分だけに詰め物をして後はすとんと流すのが伝統らしい。その他細かなデザインには流行があるが、ドレスのおおまかな形だけはここ数百年で変わらないのだとか。

 昨日の結婚式で着たドレスも、全体的にすとんとしたデザインで、エレンからすると下着っぽくて最初は驚いたものだ。


(そういえば昨日のミハイル、正装で格好よかったな……)


 普段の騎士団服はエンフィールドのものとさほど変わらないが、式で用いた正装はリュドミラの伝統衣装だった。


 雪国だからか、襟元やコートの裾に細かなファーが付いており、纏うマントも重厚な毛織物だった。

 厚着の夫に対して自分の衣装が薄着なのが気になったが、「リュドミラ騎士の夫はその剣と体で、妻を悪しき者や凍えるような寒さから守る」という印象をつけるためらしい。エレンにはその合理性がいまいち分からなかったが。


 鏡に映る自分の姿をチェックしたところで、玄関の方からフェドーシャの声がした。どうやらミハイルが帰ってきたようだ。


 そっとリビングから顔を覗かせると、ちょうどドアを閉めようとするミハイルの姿があった。昨夜見送ったときと同じ騎士団服姿で、そこまで汚れているわけでも血を浴びているわけでもなさそうだ。


「ミ――」


 呼ぼうとしたら、思いがけずミハイルが過敏に反応し、さっとエレンの方を見つめた。

 その眼差しに――エレンは、全身が凍りついてしまう。


 殺意、警戒心、懐疑――一言では言い表せない、たくさんの負の感情を抱いた視線が、エレンを貫いた。


 今、自分の名を呼ぼうとした者は誰だ。

 敵か、斬り捨てるべきか、と考えているかのように。


 だがミハイルは一つまばたきすると、じっとエレンを見てきた。そこにはもう、先ほど浮かんでいた恐ろしい色はなく、彼は申し訳なさそうに眉を垂らす。


「……ああ、そうか。おまえは、エレンだな」

「ええ。おかえりなさい、ミハ――いえ、ミーシャ」


 せっかくなので昨夜教わったばかりの彼の略称を口にすると、彼は驚いたように目を丸くした後、唇の端にわずかな笑みを浮かべた。


「……ああ、ただいま。……いい匂いが、するな」

「ええ、もうすぐお昼ご飯の時間だから。……ご飯、食べる?」

「……食べたいのも山々だが、とにかく、疲れた。茶だけ飲んで、仮眠を取らせてくれ。一睡もしていないんだ」


 掠れた声で言われると、それは疲れて当然だと納得する。

 昨日は結婚式で、その後休む間もなく出陣。王都に戻ってきたのが今朝のことで、それから報告書などを書いてやっと戻ってきたのだから、眠いし疲れているはずだ。


「分かったわ。それじゃあ、紅茶と……魔法薬を飲んでほしいんだけど」

「薬? 別に俺は、怪我はしていない」

「見れば分かるよ。怪我の治療薬じゃなくて、よく眠れるように、起きたときに体の疲れが取れるように、っていう効果のある薬よ。さっき作ったの」


 エレンが説明すると、荷物をフェドーシャに預けたミハイルはしばらく考え込んだようだ。


「……そう、か。そういえば革命戦争時も、おまえの薬の世話になったな」

「あの頃のミハイルは、毎日のように擦り傷をこしらえていたから、私の薬よりも回復魔法の世話になっていたんじゃなくって?」

「……うるさい」


 ぶすっとして言い顔を背けられたが、若い頃の失敗を話されて恥ずかしがっているだけだと分かる。

 エレンは小さく笑ってミハイルをリビングに通し、フェドーシャの淹れた紅茶と一緒に赤い薬を持っていった。


「お待たせ。さ、これの後に紅茶を飲んでね」

「薬が先の方がいいのか?」

「そっちの方が効きやすいの」

「……そうか。分かった、いただこう」


 ミハイルはやはり疲れているようで、エレンが差し出した薬の瓶を半眼になりながら受け取り、一気にぐいっと煽った。


 ……普通、もう少し警戒して飲まれるものだが、これはエレンの薬を信頼しているからなのか、それとも疲れていて考えるのが面倒だからなのか。


「……辛いな。だが、なかなかうまい」

「それはよかった」


 続いてミハイルは紅茶を飲む。一杯飲み終えたところで彼は大きなあくびをし、けだるげに上着を脱いだ。


「……眠くなった。悪いが、昼食は後でもらう。俺は……少し、寝てくる」

「ええ、ゆっくり休んできてね。……お疲れ様、ミーシャ」

「……。……俺が起きたら、改めて話をさせてくれ」


 ミハイルはそう言うと立ち上がり、少しふらふらした足取りでリビングを出ていった。

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