11 ひとりぼっちの花嫁②
(おやすみを言うときに、一緒にお礼を言おう。それから、もし時間があるなら今後のことの話をして……)
自分たちは世間一般の夫婦とは少し毛色が違うだろうが、仲間として、友人として、うまくやっていけるはずだ。
そう思いながらフェドーシャに髪の手入れをしてもらっていたエレンだが、にわかに階下が騒がしくなったので振り返る。
「ミハイルかな?」
「様子を見てまいります」
一旦髪に櫛を通す作業を止め、フェドーシャが部屋を出ていく。
間もなく戻ってきた彼女は、少し困った顔をしていた。
「今、旦那様が戻ってこられたのですが……」
「どうしたの?」
「……少し、顔色がよろしくないのです」
フェドーシャの報告を受け、エレンは首を傾げる。
(……疲れたってことかな?)
ひとまずエレンは立ち上がり、フェドーシャに指示を出してガウンだけを上に羽織って部屋を出た。
少しひんやりとする薄暗い階段を下りた先の玄関ホールには、騎士団服姿のミハイルがいた。だがフェドーシャの言うように体調が優れないのか、険しい顔で腕を組んでいる。
「ミハイル?」
「……エレンか」
「……お城で、何かあったの?」
エレンが尋ねると、ぴくっとミハイルの表情が動いた。だが彼は頭を振って腕を解く。
「……いや、何でもない。俺も寝る仕度を……」
「何でもないって顔じゃないでしょう」
「……」
「私には言えないこと?」
それならそれで引き下がるつもりだが、念のためにエレンが言うと、やがてミハイルは観念したように目を伏せて呟いた。
「……報告などを終えて城を出ようとしたときに、急報が入った。……近郊で、旧王国軍らしい者たちが民家を襲っている、と」
「……」
エレンは、ミハイルを見た。
彼はエレンと視線を合わせようとしないままコートを脱ごうとしたので――エレンは手を伸ばし、そっとその肩に触れた。
「……行きたいんでしょう?」
「……」
「行ってきて、いいよ」
「エレン」
焦ったようなミハイルの声が、エレンの質問に対する答えであるかのようだ。
エレンは微笑み、迷いに瞳を揺らせるミハイルの肩をとんとん叩いた。
「私なら、大丈夫。ミハイルも、嫁の許可が下りたんだって堂々と言ってくればいいよ。嫁は、勇敢なあなたのことを誇りに思いながら送り出したんだ、って言ってやってよ」
「……だが」
「ミハイル」
静かにエレンが呼ぶと、ミハイルは黙った。
そして、一秒、二秒、沈黙し――
「……すまない」
弱々しい掠れ声で言ったものだから、エレンはくすりと笑ってしまった。
ミハイルが旧王国軍を憎んでいることは、よく分かっている。彼にとっての「初夜」よりも、憎らしき者の首を一つでも多く刎ねることの方が大切だということも、分かっている。
ミハイルは、結婚してもなおエレンに自由を与えてくれる。だからエレンも彼を縛るつもりはなく、彼が出陣するなら「いってらっしゃい」と快く送り出し、彼が全身を血の色に染めようと帰ってきてくれるなら、「おかえり」と迎えようと決めていたのだ。
「……今日くらいは、おまえと一緒にいてやりたかった。だが……すまない、エレン」
「謝らないで。生きて帰ってきてくれるのなら私は全然構わないし、あなたの信念だって……少しは知っているつもりだもの。それにこれから先、時間はたくさんあるじゃない」
「……」
「また、あなたの仕事がないときにゆっくり話しましょう、ミハイル」
「……ャ」
「えっ?」
「……俺のことは、ミーシャ、と呼んでくれ」
そう言うとミハイルはくるりと背を向け、「行ってくる。ゆっくり休め」と呟いて玄関のドアを開けた。
肌寒い夜の風が一瞬だけエレンの頬を撫でたがミハイルが出ていくとすぐに風は遮断され、エレンはぽかんとして閉ざされたドアを見つめた。
「……ミーシャ」
「……旦那様の、略称ですね」
傍らでこそっとフェドーシャが言ったが、エレンも分かっていた。
夫と愛情のない結婚をしたエレンだが、彼に略称で呼ぶことを許された――それだけで、ほんのりと胸の奥が温かくなってくる。
なおもフェドーシャは心配そうにこちらを見ていたが、エレンは微笑んでガウンの胸元をたぐり寄せた。
「大丈夫よ、フェーニャ。……ミハイルが帰ってきたら、話ができるもの」
「奥様……」
「さあ、ミハイルも出発したし、私もそろそろ休むわ。戻りましょう」
フェドーシャを促し、エレンは二階へ戻った。
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