10 ひとりぼっちの花嫁①

 その日、リュドミラ王城にある噂が流れた。


 ――「首刎ね騎士」が、カミラ王太子妃殿下付き魔法薬師と抱きあっていたらしい。


 少年時代から女性の影の一つもなく一心にカヴェーリン公・ボリスに仕え、彼の死後は心を失ったかのように戦いに明け暮れた若き騎士。


 平民出身の叩き上げでありながら優美な容姿と卓越した剣術を備えた彼に憧れる令嬢はいても、交際までとなると二の足を踏む者が多い中。騎士団詰め所の裏庭で彼は、異国人の女性と熱い抱擁を交わしていたという。


 これはどういうことなのだろうか、あの「首刎ね騎士」も女遊びをするものなのか、と皆が好奇心を抱く中、さらに驚くべき知らせが入る。


 ――「首刎ね騎士」はくだんの魔法薬師に求婚し、結婚することになったそうだ。


 それを聞いて皆驚いたが子細を聞くと、なんだそういうことなのかと納得の顔になる。


「首刎ね騎士」ことミハイル・グストフは三年前、エンフィールド王位継承革命時に件の女性と知りあっている。

 久しぶりにリュドミラで再会した彼らが互いに恋情を抱くようになるのも無理もない話で、あの裏庭での抱擁も、求婚直前の恋人たちによるふれあいの一環だったようだ。


 しかも、その女性――エレン・オールディスはエンフィールド王配・テレンスの姪で、カミラ王太子妃殿下の従姉にあたるという。

 つまり、彼女には王侯貴族の血は流れていないが、王家の縁戚である。


 マリーアンナ女王の娘を王太子妃に、そして女王の姪を騎士の妻にするというのは、リュドミラにとっても非常においしいことだった。これでミハイルが妻を大切にすれば、きっとマリーアンナ女王もいっそうリュドミラとの繋がりを大切にしてくれるはず。


 間もなく、魔法速達便でエンフィールドに送った親書への返事が来た。エレン・オールディスとミハイル・グストフの結婚を許可してほしいという、女王夫妻にあてた手紙への返事は、「本人たちが望むのなら」というものだった。


 そういうことで、「首刎ね騎士」とエンフィールド女王の姪の結婚は皆に周知され、ひとまず祝福されることになったのだった。


 二人の結婚式は、両者の強い希望により王都の隅にある小さな教会で執り行われた。

 野次馬を蹴散らすために多くの警備が敷かれたがそもそも参列者は少なく、新郎側は王族代表の王太子と騎士団の団長、新婦側は王太子妃と城の医師長くらいだった。


 その結婚式の様子がどのようなものだったのか、知るものは少ない。だが王太子アドリアンが「ミハイルのあんな優しい眼差しを見るのは、久しぶりだった」と言い、王太子妃カミラが「エレンも、まんざらでもなさそうだった」と言っていたことからして、二人の結婚式は普通によいものであったのだろう。これなら初夜も問題なく終わるだろう、と下世話なことを考える者もいたとか。


 ……その日の夜、「近郊で旧エンフィールド王国軍が暴れている」という知らせが入るまでは。











 ミハイルの自宅であるグストフ邸は、城下町の一角、住宅街の中でも比較的閑静な地区にあった。

 元々平民の彼だが、三年前の王位継承革命で戦果を上げたことで国王から賜った褒美の中に、城下町の一等地の邸宅があったのだ。


 ただ彼はものに固執しないらしく、屋敷は住み心地がよければ小さくてもいい、どうせ騎士団宿舎泊まりで滅多に戻らないだろうから使用人もほとんど要らない、と言った。

 よって小さな屋敷は彼が月に数度帰るのみで、カヴェーリン公が没した後はますます屋敷から足が遠のいていた。


 だがそんな物寂しいグストフ邸は最近になって、急ぎ掃除と模様替えが為された。それまでは最低限の家具はあっても殺風景だった室内には女性が好みそうな調度品が置かれ、優しい印象の風景画や可愛らしい模様のカーテンなどが運び込まれる。


 これまでは定期的な掃除とミハイルが戻る日の前後の世話のみ頼んでいた使用人に依頼をし直し、通いの使用人二人と住み込みの若いメイドが雇われることになった。


 そうして間もなく、ミハイルの妻としてエレンが迎えられた。


「つ、疲れた……」


 グストフ邸の二階、エレンのために用意されたおしゃれな私室で、花嫁衣装を脱いだだけのエレンはぐったりと座り込んでいた。


 ミハイルとエレン両方の希望で小規模な結婚式にしてもらったが、リュドミラの結婚式とはなかなかどうして、やることが多い。

 祈りの言葉を口にして名前をサインし、誓いのキスをすれば後は華やかなパレード、というエンフィールドの結婚と違い、ひたすら堅苦しくて祈りの言葉も長くて、途中で気を飛ばすかと思った。


(カミラ様の式がシンプルだったからって、舐めていた……。ということはカミラ様の本番の結婚式は、もっともっと長くなるのかな……?)


 やれやれと肩を落として椅子から立ち上がり、鏡に映る自分の顔を見る。


 窮屈なリュドミラ風のドレスを脱ぎ補正下着姿になったエレンは、まだ化粧も落としていないのでなんだか中途半端な格好をしている。もうじきメイドがやってくるので彼女に湯浴みと着替えの補助を頼み、寝間着に着替えるのだ。


(といっても、私たちは夫婦らしいことはしないんだけどね)


 結婚前に改めてミハイルは、急いで子どもを作る必要は一切なく、エレンに無理強いをさせるつもりもない、と念押しした。エレンとしても、いくら昔なじみの男が相手とはいえ、いきなり同衾しろというのはハードルが高かったので、彼の言葉は正直ありがたかった。


 よってエレンはミハイルの休む主寝室ではなくこの私室で眠り、もし――もし万が一彼に誘われ、エレンも同意するのなら彼のベッドで休もう、と決めていた。


(それにしても。ミハイル、帰ってこないな……)


 結婚式の後、彼は報告のために城に行った。「日付が変わるまでには必ず戻る」と言っていたので、彼と同衾するつもりはなくてもせめて、お互いに「おやすみ」と言いあう形で初夜を過ごしたい。


 間もなくやってきたメイドはフェドーシャと名乗った。エレンのためにミハイルが雇ってくれた、十七歳の少女だ。

 彼女は商家の娘のようで、行儀見習いとして様々な家に仕えてきたという。リュドミラ人としてはやや色素の濃い黒みがかった銀髪をきゅっとお団子に結っており、くるくるとよく動く緑の目が愛らしい。


「フェドーシャ……えっと、フェーニャだったかしら?」

「はい、そうです、奥様。これからよろしくお願いします」


 フェドーシャはそう言って、愛想よく笑った。


 リュドミラでは「略称」というものがあり、親しい間柄の者同士なら本名ではなく略称で呼びあうものらしい。なおミハイルにも略称があるので、「結婚後に教える」と言われていた。


 フェドーシャの手を借り、エレンは湯浴みをして真新しい寝間着に袖を通した。裾になにやら不思議な模様があるのでじっと見ていると、「それは、リュドミラに伝わる文様のひとつですよ」とフェドーシャが教えてくれた。


「初夜の妻が着る寝間着は、必ず夫が用意するのです。この寝間着も旦那様が奥様のために、デザインから考えてくださったものなのですよ」

「そ、そうなんだ……」


 衣類も調度品もアクセサリーも、全てミハイルが準備してくれたのだとは知っているし、彼にも礼を言っている。だがフェドーシャの言うような風習があり、ミハイルがエレンのために文様を考えてくれたのだとは思わなかった。

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