7 夜の出会い
カミラ到着の三日後、カミラとアドリアンは城下町にある大教会で結婚誓約書にサインをした。
婚儀を催すのはアドリアンが成人した二年後と決まっているので、今回はひとまずカミラがリュドミラ王家に籍を入れただけで終わる。
それでも式に臨む二人は明らかに緊張している様子で、エレンは感慨深い気持ちで主君の背中を見守っていた。
ちなみに結婚によって、カミラはリュドミラ教会に改宗することになる。これまで信仰していた聖女神教とは神の種類が違うが、それぞれの宗教は喧嘩することなくやっていっているので、少々祈りの形を変えればそれでいいようだ。
こうして晴れて王太子妃となったカミラだが、いきなり妃としての仕事が舞い込んでくるわけではない。そもそもカミラも十五歳の未成年なので、公務より勉強をするべきだった。
「はい、今日のお薬です。昨夜は咳が出たそうですね? ですので、今日はこの青い咳止めも飲んでいただきます」
「……まずそうな色」
「見た目はまあ、そうですね。でも甘めに味付けをしているので、思ったよりもましだと思いますよ」
朝食を終えたカミラに、エレンは順に薬の説明をする。
カミラは生まれつき体が弱いというより、保有する魔力量と自分の体力が見合っていない状態だ。だからエレンがその日の体調に応じた薬を処方し、魔力の流れを安定させる必要があった。
皿の上に赤や黄色、青の薬を並べ、カミラに差し出す。カミラは苦いものが嫌いなので、薬の味付けはなるべく甘めにしているし、少しでも可愛らしい見目になるように形も工夫している。
カミラが渋い顔をして薬を飲む傍らで、エレンは健康記録簿にカミラの体調を記した。
(今はまだいいけれど、いずれお世継ぎを生むことを考えたら……薬の種類を少し変える必要があるかもしれないな)
女性の体に悪影響を及ぼすようなものは入れていないが、もしその時期が来たら懐妊しやすくなるように材質を工夫したいところだ。
一応甘く味付けはしたがそれでも苦いようで、カミラはうーうーうめきながら薬を飲んだ。
「飲んだわよ……うう、後味が……」
「はい、よくできました。……キャロリン、甘いジュースを差し上げて」
革命軍時代からの仲のメイドに指示を出してから、エレンは立ち上がった。
記録簿を胸に抱えて窓辺に近づき、リュドミラ王城の中庭をなんとなく眺める。
(そういえば今日、騎士団では公開模擬試合があるんだっけ……)
王太子であるアドリアンは王族の嗜みとして、騎士団で訓練を受けている。そんなアドリアンも今日の模擬試合に参加するようで、彼の妃であるカミラも参加することになっていた。
そういうこともあり、今日の薬には咳止め以外にも、外出してもある程度体を温められるようなものも追加しているのだ。
ただ、本日カミラに同行するのはメイド二人と女性騎士二人だけで、エレンは留守番だった。かといってエレンも暇ではなく、数日前から城の魔法薬師と一緒に薬の開発・研究を行っているので、そちらに行かなければならない。
(……まあ、ミハイルのことは城内でも結構噂になっているみたいだし……もし何かあれば、カミラ様が教えてくださるよね)
ミハイルのことを、カミラには教えておいた。彼女も「首刎ね騎士」の噂は聞いていたようだが、まさかそれがミハイルのことだったとは知らなかったため、ひどく驚いていた。
(それにカミラ様曰く、アドリアン様はミハイルにかなり懐いているみたいで、ミハイルの変化にアドリアン様もショックを受けてらっしゃるみたいだし……)
アドリアンにとってのミハイルは、尊敬していた亡き従兄の忠実な部下だ。今もミハイルはアドリアンの剣の師範の一人らしく、彼の強さに憧れつつも、その寂しげな横顔が気になっているという。
(一度、話ができればと思うけれど……難しいよね)
ため息をついたエレンは、背後からカミラに呼ばれて振り返った。
カミラが観覧した公開模擬試合は、大にぎわいだったようだ。
薄ら暗い夜の廊下を歩いていると、やれ誰が勝っただの、やれ誰の剣捌きが見事だっただの、やれあの負傷者は大丈夫だろうかだの、色々な話が聞こえてきた。
ちなみに、ミハイルは参加しなかったらしい。といっても出場禁止令が出ているというわけではなく、彼自身が参加を辞退しているそうだ。
カミラは夫が慣れないながらに試合に出ているのを見て大興奮で、メイドや騎士相手に「アドリアン様が格好よかった!」「今度、お手紙を送りたい!」と話していた。
十四歳の夫に想いを寄せる十五歳の妻の姿は見ていて微笑ましく、あの厳格な侍女長でさえ、カミラの嬉しそうな姿を見て相好を崩していたものだ。
そんな主君をメイドたちに任せ、エレンは騎士団へ薬を届けに行っていた。薬といっても、今日魔法薬師たちと一緒に作ったのは病気用のものではなく、言ってしまえば二日酔い用の薬だ。
(そういえばミハイルも、リュドミラの人は男女問わず大酒飲みが多いって言っていたっけ……)
普段はきりりとしている騎士たちも、公開試合などの後では派手な打ち上げをし、酒を飲み、翌日倒れていることが多いという。
エンフィールドではそこまでの酒宴を繰り広げることはないので最初それを聞いたエレンは唖然としたが、リュドミラではわりと当たり前の光景らしく、魔法薬師も「今日は儲かるんですよねぇ」とにまにま笑いながら調合していた。
公費でまかなわれる普段の治療薬と違って二日酔い用の薬はしっかり代金を請求するらしく、魔法薬師が合法的に小遣いを増やせるこれ以上ない「稼ぎ時」なのだ。
そういうことで王太子妃お抱え魔法薬師のエレンも、少々協力させてもらった。少しくらいは小遣いをくれるそうなのでこれを貯め、いつかカミラのための贈り物でも買えたらと計画している。
その特製の薬が入った薬箱を背負い、エレンは騎士団宿舎に向かっていた。どんちゃん騒ぎをしているのは遠目から見てもよく分かり、質素で規律正しいエンフィールドとは全く違う様子に、エレンは苦笑をこぼした。
(いつか私も、この空気に慣れたらいいな。……ん?)
箱を背負い直したエレンはふと、ふらふらと揺れる小さな明かりを目にして足を止めた。カンテラの明かりにしてはあっちこっちに揺れるあの光はおそらく、魔法で灯した光だ。
(あっちは……確か、城内の小さな聖堂がある方向?)
王城内で、しかも夜でも人通りの多い廊下の近くなのだから、不審者であるはずはない。そう思ったエレンがじっと見つめているとやがて、手の中に明かりを灯した若い女性の姿が見えてきた。
左肩付近で緩く結わえた髪は、リュドミラ人らしく透けるように美しい白金色。だが着ているドレスは上から下まで真っ黒で黒い帽子も被っているので、髪と白い顔以外は闇に沈んで見えてしまいそうだ。
(どちら様かな?)
とりあえず廊下の隅に引っ込んでお辞儀をしていると、その女性は「あら」と呟いてエレンの前で足を止めた。
「その髪の色は……もしかしてあなたは、カミラ王太子妃殿下のお付きの方かしら?」
鈴を振るような、可憐で繊細な声だ。
エレンの艶のある黒髪はエンフィールドではありふれた色だが、リュドミラではかなり珍しい。だから、髪の色を見ただけで異国人であることはすぐに分かる。
「……はい。エンフィールドより参りました、エレン・オールディスと申します。王太子妃カミラ様の専属魔法薬師の職を賜っております」
「まあ、そうなのね! どうか、顔を上げてくださいな」
女性に促され、エレンは顔を上げた。
思ったよりも近くまで来ていた女性は、人形のように整った顔を持っていた。エレンより背が低くて、ふっと息を吹きかければ粉々になってしまいそうなほど繊細な美貌を持つ彼女は、エレンとさほど年が変わらないように見える。
彼女は顔を上げたエレンを見て微笑み、手の中で躍る魔法の炎をついっと頭上に押しやってから淑やかに礼をした。
「お初にお目に掛かります、エレンさん。わたくし、アドリアン王太子殿下の従姉にあたる、エレオノーラ・アドロフと申します」
美女の自己紹介を聞き、エレンはゆっくりまばたきする。
アドリアンの従姉ということは、ローベルト王の姪。つまり――
(あっ、そういえばカヴェーリン公には妹がいらっしゃったとか……)
エレンくらいの年の美しい少女だということだったから、このエレオノーラという女性がカヴェーリン公・ボリスの妹で間違いないだろう。黒いドレスを着ているのは、一年前に戦死した兄への弔意の表れだろうか。
「お初にお目に掛かります、エレオノーラ様。これからどうぞよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ。アドリアン殿下は可愛いお嫁さんが来てとても嬉しいそうですので……わたくしも、お二人が仲睦まじく過ごされることを願っております」
そう言うとエレオノーラはしっとり微笑み、「では、また」と囁いてエレンに背中を向けたので、エレンもお辞儀の姿勢で彼女を見送った。
揺れる白金の髪が遠ざかってから、エレンは体を起こしてふうっと息を吐き出す。
(エレオノーラ様……か。噂に聞いていたとおり、とても美しくて優しそうな方だな)
こんな時間帯ではあるが、彼女は聖堂の方からやって来た。高貴な身分ではあるが一人で出歩いているし、毎晩聖堂に通って兄の魂の冥福を祈っているのかもしれない。
(っと、そうだ。早く薬を届けないと)
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