6  変わり果てた友

(まったく! 私とミハイルはそんな関係じゃないって、言ってるのに!)


 ぷりぷりしながら、エレンはリュドミラ王城内を歩いていた。


 あの後騒ぎすぎたようで案の定侍女長に怒られ、それぞれ仕事をするように命じられた。

 メイドたちがリュドミラ人のメイドとの打ち合わせをし、騎士たちも城内の配置を確認している間、魔法薬師のエレンはリュドミラ人の医師たちと顔合わせをして、今後の簡単な計画を話しあった。


 そうして、リュドミラにも医師や魔法薬師はいるが、やはり長年カミラに付き添ってその症状を見てきたエレンが専属の薬師となり、カミラに関しては他の医師たちは必要に応じて補助に回るのがいいだろうということになった。


(皆、優しそうだし、仕事を奪われなくてよかった……)


 優秀な魔道士である叔父に師事したが、エレンの魔法薬はある意味独学だ。

 それでも持参した魔法薬を医師たちは褒めてくれたし、中にはリュドミラには存在しない調合方法もあったようで、魔法薬師から説明を求められることもあった。


 逆にエレンの知らないリュドミラ流の調合方法もあったので、興味関心は尽きない。医務室で話をしているときはエレンも大興奮だったが、部屋を出て自室に戻る途中にメイドたちとすれ違い、「騎士様に会えるといいわねー」と囁かれたため、先ほどからかわれたことがぶり返してしまった。


 皆に悪意があるわけではないとは、分かっている。それでもからかわれるとやれやれという気分になるし、ミハイルにも申し訳ない。


 エレンは十九歳になった今も胸囲は三年前とほとんど変わらないし、マリーアンナやカミラのような華やかな美貌を身につけることもなかった。


 確か母はきつめの顔立ちだったが美人だったので、エレンは穏やかで優しい雰囲気の父に似たのだろうと考えている。だが彫りが深い美人の多いリュドミラではエレンの顔は平々凡々以下だろうし、そんな女との仲が囁かれたらミハイルも迷惑に決まっている。


(まあとにかく、ひとまずは仕事をして……ん?)


 にわかに正面玄関の方が騒がしくなったので、カミラの部屋に戻ろうとしていたエレンは足を止めた。

 そこにちょうどリュドミラ人の文官らしき男性が通りがかったので、彼を呼び止める。


「もし。私はエンフィールドのカミラ王女殿下の魔法薬師ですが……何か、騒ぎでも起きたのでしょうか?」


 彼は最初、エレンの濃い髪の色を見て怪訝そうな顔をしていたが、名乗ると納得がいったように頷いて教えてくれた。


「ああ、王太子妃殿下のお付きの方ですね。あちらが騒がしいのは、先ほど騎士団が帰ってきたからですよ」


 文官の言葉は少しリュドミラ風の訛りが入っているが、聞き取れないほどではない。

 騎士団、にエレンは反応し、玄関の方を見やった。


「そうなのですね。……お迎えなどをするのでしょうか」

「手が空いているのでしたら、見に行かれるとよろしいでしょう。……ああでも、今日は『首刎ね騎士』がいらっしゃるので、ご婦人にはショックが強いかもしれません」

「……『首刎ね騎士』?」


 なにやら物騒な二つ名である。

 ちっともいい予感がしないのでエレンは無意識のうちに顔をしかめてしまい、文官に苦笑された。


「『首刎ね』が誰なのかは見れば分かると思いますが、戦帰りの今はちょっと見ない方がいいでしょうね」

「そうですか。教えてくださりありがとうございます。……あの、もう一つよろしいでしょうか」

「僕で分かることでしたら」


 どうやらリュドミラの人間は、顔つきのせいか少しいかめしく見えるが、話してみれば親切な人が多いようだ。


「リュドミラ人に知り合いがおりまして。三年前には騎士をしていたので、もしご存じであれば今も勤めているのか知りたいのです。ミハイル・グストフというのですが……」

「えっ」

「えっ……?」


 一気に不安になったエレンを見、文官は少し哀れむような眼差しになった後、言った。


 ――ミハイル・グストフがまさに、その「首刎ね騎士」ですよ、と。











 リュドミラ王城前には、正方形の石を敷き詰めた馬車道が広がっている。それは城門前では大型馬車四、五台が並んで通れそうなほど幅広く、途中で枝分かれして本城、離宮、騎士団詰め所、使用人エリアなどの方角に細く伸びていく。


 馬車が通るのに適している石畳は、柔らかい靴を履いた女性が走ることを考えて作られていない。元々エレンは体力に自信があるわけでもないので、少し走っただけですぐに息が切れるし、脚もじんじん痺れてきた。

 だが、立ち止まることはできない。


(ミハイルが、「首刎ね騎士」……)


 先ほどの話を聞いて明らかに動揺したエレンに、文官は簡単に説明してくれた。


 ミハイル・グストフは一年前に主君を亡くしてから、人が変わったかのようになってしまったそうだ。それまでは少々自信家で危なっかしいところもあるが誠実で真面目な青年だったのだが、今では日々戦闘に明け暮れ、ただひたすら敵陣に切り込んで一つでも多くの首を刎ねることを生き甲斐にしているという。


 一方で出陣のない日の彼は口数が少なくて表情も凍りついており、かつての快活な姿は見る影もない。

 そんな彼に付いた渾名が、「首刎ね騎士」だった。


(そんなことに、なっていただなんて……)


 小川の側に並んで腰掛け、それぞれの主君について熱く語りあっていたときのミハイルの顔が脳裏をちらつき、エレンは唇を噛みしめた。


 そうしてふらふらになりながらたどり着いた城門前では、先ほど帰城したばかりの騎士たちが出迎えの人たちとなにやら話していた。次々に馬車が到着して荷物が運び出され、騎乗した騎士たちも城門をくぐってくる。

 騎士たちの表情が明るく、出迎える人々も弾んだ声で話し掛けている様子から、今回の戦闘の戦果はなかなかのものだったのだと想像できる。


(ミハイルは……どこだろう。もう宿舎の方に戻ったのか、まだ戻ってきていないのか……)


 回廊の柱に手を預けて息を整えつつ、エレンはあたりを見回す。

 だが、わざわざ探しに行かずとも、急にその場に訪れた異様な空気がエレンの問いに対する答えをくれていた。


 それまでは城門前に集まっていた人々が、さあっと二手に分かれる。カーテンが開かれるかのように割れた人混みの向こうからやって来るのは、騎乗した一つの影。


 リュドミラ人らしい、色素の薄い灰色の髪。それはエレンの記憶にあるものよりも少し長くなっており、風を受けてふわりと靡いている。


 それまで賑やかだった人々がしんと静まりかえる中、その人は周りの者には視線もくれず、カツンカツンと馬の蹄を鳴らして馬車道を進む。その者の纏うえも言えぬ雰囲気に、エレンは言葉を失ってしまった。


 戦闘の後で帰還する前に、一度は湯を浴びたり髪を洗ったりしたはずだ。だが彼の纏うマントは淡い紅色だったはずの布地をどす黒く染めており、銀の鎧にも簡単にはぬぐい取れそうにない黒ずんだ血しぶきのあとがはっきり残っている。


 ミハイル、と呼ぼうとした。

 だが言葉は声にはならずにため息のように漏れていくだけで、エレンはぎゅっと柱に爪を立ててぼろぼろの騎士を見つめることしかできなかった。

 彼は皆が遠巻きに見つめる中、馬の轡の向きを変える。そして少し俯いた猫背気味の姿勢で宿舎の方へ行ってしまった。


 しばらくの間沈黙していた皆は、ミハイルがいなくなってからやっと一息つき、また雑談などを再開させた。彼らは日々あのミハイルを見慣れているのか、彼が通るときは緊張した様子だったが、その後明らかにヒソヒソ話をする者などはいなかった。


「……あ、魔法薬師さん」


 背後から声を掛けられ、最初エレンは自分のことだと分からなくてぼうっとしていたが、「エンフィールドの魔法薬師さん」と言われてようやく、ゆっくり振り返った。


 そこにいたのは、先ほど立ち話をした文官だった。彼の向かう先はこことは逆方向だったはずだが、もしかすると血相を変えて走りだしたエレンを見かね、追いかけてきてくれたのかもしれない。


 小走りでやってきた文官はずれかけた帽子を手で押さえつつ、ぼんやりするエレンを見て悲しそうに眉を垂らした。


「……ご覧になったのですね。『首刎ね騎士』」

「…………ミハイルは、どうして……」

「そのご様子だと、本当に彼の知人だったのですね」


 掠れた声を上げるエレンを労しげに見た後、彼はミハイルが消えた宿舎の方へと視線を向けた。


「……ミハイル・グストフは、カヴェーリン公が旧エンフィールド王国軍の残党に殺されたことをずっと忘れられずにいるのです。我々も、公亡き後は騎士団から退くのかもしれないと思っていたのですが……もしかすると、退いた方が彼も幸せだったのかもしれません」

「……カヴェーリン公が亡くなってから、あんな様子なのですか?」

「ええ。普段はまだ物静かなだけなのですが、戦闘中は……。とりわけ、国内で旧王国軍残党が出たという知らせが入ったときは、それはもう乗り気で……今回も旧王国軍の者が地方の村で狼藉を働いているらしいという通報があった件なので、おそらく」

「……」


 エレンは何も言えず、宿舎の方を見る。


 三年前の彼が口にした「おまえが来るのなら、歓迎しよう」の言葉が、寂しく耳の奥に蘇っていた。

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