4 思いがけない事実
リュドミラ王国はかつてミハイルが説明していたように一年を通して寒冷な気候で、短い夏を終えた後は一気に気温が落ちる。そしてエンフィールドの南部では落ち葉が道を染める時季には既に雪が降り始め、冬の間はしんと冷える雪に包まれることになる。
広大な領土を持つエンフィールドのほぼ中央に、王都がある。そこからリュドミラの南西の国境を越えるまでどれほど馬を急がせても半月は掛かり、そこからリュ
ドミラ王都までとなるとさらに日数を要する。
今回は王女の輿入れということで荷物もお付きも大量に必要だったので、皆に見送られてエンフィールド王都を発ってからリュドミラ王都に着くまで、実に二ヶ月近い時間を要した。
これでも、魔法を駆使して移動速度を速めていた。だが道中に雨に降られたりカミラの体調を気遣って早めに宿に泊まったりといった措置も取ったので、真夏直前に出発した一行がリュドミラ王都の門をくぐったとき、既にあたりには秋の気配が漂っていた。
もう一ヶ月も経たず、リュドミラの秋は終わる。そして北の山脈から寒冷な風が吹いてきて、あっという間に雪の季節になるのだ。
(カミラ様の体調不良はどちらかというと魔力不安定によるものだから、冬の寒さは大丈夫だと思うけれど……)
実際、長い馬車旅だったがカミラは比較的元気そうだった。元々彼女は地方育ちで馬車での移動に慣れていたということもあるし、家族とは離ればなれになったが従姉のエレンがずっと側にいるというのも精神的に助かっているようだ。
「見て、エレン。リュドミラの建物は、エンフィールドとは全然違うのね」
そう言うカミラは、馬車の窓に手を当ててじっと外を見つめている。
エンフィールドの家屋は壁が白くて屋根がカラフルな色合いであることが多いのに対し、リュドミラの建物は黒や赤などきつい色合いをしており、また全体的に建物の背が高いという特徴があった。
(確かこれって、雪が積もったときにも建物の場所が分かりやすくするためなんだよね)
それをエレンに教えてくれたのはもちろん、ミハイルだ。薄い色合いの建物に見慣れたエレンたちにとっては少々奇抜な色合いに思われるが、雪国らしい工夫なのだと言われれば納得できる。
それをカミラに教えると、彼女は振り返って目を丸くした。
「そうなの? エレンは詳しいのね。本で読んだの?」
「……いいえ。革命戦争時代に知り合った方から伺っただけで」
「あ、それって前に聞いた、カヴェーリン公に仕えていた騎士様のこと?」
興味を惹かれたらしいカミラが座席に座り直し、きらきら輝く目でエレンを見てきた。
ミハイルのことはカミラには教えていたのだが、どうやら彼女はエレンとミハイルの仲をいいように解釈しているようで、こうして興味津々で切りこんでくるのだ。
「ねえ、ねえ。ずっと思っていたんだけれど……エレンってその騎士様のこと、好きなの?」
「……そういうわけではありません。だいたいあちらの方は、最初私が女だとさえ思っていなかったようなのですよ」
初対面で失礼なことを言われたのだが、後で聞いたところミハイルはエレンのことを少年だと勘違いしていたこともあり、ずけずけとものを言ってしまったそうだ。
確かに当時のエレンは作業がしやすいように髪を短く切り、動きやすい男物の服を着ていた。だからといって十六歳の少女を少年に間違えるなんてあんまりだと抗議したところ、ミハイルは珍しくも慌てた様子で、「リュドミラには髪の短い女はいないんだ」と言い訳をしていた。
エレンが女性であると分かってもなお、彼の態度自体はほとんど変わらなかった。「おい、エレン!」という感じで声を掛けてくるし、力加減はしているが小突いてきたりもした。
(女扱いされないのはちょっと複雑だったけれど、気さくに接してくれるのは嬉しかったな)
だからエレンも小突かれたら小突き返したし、憎まれ口も叩いた。どうせズボンを穿いているのだから草地に座るときは脚を組み、男の子のように大口を開けて笑ったりもした。
そこにあったのは男女の恋愛ではなく、年の近い友人同士の親愛の情。
騎士の命と言ってもいい剣をエレンに触らせてくれたこともあり、彼から信頼されているということだけでエレンには十分すぎるくらいだった。
それを説明すると、カミラはつまらなさそうに唇を尖らせた。
「そうなの? 残念だわ。もしエレンがその騎士様と結婚するなら、私も大歓迎するのに」
「……カミラ様」
「ふふ、冗談よ。……あ、でも、あながち冗談でもないかもね」
「どちらなのですか……」
やれやれとエレンが肩を落とすと、同乗していたエンフィールドの女性騎士やメイドたちもくすくす笑う。
窓の外は秋の冷たい風が吹くけれど、馬車の中は温かい。
王女一行の馬車は、王城へ続く緩やかな坂をゆっくりと上がっていった。
王城に到着し、休憩と着替えを挟んだ後に面会したリュドミラ王は、その場で頭を垂れたカミラを見て親しげに声を掛けた。
「よくぞいらっしゃった、カミラ王女殿下。あなた方のお越しを、心から歓迎する」
リュドミラ王であるローベルト・アドロフは今年三十六歳になったばかりの王で、三十八歳のマリーアンナよりも若い。
三年前の革命戦争でリュドミラだけが正規軍を派遣したのだが、それは諸国の王よりも若くて未熟であると自覚したリュドミラ王が、将来を見据えて箔を付けるためにマリーアンナに協力したからだと推測されている。
結果としてリュドミラ王の読みは当たり、前エンフィールド王を討ったマリーアンナは即位し、今では「革命女王」として近隣諸国にもその名を馳せている。第一王女を王太子妃として迎えることにも成功した彼は、確かな観察眼を持った君主だと言えよう。
王に促され、カミラが顔を上げる。すると王は目元を緩め、嬉しそうに微笑んだ。
「おお、実に美しい姫君だ。……アドリアンはまだ年若くてあなたに迷惑を掛けることもあろうが、どうか仲良くしてやってほしい」
「お言葉に感謝いたします。わたくしこそ王族として未熟な面も多々ございますが、王太子殿下の妃としてふさわしい振る舞いをするよう、心がけます。なにとぞよろしくお願いします」
馬車の中での気さくな様子から一転、淑やかな王女の姿を見せるカミラに、壁際で様子を見ていたエレンはほっと息をついた。
(リュドミラの陛下は、とてもお優しい方みたい。きっと、カミラ様にも寛大に接してくださるはず……)
そこでカミラが振り返って指示を出したので、エレンは頷いて前に進み出た。
カミラの半歩後ろで跪くと懐から巻物を取り出し、顔を伏せた状態で前に差し出す。
「こちら、わたくしの母であるエンフィールド女王陛下より預かった書状でございます。……女王陛下は、先の戦いでリュドミラ軍を率いたカヴェーリン公にも改めてお礼を申し上げたいとおっしゃっていました。カヴェーリン公は、ご息災でしょうか」
カミラが流暢に問うた途端、さっと謁見の間に冷たい風が流れたのが分かり、エレンはぞっとした。
(……えっ? 何、この空気?)
エレンは面は伏せたまま、視線だけであたりの気配を窺う。リュドミラの者たちがそわそわした空気を放つ中、困惑しているのはカミラも同じだったようで、視界の端に映る薄紅色のドレスがほんの少し揺れていた。
「……カミラ王女殿下の輿入れということもあり、あえてあなた方には伝えていなかった。カヴェーリン公――我が甥は、一年前に戦死した」
「えっ……」
王の静かな言葉に思わず、エレンも声を上げてしまった。
だがカミラの声と被っていたようで誰にも咎められることなく、リュドミラ王は沈痛な声で言葉を続ける。
「旧エンフィールド王国軍の者が国境付近にいると聞き、カヴェーリン公は出兵した。残党は追い払えたのだが――敵の矢が公に命中し、息を引き取ったのだ」
告げられた真実に、エレンは息を呑んだ。
旧エンフィールド王国軍というのは仕えていた先代国王の死後、新女王マリーアンナに忠誠を誓うことを拒否したか、追放されたかした者たちだ。
少し前まではエンフィールド国内でもその姿が見られたが、最近ではリュドミラを始めとした各地に出没するようになっていた。
マリーアンナも極力兵を向けるようにしていたが、リュドミラなどは険しい山岳地帯が多く王国軍では逆に不利な戦況になりかねないため、国内で出没した場合はその国の軍が討伐するようにしていたのだ。
(でもまさか、カヴェーリン公が亡くなっていただなんて……)
カミラもショックを受けたようだが、やがて弱々しく言う。
「……そ、そうだったのですか。申し訳ありません、配慮が足らず……」
「それはこちらの台詞だ。……マリーアンナ女王陛下には伝えているが、カミラ王女の輿入れやエンフィールドとの関係に支障を来すことを考慮なさったのだ。もちろん、旧王国軍の蛮行の責任をマリーアンナ女王陛下に問うことはしない。甥が、自らの意志で剣を取り、戦士として果敢に戦った証しだと思っている」
「……かしこまりました。カヴェーリン公の勇敢な魂が女神様の御許で安らかに眠られることを、祈っております」
カミラは、エンフィールドの形式に則った祈りを捧げた。
リュドミラにはリュドミラ教会というものがあり、エンフィールドとは崇める神も祈り方も違う。それをカミラも分かっているが、あえて彼女は「エンフィールド王女」として戦死者の魂が報われるよう祈った。
その気持ちはリュドミラ王にも通じたようで、彼は「祈りの言葉、感謝する」と優しく言った。
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