3 ミハイルとの記憶
エンフィールド王国第一王女であるカミラ・レジーナ・アディンセルと、リュドミラ王国王太子であるアドリアン・アドロフの婚姻はすぐにまとまり、数ヶ月の後にはカミラがリュドミラに渡ることになった。
王族同士の婚姻としては異例の早さだが、かの国は他国と比べて積雪期が長く、出発のタイミングを見誤ると雪で道を閉ざされてしまうからだ。そのため、夏のうちに話をまとめ、秋の間にエンフィールドを発つのがよいだろうということになった。
ちなみに花嫁のカミラは十五歳で成人の一歩手前だが、相手のアドリアンはまだ十四歳で、親の許可さえあれば一応結婚できる年だが、本当の夫婦になるのはまだ早い。
だがリュドミラ側からの熱心な言葉掛けがあったため、結婚誓約書は書くが向こう二年間は婚約者同然の関係で過ごすことになった。カミラは王太子妃として、アドリアンは王太子として勉強していきながら、まだ若い二人が少しずつ距離を縮めるのがいいだろうという話になったのだ。
カミラとしても、いきなり幼い夫と同衾しろと言われても戸惑ってしまう。だが二年間は婚約者としてお互いのことを知って想いを積み重ねていこうということで、彼女も納得したのだ。
(リュドミラ、か……)
出発を半月後に控えた日の夜。
王城にある自室で片づけをしていたエレンは、棚の奥であるものを見つけて作業の手を止めた。
それは、古びた小さな薬箱だった。
魔法薬師として、エレンは様々な種類の薬を常備している。毎日カミラに処方するものは決まっているので持ち運びがしやすい鞄型の薬箱に入れているが、自室にも何種類か置いていた。
今見つけた薬箱は三年前の革命戦争時に愛用していたものだが、中の仕切り板が外れて使えなくなってしまった。
捨てるのも忍びなくて何となく保管していたのだが、それを何気なく手に取ると――ふと、かつて過ごした日々のことが思い出された。
エレンの父は傭兵だったが五年ほど前に王国軍に捕まり、謀反者の疑いで惨殺されたという。
それに怒り狂った母は周りの制止も聞かずに町から飛び出し、王国軍の基地の一つを魔法で派手に破壊した後、行方不明となった。父と違って遺体は見つからなかったが、生きている可能性は限りなく低いだろうから諦めた方がいい、とエレンは諭された。
一気に両親を亡くしたエレンを支えてくれたのは、「マリア叔母様」と「テレンス叔父様」だった。
(女王陛下は、「もうあなたのような子を生み出さないために、私たちは革命を起こす」っておっしゃっていたっけ……)
マリーアンナが革命軍を結成して間もなく、エレンは十六歳の誕生日を迎えた。当時既に魔法薬師見習いとして活動していたが、魔法の師匠だったテレンスの許可を取った上で、革命軍の魔法薬師として働くようになった。
(そうして……あの人と、知り合ったんだっけ)
目を閉じて思い出すのは、日の光を浴びて鈍く輝く灰色の髪と、挑戦的な赤茶色の目。
マリーアンナ率いる革命軍のもとには各国から支援物資が届いたが、リュドミラ王の甥であるカヴェーリン公・ボリス率いるリュドミラ騎士団も加わった。
リュドミラの人間は総じて体の色素が薄く、髪は金髪か銀髪が多かった。そして険しい山岳地帯を領土に持つからか身体能力に優れた剛健な者が多い中、エレンはわりと細身の騎士を見かけた。
二十歳そこそこの彼は騎士団の中でもとりわけ若く、顔立ちが整っていることもありなんとなくエレンの視線も彼に注がれてしまう。その不躾な眼差しが不快だったのか、彼は第一声でエレンに「鬱陶しい」と、文句を言ってきたのだ。
確かにじろじろ見ていたのは失礼だっただろうが、「鬱陶しい」まで言わなくてもいいだろう。そう思ったエレンはすぐに謝罪する気にはなれず言い返し、結局その日は口論になってリュドミラ騎士に止められる羽目になった。
だが翌日、彼は神妙な顔でエレンのもとに謝りに来た。彼はカヴェーリン公の腹心で、エレンが主君に害を為す者なのではないかと早とちりしてしまったそうだ。
エレンがカミラのお抱え魔法薬師であると知ったらしい彼が謝ったので、エレンもカッとなって言い返したことを詫びた。そうして話をするうちに、偉そうで口の悪い人だと思った彼は思ったよりも真面目で、芯の真っ直ぐな人なのだと分かった。
ミハイル、と名乗った彼とはその後も、しばしば話をするようになった。あるときには食事の席で、あるときには休憩中に小川の前で、互いのことや自分の仕える主君、自分の国についての話をする。
ミハイルは平民階級から叩き上げで騎士になった実力者で、主君・ボリスとは共に剣術を学んだ仲だという。当時十九歳という若さで正騎士として軍に加われたのも、その実力と忠誠心の高さを買われてのことだったそうだ。
ミハイルはボリスのことを心から尊敬しているようで、いつも主君の自慢をしていた。だからなんとなくエレンも負けたくなくて、カミラのことを自慢した。
当時エレンは混乱を避けるためにカミラの従姉であるということを公表していなかったので、ミハイルとの立ち位置は似たようなもので、自然と距離が縮まったのだと思う。
(……戦争が佳境に入ると、ミハイルとも話せなくなったけど……最後にしゃべったとき、リュドミラに来たら歓迎する、って言われたっけ)
あのとき、エレンは不覚にもときめいてしまった。
だがミハイルの顔を見ると、「ああ、この人は恋愛云々とかじゃなくて、故郷の自慢をしたいだけなんだな」とすぐに分かったので、どきっとしてしまったことは胸の奥に叩きこんでおいた。
あれから間もなく戦争は終わり、リュドミラ軍はすぐに故郷に帰っていった。エレンはミハイルの姿をちらっと見たが、別れの挨拶をすることはできなかった。
(それにしてもまさか、こんな形でリュドミラに行くことになるとは思っていなかったな)
年季の入った薬箱を撫でながら、エレンは窓の外を見た。
ミハイルは今、どうしているのだろうか。
彼は今でも、カヴェーリン公に仕えているのだろうか。
あの頃から優秀な騎士だったから、今ではとんとん拍子に昇格しているのかもしれない。
「……ちょっとでも話ができたら、いいな」
三年前にしばらく行動を共にしただけの相手のことを、彼も覚えてくれているかは分からない。
だがもし覚えているようなら、「遊びに来たよ。歓迎してくれるんでしょう?」と友人をからかうことくらい、許されるのではないだろうか。
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