14 突然の訪問者と紫の花
昼食後に再び研究室に入り浸って報告書を書いていたシェリルだったが、慌てた様子の使用人が駆け込んできた。
「失礼します、お嬢様。お客様です!」
「はっ!? え、本当に来たの!?」
まさかリンジーの言ったとおりになるとは、と目を丸くしつつ、シェリルは立ち上がった。
「どちら様? 念のために聞くけど、事前の知らせもないわよね?」
「はい、あちら方も、急な訪問で申し訳ないとおっしゃっていましたが……おいでになったのは、ミルワード夫人の使用人です」
「ミルワード? ……いえ、それってまさか――」
最初は眉根を寄せたシェリルだったが、思い当たることがありさっと顔つきを険しくした。
エンフィールドの貴族に、ミルワードの名を持つ者はいない。
ミルワード家は裕福な一般市民階級で――先代国王の妾妃・マーガレットの実家だ。
下級侍女の身分から王の寵愛を受けて妾妃に上り詰めたマーガレットは、マリーアンナによって王家から追放されており、現在は実家の家名を取ってミルワード夫人と呼ばれている。
つまり、今来訪しているのは元妾妃――エグバートの養母にあたる女性の使いなのだ。いくら突撃訪問とはいえ、無下にできる相手ではない。
(リンジーに言われたとおり、最低限の身だしなみを整えておいてよかった!)
まさかの相手の来訪に驚くが、今は女主人として対応しなければならない。
すぐにシェリルは作業用に付けていたエプロンを外して服装を軽く整え、茶の仕度を使用人に命じるとリビングに向かった。
(ミルワード夫人……噂にしか聞いたことがないな)
一年前の革命でマリーアンナによって討ち取られた、第一王子。
その生母である夫人だが、王城から追放された今もなお、大人しかった王妃とは正反対の明るい元妾妃のことを慕う者はいるとか。
(エグバート様の養母ということだけど、全然話に上がらなかったし……)
いい話も悪い話も、エグバートはしていない。だが彼だってまさかこんなに早く、養母の使者が屋敷を――しかもシェリルしかいない時間に来るとは思っていなかっただろう。
ひとまず応対し、用件を聞かなければならない。
リビングでは、身なりのいい男がシェリルを待っていた。
四十代くらいだろう彼はシェリルを見ると立ち上がり、お辞儀をした。
「急な来訪をお許しください、ウォルフェンデン男爵令嬢。私はミルワード夫人の使いとして参った者でございます」
「お初にお目に掛かります、シェリル・ウォルフェンデンです。わざわざお越しくださり、ありがとうございます」
来るなら事前に一言言え、という文句は胃の中に押し込み、上品な笑みを返した。
相手は夫人の使者だから、今回のやり取りを逐一夫人に報告することになるだろう。もしシェリルが失態をかませば、「ウォルフェンデン男爵令嬢は、ろくでもない小娘でした」と言われてしまう。
(言いたいことはたくさんあるけど……ひとまず乗りきらないと)
使用人が茶を持ってきたので、二人とも腰を下ろしてまずは茶と菓子を楽しむ。男爵家でもとっておきの最高級茶菓子を出したのだが、ひとまず何も言わずに食べてもらえたので、一安心だ。
「それで……何かお急ぎの件でもございましたか?」
むしろ急ぎの用があるからこそ来たのだろうな、ということを言葉の裏に隠して問うと、男性はそつのない笑顔で肩をすくめた。
「急ぎというほどではございませんが。ミルワード夫人は、ご子息のエグバート様と結婚なさった男爵令嬢のことを非常に気にされていまして、ご様子を伺いたく思われているのです」
「……それは、ミルワード夫人のお気遣いに感謝します」
本音は、「その程度の用事なら事前に連絡くらい寄越せ」なのだが、シェリルはここ一年ほどで身につけた鉄壁の笑顔でおほほ、と笑った。
「見ていただいて分かれば嬉しいのですが……私はエグバート様と結婚できて、とても幸せに感じております。エグバート様はお優しくて紳士的で、私にはもったいないくらいの素敵な男性です」
「そのように伺えて安心しました。ミルワード夫人は、日を改めてぜひ、男爵令嬢にご挨拶をなさりたいとお思いのようです」
「まあ、そうですの。私もお慕いする夫の養母であらせるミルワード夫人にはぜひ、ご挨拶がしたくて。エグバート様ほど素敵な方の母君ですから、きっととても素晴らしいお方なのでしょう」
本音は「別に会いたくない」なのだが、最低限の社交辞令は必要だと分かっているので応じつつ――ほんの少しだけ、針を仕込んでおいた。
妾妃の噂は、全く聞かない。
だが――結局のところ、王妃亡き後にエグバートを引き取った妾妃がいたというのに、エグバートは冷遇され、心ない渾名で呼ばれていたのだ。
つまり少なくとも、妾妃はエグバートを中傷から守ってあげなかった。もしくは、守れるほどの力がなかったということではないか。
それに、もしエグバートが妾妃のことを母として敬愛しているのなら、一度くらいは話題に出たはずだ。それがないということは――
無邪気を装ったシェリルの言葉に、使者のこめかみがぴくっと動いたのが分かる。
だがなおもシェリルがにこにこしていると彼は、シェリルに悪意がないと思ったようで、うっすらと微笑んだ。
「ええ、ご想像のとおり、王宮を照らす春の日差しと呼ばれるほど明朗で、皆から慕われる素晴らしいお方です。男爵令嬢も夫人にお会いすればきっと、そのお人柄に感銘を受けられるでしょう」
「そうですね。ではいずれ、ご挨拶に伺わせてください。せっかくですので、父も共に参りましょうか?」
「……いえ、夫人は女性同士で茶席を囲みたいとお考えですので、男爵令嬢と水入らずでのご挨拶の場をご所望です」
(……なるほど、父様には会いたくないのね)
まあ確かに、華やかな茶席にディーンが参加すれば、その場は北の大地リュドミラ王国の冬のごとく冷えきるだろう。
シェリルとしてはディーン同伴の方がありがたかったのだが、きっと断られるだろうと思っていたので意外には感じなかった。
「ああ、そうです。先日もご結婚祝いの品は贈らせていただきましたが……改めてミルワード夫人より、男爵令嬢へ贈り物がございます」
「まあ」
使者の男は鞄の中から、小綺麗な包装紙に包まれた小さな箱を出した。
確かに既に、夫人からの贈り物はもらっている。エグバートと一緒に見たのだが、中身は結婚祝いとして無難な、見事な装飾が施された花瓶だった。
今回の箱は、とても小さい。しかも平べったいので、これに入るものといったらハンカチなどの服飾小物程度だろう。
「ありがとうございます、ありがたくいただきます」
「男爵令嬢に喜んでいただけて、嬉しく思います。……では、本日はご挨拶でしたので、このあたりで失礼します。また日を改めて、招待状を送らせていただきます」
「かしこまりました」
そうして、突然の訪問者を丁重に見送り――
「っあー! 疲れた!」
「お疲れ様です、お嬢様」
「お茶をお持ちしました」
「お菓子はこちらに」
「ずっとひっつめた
ソファに伸びたシェリルのもとに、素早く使用人たちが駆けつけてくる。
彼らはシェリルが応対している間、息を潜めて廊下で待機してくれていたようで、皆の思いやりにシェリルの目尻が熱くなった。
「ああ、皆、ありがとう……お茶、お菓子、おいしそう……」
ひとまず皆の厚意に甘え、シェリルは堅苦しく結っていた髪を解き、茶と菓子で胃と心を満たすことにした。
(貴族の奥様やお嬢様って、こういうのを毎日やっているんだ……私なら、肩が凝ってしまいそう……)
所詮成り上がり貴族の自分には無縁だろうと思っていたのに、エグバートを婿にした途端にここまで変わるとは。
(でも……うん。これからも同じようなことが起こるかもしれないし……私が失敗すれば父様やエグバート様の迷惑にもなってしまうから、頑張らないと)
冷たい茶と甘い菓子を胃に送ると、だんだん気持ちも落ち着いてくる。
そうして目に入ったのは、先ほど受け取った贈り物。
(中身、何だろう)
箱の小ささと薄さのわりに、重量はある。振っても音はしないが、中で大きめのものが動いている気配はした。
(うーん……髪留め、とかかな?)
予想したシェリルはリンジーに箱を渡し、開封してもらった。
包装紙を外した中は薄っぺらい木箱で、その蓋を取ると――
「へえ」
「ま、まあ!」
「これって……!」
ああ、やっぱりこれだったか、とのんびりするシェリルとは対照的に、リンジーたちが裏返った声を上げた。
箱の中身は、立派な髪飾りだった。大輪の紫の花を模した飾りが付いており、華やかで贅を凝らした造りになっている。
これほど立派なものはさすがに手持ちにもないのでシェリルはしげしげと見ていたが、周りの者たちはざわついている。
「……お嬢様。これはある意味、嫌がらせではないですか」
「これが? ……まあ、確かに、私の趣味じゃないわね」
紫の造花は艶やかで美麗だが、シェリルの焦げ茶色の髪には全く似合わない。せめて紫にするにしてももう少し薄い色合いにすればよかっただろうが、この紫色はきつすぎる。
色は仕方なかったとしても、妖艶な大人の女性ならばうまくコーディネートできたかもしれない。
だが、色っぽくも艶っぽくもない、むしろどちらかというと芋っぽいシェリルには過ぎた品であろう。
(うーん……ミルワード夫人はどういう意図で、私にこれを贈ったんだろう?)
シェリルの髪の色やだいたいの容姿などを全く調査せずに服飾品を贈ることはないだろうから、シェリルの見目がどのようなものか分かっていてこれを贈った可能性が高い。
となると使用人の言うように、似合わないと分かっていて嫌がらせで贈ってきたのか、もしくは夫人はとてつもなく天然で、本気でシェリルにこの髪飾りが似合うと思って選んだのか。
(夫人本人に会ったことはないけれど……あの使いの人の態度はあんまりよくなかったし、前者なのかなぁ)
シェリルとしては、一応義理の母にあたる女性とはそれなりにうまくやっていきたいと思っている。かつては国王の愛妾として王宮で権力を振るっていた彼女も、今では身分を没収されたただの女性だ。
エグバートの実母でもないのだから、彼女が今後権威を取り戻すことはない。だからこそマリーアンナも、妾妃は処刑せず放置しておく方針にしたのだろうが。
(……エグバート様に、相談しないと)
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