12 シェリルの魔法研究①
本日からエグバートは、女王の補佐として登城することになる。
「不良品」だとか「廃品」だとかいう失礼な修飾語を付けて彼を呼ぶ者もいるようだが、騎士や使用人などからいまだに人気があるというエグバートを側に置くというのは、女王にとっても賭けなのかもしれない。
だがエグバートは「できることをしなければならないからな」と言い、気合いを入れて仕度を始めた。手が空いているので、シェリルも彼の着替えを手伝うことにする。
(……う、わぁ……上着、大きい……)
これから彼は騎士ではなく文官の立場で女王に仕えることになるので、支給された制服も騎士団服ではなく文官用のコートだった。
ハンガーに掛けられていたそれを手に取ったシェリルはまず、その大きさに驚いた。壁に掛かっているのを見ているときから、やけに裾が長いな、とは思っていたが、実際に手を取ると袖も長いし、その分重量もある。
シェリルがコートの肩の部分を掴んで目の高さに持ち上げると、裾が床を擦ってしまう。これをシェリルが着れば、ずるずると裾を引きずって歩くことになりそうだ。
シェリルが大きなコートを持ってしげしげと眺めていると、こちらに背を向けてウェストコートのボタンを留めていたエグバートが振り返り、くすりと笑った。
「そんなにじっと見て。文官のコートを見るのは珍しいかな?」
「い、いえ。コート自体は見たことがあるのですが……エグバート様のお召し物がこんなに大きいとは思っていなくて」
丈が長いだけでなく、胴回りも大きい。エグバートと同じ身長で細身の男性がこれを着ても寸法が合わず、胸元がガバガバになってしまうだろう。
それを聞いたエグバートはまばたきし、コートを持つシェリルの手元をじっと見て、つと眉を寄せた。
「……私にとってはぴったりのサイズなのだが、シェリルが着れば長さが余ってしまいそうだな」
「そうですね。……あ、すみません。今、お着せしますね」
「ああ、すまない」
ちゃんと妻として仕事をしなければ、と思って、こちらに背を向けたエグバートに歩み寄った。
シャツの上にウェストコートを着たエグバートの背中は広くて、背中の筋肉の盛り上がりがよく分かる。シェリルはアリソンと違って筋肉マニアではないのでそれぞれの筋肉の名前はよく分からないが、特に肩付近のたくましさが見事だ。
(正面から抱きついても、腕が回らないかもしれない……って、何を考えているんだ、私!)
ぶんぶんと頭を振って妄想を払い、背伸びをした。
腕を伸ばせばかろうじて両手が彼の肩に届いたのでコートを掛けると前に回り、胸元のボタンも留める。
「できました。……騎士団服も素敵でしたが、文官服もよくお似合いですよ」
「そうか? ありがとう。正直、自分が文官の仕事をするなんて自信がないのだが……そうも言っていられないからな」
素直に褒めるとエグバートは微笑み、そっとシェリルの頬に右手を添えた。
髪はささっと結っているだけなので、耳の横から一房髪の束が垂れている。
エグバートはその感触を楽しむように指先で擦り合わせた後、青の目を細めると身を屈め、ちゅ、とシェリルの額に唇を押し当てた。
「ひゃっ……!?」
「可愛い反応だ。……そろそろ時間なので、行ってくる。着替えの手伝い、ありがとう。今日は夕方には戻れるはずだから、あなたと一緒に夕食を食べるためにも、頑張ってくる」
「は、はい。いってらっしゃいませ……」
エグバートは爽やかに微笑むと、使用人たちを伴ってリビングを出ていった。
残されたシェリルはしばし呆然とした後、そっと額に右手をあてがう。
そうすると、夫の唇の柔らかい感触が蘇るようで――
(……ま、魔法、魔法研究! えっと、この前の図式が……!)
頭の中で魔法の図式を組み立てて精神統一しようと試みるシェリルだが、リビングを出るその足取りはふらふらしており、小説に出てきた「王子様からのおでこへのキス」で骨抜きになっているのは明らかだった。
魔法は、「体に流れる魔力を具象化させる」ことで発動させることができる。
魔道士たちは、「魔力をどのように加工するか」を想像し、その想像内容を具現化するように魔力を組み立てるという訓練を受ける必要がある。
これには生まれたときに備えていた魔力だけでなく、いわゆる「加工」の才能が求められた。
魔力は持っていても、「加工」ができないため魔道士になれなかった者も存在する。
そういった者たちは魔法薬師などの職に就くしかないので、「加工」できるかできないかは、その人の将来を大きく左右させる要素になる。
シェリルは生まれたときから魔道士としての才能が高めで、子どもの頃は隣町に住んでいた老魔道士に師事していた。
彼の死後は独学で腕を磨いていたが革命軍に加わってからは王配テレンスに教えを請い、「君は前線戦闘魔道士より、研究者の方が向いているかもしれない」と言われたのだ。
シェリルも、魔法を使って戦うことはできる。だがどちらかというとデスクに向かい、あれこれ魔法の理論を考えたり、魔力を蓄積できる石――魔法石の研究をしたりする方が、性に合っていた。
(……それにしても、本当にこれだけもらえるなんて……)
屋敷の一角にある、シェリル用の魔法研究室。
元々は物置を想定して造られたそうだが、角部屋に当たるここは玄関からも遠く、直射日光も当たらない場所なので、静かに集中して研究するのはぴったりの場所だった。
普段から古本の魔道書や書きかけの書類などが積まれている部屋だが、今ここには比較的新しい木箱がいくつか置かれている。
これらは王配テレンスから届いたもので、添えられていたカードには「謝礼だよ」と書かれていた。
謝礼――エグバートの婿入りを承諾したシェリルは、研究資金をもらったのだ。
テレンスによると「お金でもいいし、ものの方がよければこちらで手配して送るよ」ということだったので、新しい魔道書や魔法石を注文したのだった。
婿を取る謝礼として、金をもらう――潔癖な人からすると眉をひそめるようなことかもしれないが、これに関してはエグバートも納得しているようだったし、部外者にとやかく言われたくはない。
テレンスが注文してくれた魔道書はどれも最新のもので、魔法石は大粒なものも多くて純度も高かった。
魔道書は、いわゆる魔法研究のための教本だ。「こういうふうにすれば、こんな魔法が使えますよ」という教科書のようなもので、著者によって考え方が違う上、いくら高名な魔道研究者が執筆したものでも「自分とは合わなかった」というのはざらにある。
よって、自分の魔法の癖と合ったものを見つけるためにも、とにかく様々な魔道書を読む必要があるのだ。
そして魔法石は、一見すると透明な真珠のような石だ。魔力の強い地域で産出されるらしく、元々は岩石のような形のものを砕いて手頃な大きさにし、削って形を整える。
形は、丸ければ丸いほど性能が高くなる。だがその分加工も難しくなり、壊れやすくもなるため、四角いものと丸いものでは値段の桁が明らかに違う。
今回テレンスは、小さめの木箱二つ分の魔法石を準備してくれた。片方の箱には四角形に削ったものが多めに入っており、もう片方にはほぼ球体に加工した魔法石が十個程度、綿にくるまれた状態で入っていた。
(四角いのは普段の研究用に使って、丸いのは論文を書くときに使えばいいな。ありがとうございます、殿下!)
お礼の手紙は既に書いているが、改めて感謝の意を伝えておこう、と決めたシェリルはほくほくしながら四角い魔法石をデスクに並べた。
球形のものよりも安価な魔法石だが、実験用に使うには十分すぎるくらいだ。
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