11 婿と舅の会話

 夜になると、ディーンが帰宅した。


「おかえりなさい、父様」

「おかえりなさいませ、男爵」

「……ただいま帰った」


 シェリルとエグバートは玄関で並んで立ち、ディーンを出迎えた。シェリルの方を見るときのディーンは表情を緩めたが直後、隣に立つエグバートに視線を移すときは、真顔になった。


(うーん……やっぱりまだ、お互い警戒しているのかな)


 シェリルとしては、養父と夫には早く仲よく――とまではいかずとも、ピリピリせずに過ごせるようになってもらいたいと思っている。


 エグバートの方は心を砕いているようなので、どちらかというとディーンがエグバートを強く警戒している様子だ。自分のいない間にシェリルがエグバートにいじめられるとでも思っているのだろうか。


 そのまま三人で、微妙に会話が続かない夕食を取り、食後の茶も飲む。


(せめて、二人で膝を突き合わせて話せる機会があればいいんだけど……)


 ……と思っていたら、意外なところでチャンスが訪れた。


「……その、シェリル」

「どうしたの、父様」


 今朝方々ほうぼうから自宅宛てに届いた手紙を読んでいたディーンが顔を上げたので、茶菓子のクッキーを摘んでいたシェリルは首を傾げた。手紙で何か気になるところでもあったのだろうか。


「……この後、エグバート殿と少し話をしようと思っている」

「えっ。エグバート様と、ですか?」

「……ああ。一度、彼とはしっかり話をせねばと思っていた」

「そうなのね。あ、じゃあ私は席を外せばいいね?」

「えっ」


 それまでは黙っていたエグバートが声を上げた。そんなに意外だったのだろうか。

 だが、シェリルとしては非常に喜ばしい展開である。


(私に最初に声を掛けたってことはきっと、私には席を外すよう頼むつもりだったんだね。これで、父様とエグバート様が腹を割って話すことができれば……!)


 エグバートは青の目を彷徨わせていたがディーンが頷いたので、よし、とシェリルは空になったカップを手に立ち上がった。


「それじゃあ私、先にお風呂に入ってくるわ。それでいい?」

「ああ、ゆっくり入ってきなさい。……エグバート殿も、それでいいな?」

「……はい、もちろんです。では、シェリル。また後で」

「ええ。……父様は怖い顔だけれど、真面目なだけでとても優しいから、大丈夫ですよ」


 はっきり言いつつもエグバートはどことなく強張った顔をしていたので、そっと彼の耳に唇を寄せてワンポイントアドバイスをした。


 視線だけで城塞都市の城壁を破壊できそうなディーンだが、ただ単に頑固で口べたなだけなのだと、シェリルは知っている。アリソンも、「最初は怖いお兄さんだと思ったが、接し方が分かればなんてことなかったな」と言っていたものだ。


(お風呂上がりには、いい話が聞ければいいな)


 上機嫌のシェリルは最後に一度エグバートの肩をそっと撫でてから、使用人も促してリビングから一緒に退出した。












 ドアが閉まり、リビングには男二人だけが残される。


 エグバートは、つい先ほど耳元で囁いた妻の愛らしい声と甘い吐息、肩に触れる優しい手の平の感触を思い出して破顔しそうになり――正面のディーンが殺人的な目で睨んできたため、すうっと表情を引き締めた。


 エグバート以上に太い腕を分厚い胸の前で組み、じっとこちらを睨んでくるのは、かつて自分を打ち倒した猛将であり、自分の養父である男。


 シェリルはああ言っていたものの、申し訳ないがエグバートには彼が「真面目なだけでとても優しい」男だとは思えなかった。


「エグバート殿」

「はい」


「今ここで死ね」と言われることすら覚悟していたエグバートだが、ディーンはその後かなり沈黙した後、ぽつんと娘の名を唇に載せた。


「……あの子の様子は、どうだ」

「シェリルの……ですか」


 エグバートはきりっと顔を引き締めると姿勢を正し、早朝に廊下で鉢合わせしたところから朝食を作ってくれたこと、一緒に贈り物を見て話をしたことなど、なるべく丁寧に説明した。


 ディーンは半分目を閉じ、頷きながら話を聞いていた。

 そしてエグバートが報告を終えると、「そうか」と低く唸った。


「……今日は忙しくて趣味の魔法研究をする時間はなかったようだが、新生活に戸惑っている様子ではないのなら、それでいい」

「妻には本当に、よくしていただいております」


 下手に「男爵の教育のたまものですね」などとは言わず簡潔に述べると、ディーンはその言葉が気に入ったようで、一つ頷いた。


「……俺は、屋敷にずっといられるわけではない。そして、貴殿のことを完全に信用しているわけでもない」

「はい」

「今日もジャレッドを向かわせたが、やつにも勤務があるゆえ、普段から屋敷と城を往復させるわけにはいかない。だが俺はあの子の叔父として――今は養父として、シェリルと貴殿がつつがなく暮らせているかどうかを案じている」

「なるほど」

「そういうわけで」


 すっと顔を上げたディーンは、足元に置いていた大きな鞄を膝に載せ、がさごそと中を漁った。


 何を出すつもりなのか、と固唾を呑んで見守っていたエグバートだが、やがてディーンは一冊の本を取り出した。


「……男爵、それは……?」

「今日、市で買った無地のノートだ」

「無地のノート」

「……交換日記をしよう」

「交換日記」


 エグバートが反芻すると、ディーンは頷いてノートをテーブルに置いた。

 どこで買ったのかは分からないが、表紙が革張りになっている、一冊だけでもそこそこ値が張りそうな品である。


「……シェリルは子どもの頃、字の練習を兼ねてアリソン――幼なじみの少女と、交換日記をしていた。貴殿はこれにシェリルの様子を書き、俺のもとに届ける。そうすれば俺は城で勤務する日も、エグバート殿がシェリルにどのように接しているのかがよく分かる」

「……」


 エグバートは、ぎゅっと眉を寄せた。


 澄んだ青の双眸で何かを見据えようとしているかのようにじっとノートを見た後――彼は、顔を上げて言った。


「それは……素晴らしい提案です」


 ここにシェリルがいれば、適切な突っ込みを入れてくれたかもしれない。

 だが、くそ真面目がくそ真面目に対してずれたことを提案しても、くそ真面目な返事しか返ってこないのである。


「男爵はご多忙ですから、たとえ私が女王陛下の補佐のために登城しても、ゆっくり報告をする機会がありません。しかしこの交換日記を使えば、直接お会いできずとも従者などに託すだけで、シェリルの報告をすることができます」

「そういうことだ」

「かしこまりました。では謹んで、男爵との交換日記をさせていただきます」


 そう言ってエグバートは恭しい態度で革張りのノートを受け取った。

 たかがノート一冊だが、エグバートはそれからずっしりとした重みを感じる。


「……シェリルに聞かれると没収されそうだから、内密に届けるように」

「かしこまりました。お任せください、男爵」


 エグバートは使命感を胸に、はっきりと言った。










 翌日の朝食後、ディーンは城に戻ることになった。


「次に戻れるのがいつになるかは、分からない。だが、帰れそうな日は事前に連絡を入れよう。エグバート殿と、仲よく過ごせ」

「うん、分かった。父様も、気を付けてね」


 玄関先でそうやり取りをし、ぎゅっとハグをする。


 さすがにエグバートとディーンはハグはしなかったし相変わらずどこか警戒しあうような態度だが、それでも昨夜よりはお互いの纏う雰囲気が柔らかくなったと、シェリルは思っている。


 ちなみに昨夜どんな話をしたのかは、ディーンに聞いてもエグバートに聞いても教えてくれなかった。

 問い詰めようとしたらディーンがさっさと逃げたので逃げ損ねたエグバートを捕まえたのだが、「男同士の秘密だ」と色っぽく囁かれ、シェリルが動揺した隙に風呂場に逃げられてしまったのだった。


(……まあ、仲よくなってくれるのなら別にいいけれど)


 それにしても去り際、ディーンがエグバートに「例のものは機密として、厳重に封をしてから届けるように」と言っていたのは、いったい何のことだったのだろうか。

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