10 元王子から見た男爵令嬢について

 質素なぼろを纏って牢獄に繋がれていたエグバートのもとにやって来たのは、まさかの女王・マリーアンナだった。


『エグバート・ブレンドン・ストックデイル。おまえに選択肢を与えよう』


 女王は肩先で切りそろえた赤茶色の髪をさっと払い、呆然とするエグバートに言った。

 色々言われたが要するに、エグバートが選ぶことができたのは「騎士団長の娘と結婚して女王の補佐として生き延びるか、ここで死ぬか」だった。


 もしここにいるのがあのプライドの高い異母兄だったら間違いなく、「農民女の婿になって女王の靴を舐めるくらいなら、死を選ぶ」と断言しただろう。

 だが、生きることで自分の価値を見出したい、父も兄もいないエンフィールドを見てみたい、と思っていたエグバートは、結婚を選択した。


 その後彼は牢から出されて風呂に放り込まれ、伸び放題だった髭や髪を整えた。久しぶりにまともな食事を取り、騎士団服に着替える。

 相手の男爵令嬢もこの話に興味を持ったようで、すぐに面会することになったのだ。


 ちなみにこの時点でエグバートに与えられていた「シェリル・ウォルフェンデン」の情報は、田舎出身で、元々は叔父だったディーン・ウォルフェンデンの養女になり、今は魔法の研究をして暮らしている、二十歳の女性、ということくらいだった。


 悲しいかな、エグバートは気遣いはできる男だし服飾センスなども悪くないのだが、変なところで鈍感で想像力が欠如している。

 そういうことで彼は漠然と、革命戦争で自分を打ち倒したあの巨漢がそのまま女になった姿を想像していた。


 さて、どれほど筋肉質な女性なのだろうか、自分は初夜で手足をねじ切られたりしないだろうか、などと考えながら、ジャレッドを伴って客間に向かったエグバートだが。


 むっつり不機嫌顔のディーンの隣に座る若い娘を一目見て、「誰だこの妖精は」と言いそうになった。


 シェリル・ウォルフェンデンはエグバートが見る限り、ちっとも養父に似ていなかった。

 柔かそうな焦げ茶の髪に、ぱっちりとした大きなヘーゼルの双眸。オレンジ色のドレスは派手すぎず子どもっぽすぎず、彼女の瑞々しい肢体にぴったりだった。


 予想外のことに思わずエグバートが動揺しそうになると、シェリルは急ぎ立ち上がり、ちょこんとお辞儀をした。


『お初にお目に掛かります、エグバート様。ウォルフェンデン男爵の娘、シェリルでございます』


 とてつもなく、可愛らしい声だった。

 未来の花嫁(仮)の愛らしさに負けずに、ちゃんと貴公子然とした挨拶を返せた当時の自分を、褒め称えたい。


 シェリルは緊張しているのか、挨拶のキスを求めたエグバートの返事に、「よろしい」などではなく、「ください」と口走ってしまっていた。


 あなたのキスをください。

 言い間違いとはいえ、こんなに嬉しいことを言ってもらえるとは思っていなかった。


 ディーンに促され、二人はソファに座った。

 ディーンの隣に並んだシェリルは本当にちんまりとしており、彼女と結婚してスキンシップを取ったら自分の巨体で押し潰してしまうのではないかと不安になってきた。


 その後のやり取りでは、シェリルは緊張した様子で、ディーンは明らかに威嚇するつもりで、接してきた。

 いくら女王の命令とはいえ、愛娘を元王子ごときにやりたくない、というディーンの意志をビシビシと感じ、エグバートは気を引き締める。


 だがこのときにはもうエグバートは、シェリルと結婚する意志を固めていた。

 田舎の女性はがさつで礼儀がなっていない、と貴族たちは言っていたが、シェリルは慣れないながらにも礼儀正しく振る舞おうと努力しているのが分かり、好ましい。しかも自分のことは謙遜し、「廃品王子」であるエグバートに気を配っている様子さえ感じられた。


 もっと自信を持てばいいのに、と思いながらエグバートは、彼女に要望などがないかと問うた。

 身分も金も失う自分を引き取ってくれる彼女のため、できることなら何でもしたいと思うようになっていたのだ。


 そんなエグバートの質問に対してシェリルが求めたのは、「恋愛から始めたい」ということ。

 エグバートはまさかそんなことを願われるとは思っていなかったが、シェリルは真剣だった。


 ……彼女がこれまで異性と縁のない生活をしてきたのは間違いなく、養父が原因なのだろうが、ちらっと見たらものすごく怖い顔で睨まれた。


 だが、エグバートとて若い頃から剣術に打ち込み、他の騎士たちが女性と遊ばないかと誘ってきても丁重に断り、己の身を鍛えることに専念していた。

 ジャレッドは「エグバート様って、普通にモテてるんですよ」と言うが、女性との色恋にうつつを抜かしていればいつ異母兄に弱味を握られるか分からない日々だったので、女性と関わることもほとんどなかった。


 そんなエグバートも、恋愛には興味がある。

 悲しいかな経験はないので年上とはいえシェリルをリードできないかもしれないが、普通の恋人たちがするようなことを重ねながら、シェリルとの心の距離を詰めていきたい、と思った。












 あれからもう一ヶ月か、としみじみ思うエグバートだが、なおもジャレッドはおかしそうに笑っている。


「いやー、傑作でしたよ。まさかエグバート様が、自分の未来の嫁はガチムチ筋肉まみれだと思っていただなんて」

「……あの時点では『ウォルフェンデン男爵の姪で、養女』ということしか聞いていなかったのだから、仕方ないだろう」

「いや、普通はそんなこと思わないですよ。というかもしお嫁さんが予想どおりの人だったら、どうしたんですか」


 含みのある笑みを浮かべたジャレッドの問いに、エグバートは「ん?」と首を傾げた。


「どうもこうもないだろう。予想どおりの女性だった、ということで結婚していただろう。……ただ」

「はい」

「……こうして私がこの屋敷で穏やかに過ごせているのは間違いなく、シェリルがシェリルだったからだ。そういう点で考えるのならば……シェリルがあのように小柄で愛らしい、妖精のような女性でよかったと思っている」

「はは、そりゃよかったですね。いやいや、まさか俺が騎士をやっていけている間に、エグバート様のノロケを聞くことができるようになるとは」


 ジャレッドはからからと笑い、茶を一口飲んでからふと真面目な顔になった。


「……本当に、あなたが生きていて、よかった」

「……」

「革命戦争中も、俺の頭の中を占めていたのはあなたが生き延びられるか、ということだけでした。先代国王の飼い犬状態だったうちのクソ親父とクソ兄貴たちはさっさと死んでくれたし、俺も生き延びることにそれほど執着心はない。だが……あなたが生きているのなら、俺も死ぬわけにはいかないって思ってました」

「……君の忠誠心には、本当に感謝している。ご母堂も、きっと聖女神の御許で安心なさっているだろう。……だがそれにしても、君はもう少し、自分の幸福を追求した方がいい」

「何をおっしゃってるんですか。……親父にも兄貴にも見捨てられた俺を拾い上げてくれたのは、あなたです。俺、まだその恩を返しきれてないんですよ」


 ジャレッドは心配そうな顔のエグバートにもからりと笑ってみせ、自分の心臓付近をとんとんと親指で指した。


「俺にとっては、あなたの幸福が一番です。母も、フィオレッラ王妃殿下の忘れ形見であるあなたのことをとても気にしていたようですし……あなたにウザがられようと、これからもお仕えしますからね」

「君のことを鬱陶しがるつもりはない。気持ちは分かったが……それでも、私だって君には幸せになってもらいたいと思っているということだけは、分かってくれ」

「……はい、そうします」


 ジャレッドは苦笑して頷き、「あ、そうだ」と思い出したように手を打つ。


「騎士団長ですけど、今日は夜に帰宅なさるそうです」

「男爵殿か。分かった、私も心の準備をしておこう」

「そうしてください。なんか騎士団長、エグバート様に相談したいことがある、って言われていたんで」


 ジャレッドの言葉につい心が揺らぎかけたエグバートだが、十数年の騎士団生活で鍛えた精神力をもって心を落ち着け、茶を啜った。


 ディーンは現在、エグバートの中での「勝てそうにない人ランキング」で堂々たる一位に輝いている。

 ひとまず、今日が自分の命日にならないようにしよう、とエグバートは肝に銘じたのだった。

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