9 陽気な騎士
まったりと午前中を過ごした後の午後、ウォルフェンデン男爵家に賑やかな来訪者があった。
「こんにちはーっす、エグバート様! 相変わらず筋肉モリモリですね!」
「男爵の部下が来るとは聞いていたが、ジャレッド、君だったのか……」
シェリルと一緒に彼を迎えたエグバートは、やれやれといった様子だ。
今日の午後から、ディーンからの使いの騎士がやってくるので応対するように、とは聞いていた。そうして訪れたのは、弾けるような笑顔を備えた青年騎士だった。
茶色の髪は小粋な感じに整えており、青の目はきらきら輝いている。エグバートやディーンほどではないが彼もなかなかの体を持っており、騎士団服の胸を飾る勲章から、それなりの立場の者であることが分かった。
(……あ、そういえばこの方、初めてエグバート様にお会いしたときに部屋にいたっけ……)
シェリルがじっと見つめていると、こちらを見た青年はにっこりと愛想よく笑ってお辞儀した。
「お久しぶりです、お嬢様。俺はジャレッド・エマニュエル・キャラハンと申します。そこにいるエグバート様とは、寄宿舎学校時代からの仲です。いわゆる、腐れ縁ってやつですね」
「そうでしたか。お久しぶりです、ジャレッド様。シェリル・ウォルフェンデンでございます。……一ヶ月前にも、お会いしましたよね?」
「あっ、嬉しいな、覚えていてくれましたか! おっしゃるとおり、お嬢様が初めてエグバート様に会われた日に同席したのが、俺です」
そこでジャレッドはエグバートを見、くいっと自分の肩越しに背後を親指で示した。
「騎士団長から、お使いです。結婚祝いのものとか手紙とか、色々。運び込ませればいいですか?」
「ああ、そうしてくれ。っと、すまない、シェリル。リビングに通してもいいだろうか」
「ええ、もちろんです。贈り物、楽しみですね」
きっとシェリルの知人たちから、色々なものが届いているはずだ。
そう思って言ったのだが、エグバートは苦笑するだけだった。
ジャレッドの指示で馬車からリビングへと、贈り物が運ばれてくる。それらは既にディーンが一度チェックしているようで、一覧も添えられていた。
(アリソンに、エレン。これはグレンダからで……あっ、カミラ様からも!)
贈り物のほとんどは、シェリルの革命戦争時代の知人たちからだった。
彼女らのほとんどは王都に留まり、カミラの部下として働いていたり城に勤めたりしている。中にはもう結婚した者もいるが、ほとんどは戦争での手柄に応じ、マリーアンナから仕事を賜っているはずだ。
……懐かしい面々からの心のこもった贈り物には、頬が緩んだ。
だが――
(エグバート様へのは……すごく少ない)
この場にいるジャレッドからは、「ほい、これ俺からです」と目の前で渡されているが、その他にエグバートの知人から届いたものはほとんどない。騎士団時代の同僚らしき者からが数個で、後は蟄居しているという妾妃・マーガレットからだけだった。
(……そうだ。エグバート様は冷遇されていて――)
そんなの分かりきったことなのに、先ほど「楽しみですね」とのんきなことを言った自分が憎らしい。
だがエグバートはシェリルを見ると、苦く笑った。
「やはり、私宛てのは少ないな」
「……すみません、無責任な発言を――」
「気にしなくていい。……あなたも知っているだろうが、私はずっと城内での鼻つまみ者だったのだ」
待望の王妃の子ではあるが、そのときの王城は既に、寵姫である妾妃の天下となっていたという。元々王妃は体が弱くて味方も少なく、しかも生まれたエグバートは魔道士の才能を持っていなかった。
国王と王妃は政略結婚だったが、王妃の実家である異国の公爵家は失策により、かなり前に取り潰し処分を受けたそうだ。
国王に冷遇され、兄王子からも馬鹿にされる第二王子にわざわざ構う者は、ほとんどいなかった。真面目な性格から騎士や使用人には慕われていたようだが、いわゆる政治的な味方となるような者は存在しない。
「私はね、革命戦争が終わるまでは『不良品王子』と呼ばれ、敗戦後は『廃品王子』と呼ばれていたんだ。王族のほとんどが魔法を使えるというのに、母である王妃は隣国の優秀な魔道士だったというのに、魔力を持たない私は不良品。そして革命戦争では無様に生き残り、王族から追放された廃品、ということだ」
「……何それ! あんまりじゃない!」
思わず敬語も落とした大声を上げてしまったが、エグバートは穏やかな表情で肩をすくめた。
「期待の王妃の子だというのに皆の希望に添えなかった私に、世間の風当たりが強いのは当然のことだ。とはいえ、いくら冷遇されたとしても私は腐っても王子だ。面と向かって攻撃されたり罵声を浴びせられたりしたことはほとんどないし、食べるものに困ったこともない。だから、せめて体を鍛えて国のために役立とうとしたのだが……うまくはいかないものだな」
「……」
「ああ、女王陛下や男爵のことを恨む気持ちは、全くないよ。むしろこれがエンフィールドにとってよかったのだし、私は惨めったらしく生き延びはしたが、ようやく国のためにこの身を役立てられるようになった。それに……可愛らしい花嫁と出会うこともできた」
そう言ったエグバートが、そっとシェリルの手に触れた。
知らないうちに拳を固めていたシェリルの手は、二回りも大きなエグバートのそれに楽々と包まれる。
「戦で死んでいたら、もしくはあのまま獄中で死を選んでいたら、私はそれこそ役立たずの廃品のままだっただろう。だが私を倒した男爵は私にとどめを刺さず、女王陛下も私に選択肢を与えてくださった。生きていれば私を廃品と呼んだ者たちを見返すこともできるし、こうして愛らしい妻と共に暮らし、おいしい料理を食べることもできる」
「見返す……ですか」
「泥臭いだろうか?」
「まさか! 私も協力しますから、どんどん見返しちゃいましょうよ!」
王子時代は冷遇されてきて、生き延びた後も男爵令嬢ごときに婿入りするという、プライドの高い者なら自死を選ぶかもしれないような境遇。
だが、エグバートは腐らずに前を向いている。
寂しそうな表情はするが、だからといって「あのとき死ねばよかった」とは言わない。
(すごく立派で、強くて……眩しい人)
しかし、見ているとその生真面目さを称えたくなる一方で、無理をしないかと不安になってしまう。
それなら、シェリルにできる形で彼を支えたい。
料理でも、魔法でも、何でもいい。彼を支えられる妻になりたいと、心から思った。
ジャレッドはこれから城に戻るので、もしすぐに手紙の返事を書けるようなら持って帰り、城仕えをしている者たちに届けると言った。
それを聞いたシェリルはいそいそと自室に上がったので、彼女を待つ間、ジャレッドや従者たちはエグバートがもてなすことになった。
男爵家の使用人たちは皆ディーンが採用したそうだが、人がよくて明るく、親切な者たちばかりだった。多くの者は先代国王に搾取された階級の者たちで、革命軍の一員で英雄扱いされているディーンやシェリルに仕えられることを心から嬉しく思っているようだ。
そんな彼らは、若旦那になって二日目のエグバートの指示にもよく従ってくれる。変に遠慮されたりするよりは気さくに接してくれる方がエグバートもやりやすいので、既にこの屋敷の雰囲気が気に入っていた。
「……それにしても、エグバート様のこんな顔が見られて、よかったですよ」
茶を飲みながらのんびりしていたジャレッドがそう言ったので、向かいの席に座っていたエグバートは眉根を寄せ、自分の頬に手を当てた。
「……今の私は、そんな滑稽な顔をしているのか?」
「滑稽ではないです。なんと言うか……幸せそう、って感じでしょうか」
「私はそんなに、幸せそうに見えるのか」
ジャレッドに言われるまで気付かなかったので、エグバートは素直に驚いた。
確かに、不良品扱いされていた王子時代よりは、肩の力を抜いて過ごせているとは思う。だが、そこまで自分の態度が表情に表れているとは思っていなかった。
「……そうか。もしそうなら間違いなく、シェリルのおかげだ」
「ええ、そうでしょうね。……くっ」
「どうかしたのか?」
「いえ、つい、初めてエグバート様がお嫁さんと出会った日のことを、思い出しまして」
「……ああ、あの日のことか」
肩を震わせてくつくつ笑うジャレッドの言葉に、エグバートは約一ヶ月前の日のことを思い出す。
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