8  朝ご飯の準備②

 シェリルが作った朝食は、エグバートにたいそう喜ばれた。


「お口に合ったのなら、よかったです。質素かもしれませんが、量だけはあるので遠慮なく食べてください」

「そんなことはない。可愛らしい妻が作ってくれた料理を食べられるなんて、私は本当に幸せ者だ」


 そう言って向かいの席で微笑むエグバートだが、彼はまずひととおりシェリルの腕前を褒めた後、素晴らしい食欲を見せてくれた。


 元々エグバートの体格を考慮して多めに作っていたのだが、彼はよく食べる。とにかくものすごく食べる。


 シェリルの皿に載ったものの三倍はありそうな量のベーコンの塊を一瞬で平らげ、ピリ辛風味のドレッシングの掛かったサラダももりもり食べる。

 それでいてカトラリーを操る手先は優雅で、まだあまり慣れないテーブルマナーを守ろうと四苦八苦するシェリルが呆然とするほどだった。


(私の方がゆっくり少量を食べているのに、エグバート様よりも品がない……)


 一応マナーとして教わってはいるのだが、男爵令嬢になって一年程度のシェリルでは、生粋の王子様に並べるはずもない。


 だんだん恥ずかしくなってシェリルはちまちまと野菜を口に運ぶが、クリームを挟んだパンを既に五個は食べていたエグバートが手を止めた。


「シェリル、食欲がないのか?」

「……いえ、そんなことはありません。元々、私は小食なので」


 実は嘘で、戦闘員であるディーンやアリソンほどではないがそれなりにシェリルも食べる。おかげで自分の体はそこまでスマートではないのだが――それはいいとして。


 今はとにかく、マナーのなっていない自分の食事風景を見られるのが恥ずかしくて、どうしても小食になってしまった。


(後でエグバート様がいないときに、ちょっとお菓子でも摘もうかな……)


 そう考えながら笑顔で誤魔化そうとしたシェリルだが、途端にエグバートは表情を消し、バターナイフも置いてしまった。


「……本当にそうなのか? もしかして、私が阿呆のように食べるから君が遠慮してしまったのではないか?」

「あほ……えっ? そ、そんなことないですよ!?」

「そうか? ……あなたが作ってくれたものだからとついがっついてしまったが、それでもしあなたの食欲を奪っているのなら……」

「あの、本当にそうじゃないんです!」


 エグバートは、とても真面目な青年だ。だがディーンと同じく、少々頑固な面もあるようだ。


 ということは、シェリルがきちんと説明しないと彼はこれ以上料理に手を付けてくれず、昼食なども遠慮してしまうかもしれない。

 立派な体躯を持つ武闘派の男に満足に食べさせないなんて、妻として――というか人として失格だ。


 観念し、シェリルは肩を落として口を開いた。


「……実は、エグバート様のお食事風景を見ていたら……恥ずかしくなって」

「……。……わ、私の食事する姿は、そんなに見苦しかったか?」

「そうじゃありません! あなたがとても洗練された所作で召し上がるものだから、付け焼き刃のマナーしか身についていない自分が恥ずかしくなってしまったのです」


 少なくとも、下品ではない程度のマナーは子どもの頃から教わっていた。だが所詮、田舎娘が精いっぱい背伸びした程度のもの。


 国王たちからは冷遇されてきたようだが、王子として育ったエグバートからすると、シェリルの努力なんて子どものおままごと以下だろう。

 豪勢にかっ込もうと品を失わない彼に、「所作の汚い女だ」と思われるのでは、と不安になっていた。


 そういうことをぽつぽつと語るうちに、エグバートの眉が垂れ、分厚い肩が下がっていった。


「……なんだ、そういうことか。そんなこと、気にしなくていい。ここは王城の晩餐会会場でも高位貴族の大邸宅でもないのだから、自分のやりやすいように食べればよいだろう」

「でも……見苦しくないですか?」


 不安が拭いきれず、シェリルは問うた。


 一代限りの男爵家の娘であるシェリルが今後、王家主催の晩餐会や高位貴族の夕食の席に招かれることは、ないだろう。

 だが、だからといって雑に食べればいいわけではない。自分の目の前には、マナーのお手本のような夫がいるのだから。


 シェリルの言葉に、エグバートはしばし考え込んだ様子だった。


「……正直に言わせてもらう」

「はい……」

「先ほどあなたが食事をする姿を見ていたが……非常に好ましいと感じた」

「……好ましい?」


 思わず聞き返すと、エグバートは神妙な表情で頷いた。


「あなたがテーブルマナーに慣れていないというのは、見ればすぐに分かったし、これまでの経歴を考えると仕方のないことだ。だが……あなたは一生懸命マナーよく振る舞おうと努力し、小さな口で咀嚼し、遠慮がちに食べていた。本当に小食だというのならばそれはそれでいいのだが、慎ましく食事をするあなたの姿はとても可愛らしく、いじらしく、微笑ましいものだった」

「……」


 この人は何を言っているのだ、と問いたくなる気持ちを抑え、シェリルはまばたきする。


「もちろん、礼儀やマナーはできていればいるほど、周囲の者に与える印象はよくなるだろう。だが、不慣れなことを無理にする必要はないと、私は思っている。あなたはつい数年前まで一般市民だったのだから、貴族の食事マナーに慣れていないのも当然だ。もしあなたが気を付けていきたいのなら私も手を貸すし、肩肘張った食事をするのが苦痛ならば、今のままでも構わない」

「……そう、なのですか?」

「少なくとも、今ここにいるのは私とあなたと使用人たち、そして――もし増えるとしてもウォルフェンデン男爵くらいだ。父君は、あなたの礼法について厳しくおっしゃっているのか?」

「……いえ、全く」

「そうだと思った。ならば、無理に背伸びしなくていい。今のままでも、私はあなたのことを不快だとはちっとも思わない」


 エグバートの言葉は、真面目だからこそ誠意に満ちており、ただのお世辞ではないとすぐに分かった。

 だからこそ言葉はシェリルの体にすうっと染み渡り、意固地になりかけていた気持ちを解きほぐしてくれる。


「……ありがとうございます、エグバート様。そうおっしゃっていただけて……嬉しいです」

「私は当然のことを言ったまでだ。……それで? あなたは本当に、小食なのか?」

「……じ、実はもう少し食べたいなぁ、って思って。でも、あなたに嫌われたら嫌だから、遠慮しようと思っていて」

「そうだろうと思った。どれ、私がよそおうか」

「えっ、悪いですよ」

「これくらいいいだろう。……ほら、皿を貸しなさい」


 サラダ用の大きなトングを手にしたエグバートに言われ、シェリルは渋々――だが内心嬉しく思いながら、彼に皿を渡した。


(ちゃんと話ができて、よかった……)


 それはエグバートも同じだったようで、その後の朝食で彼はかいがいしくシェリルの世話を焼き、ついにシェリルが「もう大丈夫です!」と言うまで、彼は至極楽しそうに給仕をしていたのだった。

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