7  朝ご飯の準備①

 エグバートと別れて厨房に降りたシェリルは使用人たちに挨拶をし、早速エプロンを身につけた。使用人たちも準備万端で、「若旦那様のために、頑張りましょうね!」と気合い十分である。


(若旦那様……そっか、そういうことになるか)


 世間一般での意味の「若旦那」とは少し違うかもしれないが、彼らにとっての「旦那様」はディーンで、シェリルは「お嬢様」だ。そのお嬢様の夫なのだから、若旦那様……と呼ぶのが妥当なのだろう、多分。


 既に火はおこし、野菜の下ごしらえなどもしてくれている。ここまでされていると後は焼いたり煮たりするだけなのだが、「ここから少しずつ慣れていきましょう」と言われた。


(確かに、野営中のご飯はもっとワイルドだったから、勝手も違うよね……)


 ちなみにシェリルは魔道士なので、野営中は魔法で豪快に火を熾して調理をしていたが、屋内でそれをやると火事が起きやすいので、推奨されていない。


 大きな塊のままのベーコンがあるので、厚めに切る。まずは弱めの火にしてフライパンでしっかり火を通し、中まで焼けてからはこんがり焦げ目を出すために火を強くし、さっと表面だけを炙った。じゅわじゅわと溢れた肉汁がはね、少々脂っぽくも香ばしい匂いが厨房に満ちる。


 野菜はざくざくと切って器に盛り、ドレッシングを作る。ドレッシングには追加で、ぴりりと辛い香辛料を刻んだものを入れた。

 これでエグバートの好きな味に近づいただろうし、香辛料の赤みが加えられたドレッシング液を見るだけでもなかなかきれいだ。


 昨日のうちに作って寝かせていたパンを焼き、切れ目を入れる。エンフィールドでは、パンに切れ目を入れてバターやジャム、クリームなどを挟んで食べることが多い。


 今回はつぶつぶの果肉が入ったベリーのジャムと、ヨーグルトクリームを準備した。

 水分を切ったヨーグルトと泡立てたクリームを混ぜ、ボウルを冷やしながらかき混ぜる。通常ならば氷水に浸しながら混ぜるのだが、せっかくなのでボウルの側面に触れた左手で魔法を発動させて冷気を放ち、右手の泡立て器で混ぜることにした。


(こういうとき、魔法が使えて便利だと思うんだよね)


 エンフィールド王国で生まれた者が魔力を持っている可能性は、三割程度。だがその能力はまちまちで、魔力は持っていてもそれを扱う素質のない者もいる。

 シェリルのように問題なく様々な魔法を操り、研究までできるほどとなるとほんの一握りになるだろう。


(もっと研究を進めて、いつか――)


 考えごとをしながらもきちんと手は動き、滑らかなヨーグルトクリームができた。それぞれを小さめの器に盛って食器を準備し、リビングに運ぼうとしたところで玄関のドアが開く音がした。


(鍛錬が終わったのかな?)


「エグバート様?」

「ああ、シェリルか。いい匂いがする。食事の用意ができたのかな」


 リビングから玄関の方を見ると、ちょうどエグバートがドアを閉めたところだった。寝室の前で会ったときはぱりっとしていたシャツは汗でしっとりしており、癖のある赤金髪もくたっとしている。


 夫のそんな姿を見て……これはどういうことだろうか、とシェリルは疑問に思った。


 作業後、汗を掻いた男たちの姿なんて、故郷の村でも革命軍でも見慣れたものだ。汗まみれの泥まみれの男たちからは相応の臭いがし、中年女性たちに「臭いから早く川に飛びこんでこい!」と追いやられていたものだ。


 だが同じように汗を掻いているエグバートだが、むさ苦しいどころか爽やかなのである。

 暑さのためかシャツのボタンを数個外しており、鍛えられた胸筋が覗いている。顎を伝う汗さえ涼やかで、乱れた前髪を掻き上げる仕草からは色気さえ感じられる。


(な、なんというか……私の夫、すごく色っぽい……)


 まさか訓練後の汗まみれの姿を見て打ちのめされるとは思っていなくて、シェリルは中途半端な姿勢で片手にトレイを持ったまま、硬直してしまった。


 エグバートはシャツの裾を引っ張って汗を拭い――その拍子に割れた腹筋が見え、シェリルは卒倒するかと思った――固まってしまったシェリルを見、眉を寄せた。


「……そんなところで立ち止まって、どうかしたのか?」

「……い、いえ……」

「……あっ、もしかして臭かったか? すまない、すぐに湯を浴びてくる!」

「そうじゃないです! そうじゃないですけど……えっと、お風呂場ならあっちです!」


 まさか「あなたの色っぽい仕草に、打ちのめされていました」なんて言えなくて、ひとまず風呂場の方へ促した。

 途中から使用人が出てきてくれたので案内を任せ、リビングに戻ったシェリルはトレイを置き、はーっと長いため息を吐き出した。


「男は、筋肉だ。筋肉があってなんぼだ」と言うアリソンと違い、シェリルは別に筋肉に萌える趣味はない。ひょろひょろよりはしっかりしている体付きの人がいいな、と思うくらいで、筋肉を見てうっとりする性癖もなかったはずだ。


 ところが、先ほどの自分は間違いなく、エグバートに見惚れていた。

 困惑したとか、気まずかったとか、嫌だったとかではない。間違いなく見惚れ、どきっとして、「あ、格好いい」と思ってしまった。


(で、でも確かに、エグバート様は格好いいし! 王子様だったから品もあって、優しくて、私なんかよりずっときれいなお顔をなさっていて……)


 そう自分に言い聞かせるが、まだ胸はどきどきしている。

 それに、シェリルが先ほど「格好いい」と思った対象は、ただの赤の他人ではないし、シェリルは高嶺の花を遠目から見て叶わぬ憧れを抱いているわけでもない。


 エグバートは、シェリルの夫なのだ。

 今はまだディーンのストップが掛かっているが、いずれエグバートと共に寝て、抱きしめられることになるはずなのだ。


(う、うわ、うわぁ……)


 ずるずると脱力して壁に寄り掛かってしまったシェリルを見、料理を運んでくれていた使用人が「お嬢様!?」と困惑している。


「体調が悪いのですか!?」

「い、いえ。大丈夫よ……うん、そうだ。エグバート様がお風呂から上がるのに合わせて、朝食を始められるようにしないと!」


 よし、と気合いを入れ、シェリルは立ち上がった。

 それでもやはりまだ、頬は熱かった。

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