5  結婚式と初夜について①

 結婚式は、王城にある聖堂で行われる。

 これはエグバートの元王子という身分を考慮してというより、参列する王配と王女に足労を掛けないためだった。

 巨大な聖堂に参列者として呼ばれたのはたった四人だが、瑞々しい花やキャンドルの明かりが聖堂を彩っており、寂しい雰囲気はない。


(結婚式は白いドレスっていうのは、いつから始まったことなんだろう)


 花嫁であるシェリルのために準備されたドレスは、非常に美しい。肌の露出は極力控えており、ふわりと広がったオーバードレスの裾からごく淡い水色のスカートが覗いているくらいで、あとは白一色だ。


 一ヶ月掛けて丁寧に手入れをした艶やかな髪は冠のように結い、雄しべを切り取った淡い黄色の生花を飾っている。レース編みのベール越しの世界は少しぼやけており、聖堂の静謐な雰囲気がいっそう引き立てて見えるようだ。


 シェリルの隣に立って司教の到着を待つエグバートは、白いシェリルと対照的な暗い色合いの軍服を着ていた。これから彼は騎士の身分すら返上するらしく、軍服を着るのもこれで最後になると言う。


 引き締まった体躯をより魅力的にする軍服姿のエグバートを横目で見ていると、視線に気付いたらしい彼がこちらを見、ふわりと微笑んだ。


「……緊張しているのか?」

「……いえ、思いの外」

「そうか。……こういう、質素で温かみのある式も、いいものだな」


 あたりを見回したエグバートが感慨深げに呟いたところで、初老の司教が到着した。


 エンフィールド式の結婚式は、やることはかなり少ない。司教の質問に答える形で結婚の宣誓をして聖女神に祈りを捧げ、宣誓書にサインをする。


 ……先ほどエグバートに問われた際は強がったのだが、いざペンを持って名前を書くとなり、ペン先が震えていることに気付いた。


 エグバートが記した「エグバート・ウォルフェンデン」の名の横に、「シェリル・ウォルフェンデン」とぎこちなくサインする。

 生まれたときから付き合っている「シェリル」の名だというのに、誓約書に書かれたその字はなんだか、自分とは全く別人の名前のように思われた。


「お二人の名は、聖女神様によって認められました。それでは永遠の愛情を聖女神様に誓う印として、口づけを」


 司教が誓約書を女神像の前に置いて口づけを促したので、シェリルはどきどきしながらエグバートと向かい合った。


 きれいな顔ときれいな目を持つ男がシェリルを見下ろしているのが、ベール越しに見える。

 だが彼の大きな手がベールを掻き上げると一気に視界が晴れ、穏やかな微笑みを浮かべる夫を前に、シェリルはかっかと頬が火照るのを感じた。


 唇を震わせて硬直するシェリルを見てどう思ったのか、エグバートはくすりと笑うとシェリルの両肩に手を置き、身を屈めた。


「……私の愛を、あなただけに捧げる」


 男らしく低い声で囁いた唇が、そうっとシェリルのそれに重ねられた。


 ――二十年生きてきて初めての口づけをした感想は、「この前食べたお菓子みたい」だった。


 エグバートの唇はシェリルのものよりも硬くて引き締まっているようだが、優しく重ね、口紅を剥がさない程度に押し当てるとすぐに離れていった。


 小説には、初めてのキスは甘いとか書かれていたが、あれは嘘だ。ただし甘くはないが、菓子のように柔らかいものなのだと、シェリルは知った。


 唇を離したエグバートは、微笑んでいた。シェリルにしか聞こえないような微かな声で「可愛らしい人」と囁かれてまたしても頬が熱くなるが、彼に背中を支えられて慌てて、参列者の方に向き直る。


 魔法の師匠であるテレンスは微笑んでおり、その隣に座る王女カミラは興奮のためか頬を赤く染め、目を丸くしてこちらを見つめている。すらりとした軍服姿のアリソンは真剣そうな顔で、シェリルと目が合うとこっそり手を振ってきた。


 ちなみに、アリソンの隣に座るディーンは非常に険しい顔をしていたが、シェリルがじっと見つめると硬い表情のまま頷いてくれた。


 ……こうしてシェリルは約十五分の式により、人妻になったのだった。












 結婚式を終えた日の、夜。


「俺はこれから城に戻るが……おまえたちに言っておきたいことがある」


 結婚式用の軍服から普段用の制服に着替えたディーンが腕を組んで言うので、エグバートだけでなくシェリルも緊張して、養父の言葉を待った。


「な、何かあった?」

「……夜の過ごし方についてだ」


 ディーンに言われ、シェリルは思わずエグバートと顔を見合わせた。

 彼も軍服からゆったりとした私服に着替えており、少し困ったようにシェリルを見てきた。


「おまえたちの仲が険悪と言うほどではないのは、俺も知っている。だが……シェリル、おまえはエグバート殿と恋愛から始めたい、と言っていたな」

「うん、言ったけど……」

「ならば、今のおまえたちは新婚夫婦とはいえ、交際を始めて間もない男女も同然だ。となれば、いきなり同衾するのはよろしくないだろう」


 ……何を言っているのか、とシェリルは肩をすくめた。


「父様……それはそうだけど、私たちは結婚したんだよ。それなのにわざわざ寝室を分ける必要はないんじゃないの? ベッドだって、もう準備しているんだし」

「だが……」

「あ、まさかエグバート様のことを疑っているの?」

「そ、そうではない。だが俺は、おまえのことが心配で……」

「私はもうそこまで子どもじゃないよ」

「わ、分かっている。だが……」

「シェリル嬢……いえ、シェリル」


 親子の不毛なやり取りに、エグバートがやんわり割って入ってきた。

 彼はそっとシェリルの肩を抱き寄せ、優しい笑みを向けてくる。


「ディーン殿のおっしゃることも、もっともだ。今すぐに同衾せねばならないという法律もないし、まずは寝室を分けるべきだと私も思う」

「え、でも……」

「見てのとおり、私はあなたよりずっと体が大きいし、まだこの屋敷の寝具にも慣れていない。間違っても、寝ている最中にあなたを押し潰すことがあってはならないし……可愛い花嫁の側で熟睡できるほど、私も大人ではないんだ」


 最後には少し照れたように言われ、シェリルの頬も釣られて熱くなった。


 二人は恋愛から始めるのだから、いきなり夫婦として密接に関わりあうことはしないようにしよう、とは手紙のやり取りの中でも確認しあっていた。

 シェリルとしても、美貌の夫にいきなり抱かれる覚悟はできていないし、エグバートだってまだよくも知らない女を抱きたくはないだろう。


(……もしかしてエグバート様、私のことを気にして――?)


 そっと視線で伺うが、エグバートは柔らかい笑みを浮かべるだけだった。

 そうして彼はディーンの方を向き、軽く頭を下げた。


「……男爵殿の大切なご息女の意に添わぬことは、決していたしません。おっしゃるとおり、シェリルと同衾するのはまだ先のことにし……今はこの屋敷での生活に慣れ、ご息女と友好な関係を築けるように努めたいと思います」

「……」

「シェリルも、それでいいかな?」


 エグバートに問われたシェリルは、少し言葉に詰まってしまった。

 エグバートの言うことももっともだし、ディーンがシェリルのことを気遣う気持ちも分からなくもない。


(それに……私も、隣にエグバート様がいて安眠できる自信がないし)


「……分かりました。エグバート様がおっしゃるのなら、そうします」

「……」

「ということだから、父様も安心して行ってきてね」

「……分かった」


 そこでやっとディーンも納得してくれたようで、ちらっとエグバートを見た後、屋敷を出ていった。

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