2  元王子様との出会い①

 ディーンが革命戦争の褒美として与えられたウォルフェンデン男爵邸は、王都の隅っこにある。

 本当はもう少し中心街に近くて立派な屋敷を与えられる予定だったのだが、人混みが嫌いなディーンと、静かな環境で研究をしたいというシェリルの意見が一致したため、閑静な場所に立つ小さな屋敷に変更になったのだ。


 ここで働く使用人は、たったの五人。ディーンはたいてい、王城にある騎士団詰め所で寝泊まりしているので、シェリルの世話ができる人員だけで十分だったからだ。


 そんなウォルフェンデン男爵邸から王城までは、馬車で二十分ほど。


(……ここに来るのも、革命戦争終了時以来かも)


 シェリルは革命戦争に、前線戦闘が可能な魔道士として参戦した。積極的に人を傷つけるのは好きではないが、魔法の壁を作って敵の攻撃を弾いたり、負傷者の手当をしたり、簡単な炎上網を作って敵の進軍を止めたりと、色々な場面で活躍した。


 その後、マリーアンナの即位を大広間の隅で見届け、ディーンが騎士団長位と男爵位を授与されるのも見守ったので、久々に足を踏み入れた王城の様変わりに思わず、あたりをきょろきょろ見てしまった。


 戦争終結直後は荒れ果てていた城内も今はきれいに整えられ、庭園にも花が咲き乱れている。そこで働く人々の表情も明るく、「革命女王」と呼ばれるマリーアンナの方針が多くの人に受け入れられている様子で、ほっとした。


 今日、シェリルは件の元王子に会うということで、ディーンからもらったっきり一度も袖を通さなかったドレスを着、いつもは雑にまとめるだけの髪もきちんと結った。


 着替えを手伝ってもらった女性使用人は、やっと男爵令嬢をきれいに整えられるということでとても嬉しいらしく、今朝はうきうき上機嫌の彼女によって着せ替え人形よろしく遊ばれてしまった。


(でもおかげで、元王子様に初っぱなから嫌がられそうな見た目にはならなくなったかな……?)


 元王子の到着を待つ間、客間でシェリルは窓ガラスに映る自分の姿をじっと見てみた。


 濃い茶色の髪は下ろすと腰まであるが、今は優美に結ってまとめられている。前髪も整えているので、少し目尻が吊り上がったヘーゼルの目もよく見えた。


 ディーンが贈ってくれたオレンジ色のドレスは色こそ少し可愛らしすぎるが、フリルやレースを少なめにした大人っぽいデザインなので、二十歳で着ても違和感はない。無骨で世間の流行に疎そうなディーンだが、案外服飾センスは悪くないのかもしれない。


 そのディーンは先ほどからシェリルの隣にて、鬼神の像のように立っている。騎士団長の制服を着る養父はとても格好よく、出発前にそれを言うと「……そうか。ありがとう」と優しく応えてくれた。


 だが今の彼は太い両腕を組み、唇を真横に引き結び、元王子の到着を待っている。元王子がやってきた途端、腰から下げた長剣でその首をばっさりやってしまいそうな勢いである。さすがにそれはないと思うが。


「お待たせしました、ディーン・ウォルフェンデン男爵、ならびにシェリル・ウォルフェンデン様。エグバート・ブレンドン・ストックデイルをお通しします」


 そう言ったのは、騎士団服姿の若い男だった。少し粋な感じのする彼はディーンを見ると黙礼してディーンも気さくな感じに頷いて応えたので、もしかするとディーンの直属の部下なのかもしれない。


 若い騎士の案内を受け、背の高い男が入室してきた。

 シェリルはいつの間にか口内に溢れていた唾をごくっと呑み、その人を見つめる。


 ディーンよりは、背が低いだろう。だがそもそもディーンの身長が桁違いなだけで、この男性もかなりの長身で、しかも非常に体格に恵まれていた。

 騎士団の制服を着ているが、バッジも勲章も何も付いていない。隣に立つ若い騎士とはそもそもの服のサイズが違うようだがそれでもなお、胸元はきつそうに張っている。間違いなく、シェリルよりも胸囲が大きい。


 筋肉の塊、という表現がぴったりな体躯を持つ彼はしかし、かつてシェリルがアリソンと一緒に読んだ小説に出てきた王子様に負けないくらいの美貌を持っていた。


 癖のある赤金髪を今は紐で結んでいるが、下ろせば肩くらいまでありそうだ。きりりとした眉の下でシェリルを見下ろす目は、晴れ渡った秋の空のように澄んだ青色。肩から下こそ筋肉尽くしだが、むさ苦しい感じは一切しない。


 涼やかな美貌を持つ元王子は、シェリルを見てつと眉を寄せたようだ。

 そこでやっとシェリルは自分が座ったままだったと気付き、慌てて立ち上がって淑女のお辞儀をした。


「お初にお目に掛かります、エグバート様。ウォルフェンデン男爵の娘、シェリルでございます」

「お初にお目に掛かる。私はエグバート・ブレンドン・ストックデイル。女王陛下よりあなたとの結婚を命じられた、幸福な男だ」


 元王子・エグバートの声は、少し掠れた低音だった。同じ低音でも淡々としゃべることの多いディーンと違い、エグバートの声には艶があり、真正面からその美声を受けたシェリルの背中がぞわぞわっと粟立った。


(す、すごい、いい声……)


 シェリルが硬直しているとエグバートはくすりと妖艶に笑い、その場に跪いてシェリルの左手を取った。


「出会いの記念に、あなたの御手に口づける権利をいただいても?」

「……は、はい。ください」


 ……ここでは「許します」などが返事として正解なので、シェリルの返事は明らかに間違いだ。


(い、いやぁぁぁ! これじゃあ、初対面でキスをねだる痴女じゃないっ!)


 内心大慌てで顔から蒸気を上げるシェリルだが、エグバートはふわりと微笑むと「光栄です」と囁き、そっと手の甲にキスを落とした。


 これぞまさしく、小説の中に出てきた「王子様の敬愛のキス」である。

 まさか田舎の村出身の小娘が、実際にこの体験をする日が来るとは。


 既にふらふらしかけていたシェリルだが、ディーンの野太い咳払いによって現実に戻ることができた。


「シェリル、そろそろ座りなさい」

「う……は、はい。あの、エグバート様もお掛けください……」

「ああ、ありがとう」


 元王子ではあるが、今ここにいる三人の序列では彼が一番下になるようなので、シェリルの方が席を勧めた。


 エグバートが座ると、ソファがみしりと音を立てた。シェリルの体重では少し座面が沈むだけだったソファを軋ませるとは、見た目どおりかなり体重もあるのだろう。筋肉は重いと、ディーンも言っている。


「……女王陛下より、あなたとの結婚を命じられたのですが……まずは、あなたがどんな方なのか、知りたく思いました」


 緊張しつつシェリルが切り出すと、エグバートは目尻を緩めて頷いた。


「ああ、私もそのように伺っている。……ウォルフェンデン男爵のご息女と聞いてどのような方なのかと考えていたが……これほどまで可憐で愛らしい女性だとは思っていなかった。なるほど、男爵がことさら大切になさる気持ちも、よく分かる」

「そ、そうですか」


 ちらっと隣のディーンの方を伺うが彼はシェリルの視線から逃れ、エグバートをじっと睨み付けている。


「……陛下からの打診ということだが、貴殿はシェリルとの結婚に関して、異論はないのか」

「私としては、何も申すことはございません。死以外の方法で我が身を祖国のために役立てられる方法があるのならば、何でもお受けするつもりでしたが……むしろ、ご息女を巻き込んでしまったことを、心苦しく思います。私を引き受ける代わりにテレンス殿下より魔法の研究資金援助を受けられるとのことですが……正直なところ、私を婿として迎える苦労は、それくらいでは贖えないと思っています」


 ディーンの質問に丁寧に答えるエグバートを、シェリルはきゅっと口をつぐんで見つめていた。


(事前に聞いていたとおり……本当に、真面目な方なんだ)


 いくら既に王家から追放された身とはいえ、元王子の彼がシェリルのことを平民上がりで美しくもない魔道研究馬鹿娘と見下すのも、当然の立場だと思っていた。


 だが彼の瞳は真っ直ぐで、言葉とは裏腹にシェリルのことを馬鹿にしている様子もない。むしろ、「心苦しく思います」というのは本心らしく、こちらを見る彼が気遣わしげな眼差しになったことに気付くと、彼を疑おうという気持ちすら失せてきた。


「あの……そんなに謙遜なさらないでください。私の方こそ、エグバート様に釣り合うような身分でもないのですから」

「シェリル嬢こそ、お気になさらず。私は……前王妃の子ですが、魔力を持たずに生まれました。少しでも役に立とうと体を鍛えたのはいいものの、結局のところ父にも兄にも物申せず、ウォルフェンデン男爵に倒されるまで己の道を正すこともできなかったのです」


 エグバートに言われ、そういえば、とシェリルはストックデイル家の事情を思い出す。

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