廃品王子の婿入り事情
瀬尾優梨
1 男爵令嬢の諸事情
その日、シェリル・ウォルフェンデンはいつもどおり屋敷に籠もり、趣味の魔法研究を行っていた。
たくさんの書物に埋もれ、新しい魔法を編み出すことにこれ以上ない喜びを感じる彼女は、父が帰宅したと使用人が言うので、一旦道具を片づけて出迎えに行った。
いつも多忙で城に泊まり込みになることも多い父だが、今日はゆっくりしていけるそうだ。
今日の夕食の席で、魔法の研究の成果を報告しよう。そうのんきに考えていたシェリルだが――
「……は、い? どういうこと、兄さん?」
夕食の後のティータイムにて。
あまりのことにシェリルはつい、持っていたスプーンを取り落としてしまった。
シェリルの向かいで腕を組んで座り、厳しい眼差しを向けてくるのは、シェリルの養父であるディーン。
その双眸は視線だけで相手を射殺せそうで、鍛え上げられた巨躯といい、多くの死線を突破してきたことが分かる顔の傷といい、泣く子を余計に泣かせるような凶悪な見目を持つ男である。
そんな彼が先ほど発した言葉はシェリルにとって衝撃で、つい「兄さん」と彼の養女になるよりも前の呼び名を使ってしまった。
だが彼はそれを咎めることはなく、苦々しい表情で肩を落とす。
「……女王陛下のご推薦だ。俺も物申したのだが……テレンスにまで泣きつかれてな。……元王子・エグバートを、俺の娘でウォルフェンデン男爵令嬢であるおまえの婿にしろ、ということだ」
「え、えっと……ちょっと待って」
シェリルは額に片手をあてがい、何度か深呼吸する。
(あ、頭の中が混乱する……えっと、元王子っていうのは――)
「……そのエグバートという方は確か、女王陛下によって討ち取られた先代国王の息子よね?」
「正確には、国王の第二子だな。おまえも知ってのとおり、悪政を敷いていた先代国王と第一王子は、一年前に女王陛下が討ち取られた。それまで王城で冷遇されていた第二王子だけは身分剥奪の上で投獄し、処分を考えていたところだった」
――今から約一年前に、このエンフィールド王国に新たな王が即位した。
それまで国民を虐げていた先代王や、その言いなりとしてやりたい放題をしていた第一王子の首を革命の末に落としたのは、先代王の姪にあたるマリーアンナ・アナスタージア・アディンセル。革命軍を率いて悪の王家を滅ぼしたマリーアンナはその後即位し、現在は反対勢力などを蹴散らしている最中だ。
そしてかつて、シェリルは魔道士として、ディーンは戦士として、革命軍に加わって祖国の平和のために戦ってきた。
特にディーンは平民でありながらめざましい戦績を築き、女王マリーアンナより騎士団長の職務と、一代限りの男爵位を与えられた。
元々ディーンはシェリルの父方の叔父で、早くに両親を亡くしたシェリルの面倒を見てくれていた。彼は男爵位を受けた後にシェリルを養女に迎え、これまでの慌ただしい日々から離れてのんびり趣味の魔法研究ができるようにしてくれていた。
……そんな悠々自適な生活を送るシェリルも、今年で二十歳になった。
いつまでもディーンの庇護下にあるわけにはいかないと思っていたし、全く乗り気にはならないがいずれ結婚も考えなければならないことも分かっていた。
(でも、だからといって元王子様と結婚なんて……)
「どうして、元とはいえ王子ともあろう人が、私ごときの婿になるというの? いくら先代国王の息子といっても、婿入り先候補は他にもあるんじゃないの?」
「あるには、ある。だが陛下は、俺の娘であるおまえが最適任だろうとおっしゃったのだ」
渋い顔になったので、いつも以上に凶悪な面構えになったディーン曰く。
先代国王と第一王子の首は遠慮なくすぱっと落としたマリーアンナだが、第二王子については「使えるかもしれない」と考えたという。
第二王子は王妃の子でありながら魔道士の素質を持たないこともあり、父である王や周りの者たちから冷遇されてきた。彼は周囲の視線に負けずに己の体を鍛え、騎士として成長したそうだが、王太子位からはほど遠い場所にあった。
だがそんな彼は品行方正で実直、くそが付くほど真面目な努力家なので、騎士や使用人階級の者からは密かに慕われていた。勉強はそれほど得意ではないそうだが最低限の帝王学も身に付いているはずなので、女王になって日が浅いマリーアンナの補佐として適任では、と考えたそうだ。
(……なるほど。女王陛下は元々公爵家のお生まれで、ずっと地方都市で暮らしていたそうだから、人望があって政治的能力もある元王子様を殺すのは、もったいないと……)
「……それで、おまえに白羽の矢が立った理由だが。俺は革命戦争で、敵の指揮官を数名倒したと言ったな」
「うん。私はそのとき後方支援だったから見なかったけど、すごく格好よかったって聞いてるよ」
「ありがとう。……で、その指揮官の一人が元王子だったのだ」
ディーンの説明を受けると、シェリルも事の次第が読めてきた。
「……女王陛下は、元王子様を側近として採用したい。でも叛意を抱かれたら困るから、結婚などで縛り付ける必要がある。そうなったとき、かつて元王子様を倒した父様――の娘である私が、婿入り相手としてぴったりだったってこと?」
「だいたいはそういうことだ」
頷かれたので、やっとシェリルにもディーンが始終不機嫌そうだった理由が分かった。確かに、シェリルのことを年の離れた妹のように守り育て、養女として迎えたディーンからすると、おもしろくない話だろう。
元王子を利用するにあたり、彼の権利を全て剥奪した上でどこかの婿にやるのがよいということになった。ディーンはかつて彼を打ち負かしたので、元王子もディーンには逆らいにくい。
もし元王子が過激な性格だったら、憎きディーンの娘であるシェリルをも恨むだろうが、品行方正で実直だというのなら、シェリルを恨むどころか、自分を打ち負かした相手の娘ということで丁寧に接するはず。
(しかもうちは一代限りの男爵家だし婿入りだから、元王子様には色々な相続権もないんだ……)
たかが男爵令嬢の婿に、世間に物申す権利は与えられない。「おまえは使えるから生かしているのだ」と、女王に言われているようなものだろう。
「……でもそれって、元王子様は承諾したのかな? まさか勝手に話を進めているわけではないだろうし……」
「既に女王陛下が牢獄にて聞いている。『男爵令嬢と結婚し、その知識を国に捧げろ。それが嫌ならば死ね』とおっしゃると、元王子としてこの国のためにできることがあるのならば、ということでおまえとの結婚を選んだそうだ」
それはなんとも極端な二択である。
シェリルからすれば、「そんな女と結婚するのは嫌だから死にます」と死を選ばれていたら、それはそれでショックだっただろう。
(でも……そっか。元王子様の方は、お受けするつもりなんだ)
黙るシェリルをしばし見た後、「それで、だ」とディーンは使用人から受け取った書簡を差し出してきた。
「女王陛下ならびにテレンス――王配殿下は、ぜひともおまえにこの話を受けてほしがっている。他の候補を見つけるのも大変だからな。……それで、殿下の方からおまえに相談だ」
「ししょ……王配殿下が?」
「元王子を婿にしても、おまえに特別なことは任せない。加えてその謝礼――というのは変だがとにかく、殿下はおまえに研究のための資金をくれるというのだ」
「お金!?」
ぎらん、と目を輝かせ、シェリルはディーンから受け取った書簡を開いて、じっくり読んだ。
女王マリーアンナの夫であるテレンスはシェリルにとって、革命軍時代の魔法の師匠だ。彼の門下生は何人もいたが、彼はシェリルの天賦の才能を評価し、革命終了後は魔道軍に入るのではなく魔法研究をして国のために役立てたいというシェリルの気持ちをも尊重してくれた。
おかげでこれまでシェリルは、静かな屋敷で気ままに魔法研究をしてこられた。それだけでなく、テレンスは元王子との結婚を承諾したのなら、研究資金まで支給してくれるという。
一応貴族の娘になったのだが、シェリルの金銭感覚は庶民のままだ。そろそろ新しい魔道書がほしいし研究に使用する道具も新調したいと思っていたので、テレンスからの申し出は非常にありがたい。
(……い、いや、でも、さすがにお金に釣られるのは……不謹慎だよね)
そう思ってすうっと真顔に戻ったシェリルだが、その葛藤を読み取っていたらしいディーンは首を横に振った。
「……もらえるものは、もらっておけばいい。実際におまえの研究論文は城の魔法研究所の者たちも興味深く読んでいるそうだし、魔法研究の未来のための投資だと思えばいいだろう。この前も、新しい魔道書や魔法石がほしいと言っていたではないか。それに、好きでもない相手と結婚するとなれば、これくらいの駄賃はもらってしかるべきだ」
「……」
「嫌なら、俺の方から断る。遠慮するな」
「待って。……あの、父様。私、この話についてちょっと考えてみたい」
ディーンはあまり乗り気ではないそうだが、シェリルははっきり言った。
元王子の手を借りて政治を行いたい、というマリーアンナの気持ちはよく分かるし、その嫁としてシェリルがぴったりだというのも理解した。
幸か不幸か、シェリルはこれまでとんと色恋沙汰に縁がなかった。
同じ村出身で一緒に革命軍に参加した幼なじみのアリソンと一緒に、恋物語を読むことはあった。だが実際に、物語に出てくるような理想の男性と甘い関係になったことはないし、今も特に想う男性がいるわけでもない。
(研究資金も確かにおいしいけれど……私も元革命軍の一員、エンフィールドをよりよくしたいと思う者の一人として、できることがあるならやりたい)
革命軍時代に世話になったマリーアンナや、魔法の師匠であるテレンスのためにもなるということなら、いっそうだ。
その後、ディーンはなおも「しかし」「だが」「とはいえ」と逆接の言葉を掛けてきたが結局、「ひとまず相手と会ってみる」ということで話がまとまったのだった。
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