第四話(09)


 * * *


 聞いていない。そんな話はちっとも聞いていない。

 エピは何も言ってはいなかった。

 そもそも自分は、エピにまともに礼もできていない気がした。見つけてもらったあの時、そして入院時、自分は弱っていて、ろくに礼も言えなかった。

 苛立ちを覚えていた。そんな自分自身に。そしてエピ自身にも。その勢いのまま、デューゴはずんずんと進んでいった。杖の先の星油ランタンが危なく揺れる。

 街の光が遠のいていくのがわかったが、振り返らなかった。ただ正面を見る。急ぐ。その先にあるはずの、光を探して。早歩きで。

 やがて――先に、小さな光が見えてきた。

 それは本当に小さな光。暗闇の中で希望を失い、死にかけていたときに見た光と、全く同じ光。

「――エピ!」

 その名前を呼ぶ。

「エピ!」

 だが先の光は立ち止まらない。

 我慢できずに走り出した。その小さな光を追って。近づくにつれ、光は大きくなっていく。

 果てにデューゴはその光を追い越し、息を切りつつも、その少年の前に立ち塞がったのだった。

 追っていた光。それは間違いなく、エピだった。あの青い帽子を被り、背には大きなリュックを背負い、だがこちらを見た緑の瞳は、ひどく驚いた様子で大きく見開かれる。

「……あれ、デューゴくん?」

「ふざ……けんな、よ……」

 まず出たのは感謝の言葉ではなく、悪態だった。膝に手をつきながらも、金色の目で、そのどこかふわふわとした雰囲気のある顔を睨む。

「何も言わないで行くなんて……かっこつけてんのかお前……」

 息を整えて、やっとそう言えば、エピはそれこそ何を言われているのかわからないと言った様子で首を傾げた。それがまた少し、気に入らなくて。

「病院代のことだ!」

 それだけではない。様々なことも。助けるだけ助けて、去っていくなんて。

「……あれは、僕が君を見つけっちゃったから」

 少しして、エピはやっと何の話をしているのか理解して、困ったように顔をわずかに歪めた。

「見つけちゃったら、最後まで面倒見るべきでしょ? それに、僕が君を勝手に病院に連れて行ったんだから……」

 と、いまさら彼は、目の前にいるデューゴが幻ではないと気付いたかの様子で、頭からつま先へと視線を滑らせ、最後に顔をまじまじと見つめた。口がわずかに開いていた。

「……もしかして、そのことで僕を追って街を飛び出してきたの?」

 そんなことをするなんて信じられないという顔。緑色の瞳は、困惑に染まっていた。しかしその問いに、デューゴは答えなかった。

「……させろ」

「えっ? 何?」

「礼を、させろ」

 彼の顔を、真っ直ぐに見つめ、言う。

「借りは、返したい」

 命を助けてもらったのだ。何もしないなんて。けれどもエピは、

「……借りだなんて、気にしなくていいよ。僕は貸したつもりなんてないし、気にしてないし……」

「お前が気にしてなくても俺が気にしてるんだ、礼がしたいんだ」

 ――それが、いまやりたいことだった。何よりもやりたいことであり、やらなくてはいけないことだと思ったから。

 そうしなければ、自分は一生後悔する。

 だから慌てて街を飛び出してきたのだ。宿屋に駆け込めば、先程出て行ったと聞いた。最後にこの街の通貨をものに交換するため、交換屋に向かったと聞いた。そこで急いで交換屋に向かえばもう姿はなく、街の門へ向かった、隣町へいくらしいと聞いたから、そのまま交換屋で旅に必要なもの一式をそろえて。

 急いで追いかけたのだ。まだ見失う距離ではないと信じて。

 エピなら見つけられる。そう感じたのだ。

「お礼……って……」

 エピは先程とは逆の方向に首を傾げた。ただただ困惑に眉を顰めている。こうなるとは、思ってもいなかったのだろう。

 デューゴははっきりと言った。自慢するように、事実を。

「いまは……何もできない! 何をしたらいいかも、わからない!」

 暗闇に声が虚しく響いた。きょとんとしたエピの顔が、星油ランタンの光に照らし出される。それを見ていると、何だか恥ずかしくなってきてしまって。

「……まあ、情けねぇ話だけど」

 勢いのままに来てしまったと、少し後悔した。

「でも、借りは返したいから」

 わずかにそっぽ向いてしまったものの、改めて彼を見つめる。とん、と杖で地面をついた。

「だから――旅に、連れて行ってくれないか?」

「――連れて、行く?」

 それが考え出した案だった。エピを見下ろし、デューゴは説明する。

「いまの俺には何もできない……でも一緒にいれば、将来何かできるかもしれない。だから、連れて行ってほしいんだ。頼む、礼をさせてくれ! 迷惑はかけない!」

 自己中心的な礼の仕方かもしれない。けれども、これしかない。いまの自分には、自分自身しか残っていないのだ。

 断られたら、それまでだろう。将来、無力だった自分を恨むしかない。

 生唾を呑んで、デューゴはエピの答えを待った。彼は何というのだろうか。

 暗闇の中には二人しかいない。だが星油ランタンは二つ。そこそこ、明るい。

「……でも君は、それでいいの?」

 やがて、エピは瞬きをしたあとで、口を開いた。考え込んでいたのだろう。だがそれでいいのか、と聞かれて、今度はデューゴが首を傾げる番だった。

「やっと街についたのに、いいの? 僕はずっと旅をしていくつもりだよ?」

 そういう意味か。しかし問題はない。

「俺には行くあてがない。これからどうするかなんて、考えられない……でもいまは、お前に何か礼がしたい。それだけは確かだ」

 だからこそ、ここまで来たのだ。それだけではない。

「それに……なんていうか、生きるために、ここじゃないどこかへ行こうと思ったんだ……確かにお前の言う通り、安全な街についた。でもあのまま街にいても……変わらない気がする。だから、生き残ったことを無駄にしないように歩いて、旅する中で自分がどうしたいのか、いろんなものを見て見極めたいんだ」

 世界はずっと広いのだから。あの狭い街で腐っていきたくはなかった。

「お前がどこまでも旅するっていうのなら……問題ない。むしろそうなら、そのどこかできっと俺が何かできると思うんだ……だから、連れて行ってくれ」

 そうして、頭を下げた。目をかたく瞑って、しかし何を言われてもそうするしかないのだと目を開けて。

 返事はしばらくなかった。そのままエピがいなくなってしまったのかもしれないと思った。

 だが。

「――変なの」

「……変なのって」

 馬鹿にしたような声ではなかったけれども、反射的に顔を顔を上げてしまう。と、エピはこちらではなく、杖の先のランタンを見上げていた。

「……手入れ、してないね。街についたら、休ませて手入れをしなくちゃいけないのに。燃費悪くなるし、光も安定しないよ」

「えっ」

 確かに手入れはしていない。慌てていたのだから。それよりも、見ただけでわかるものなのだろうか。

 それからエピは、突然デューゴの背に回ったかと思えば、

「……君、そのまま旅に出る格好だけど、食料と水は大丈夫? 何日分あるの? あと特産品は? ちゃんと量、ある?」

 振り返る間もなくそう言われ、振り返った先には明らかに不安そうなエピの顔があった。それも仕方がなかった。デューゴの背負った荷物は、エピのものに比べて明らかに量が少なかったからだ。

 無言で荷物を下ろし、中をエピとともに覗く。少し険しい表情をするエピに、不安を覚える。それぞれこれくらいあれば大丈夫だろうと判断したのだが、考えてみれば、いや、考えて見なくても自分は素人だ、そんな判断、あてになるわけがなかったのだ。

「……うーん、不安だけど、大丈夫だと思う」

 やがてエピは顔を上げた。

「次の街も、そう遠くはないし」

 だが続ける。

「でも君はもうちょっと旅の仕方について勉強したほうがいいかも」

 デューゴは何も言えなかった。その通りだとただ痛感していた。勢いのまますぎた。けれども。

「……でも、旅してく中でわかってくると思うよ。僕もそうだったし」

 旅していく中で。その言葉は。

 目を見開いてエピを見つめる。エピはこちらの顔を見ていた。間を置いて、笑う。

「一緒に旅するの……僕は構わないよ」

「本当、か?」

 すっとデューゴは顔を明るくさせた。エピは少しずれてしまった帽子を被りなおして、続ける。

「貸とか借りとか気にしてないけど……君がそういうのなら、別にいいかなって。ていうか君、断ってもついてきそうだし……正直ここでほっておくと、また迷子になりそうだし」

 馬鹿にしてるのだろうか、と思えるものの、迷子に関しては事実だから仕方がない。もう、あの街の光は見えなくなってしまっている。ここは暗闇の中だった。

 その中でも星油ランタン二つが輝いていて。

 エピがこちらに手を差し出す。

「それじゃあ、よろしくね、デューゴくん」

 それがどこかぎこちなく、また不思議に思えたものの、デューゴはその手を握った。

「よろしくな、エピ」

 胸元でペンダントが輝いた。

「――ありがとう」

 ――そうして、自分の意志で暗闇を歩き出す。

 エピという、少し不思議な少年と共に。


【第四話 瞼の向こう 終】

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