第四話(07)
* * *
すぐ近くに、街がある。
そうは信じられなかった。周りはどう見ても暗闇で、光なんて見えない。そもそも、ずっと暗闇を歩いてきたのだ。この広大な闇の中に、街どころか、何かがあるなんて、思えなかった。
「そんなものだよ」
二つのランタンが白い光を放つ朝。朝食時にエピは笑った。朝食は、昨晩食べたビスケットに似たようなものにあわせて、ピクルスだった。またエピがお湯を沸かしてくれて、温かい茶をすすっていた。身体の内側から、どんどん温かくなるのを感じた。
「とりあえず、君も来る? もう何も持ってないみたいだし、そんな状態じゃあどこにも行けないし」
デューゴは黙って頷いた。
どこにも行けない。そもそも、行くあてがない。全てを失ったような気分だった。しかし運だけは残っていたらしい。
朝食を終え、旅の支度をする。荷物を片付け、星油ランタンの調子を見る。それからデューゴは立ち上がろうとしたものの、ふらついた。軽いめまいに襲われたのだ、崩れるように座り込む。
「大丈夫? 無理しない方がいいよ」
すでに荷物を背負い、手にランタンを持ったエピがやってくる。
「でも今日中に街に行った方がいい。君、弱ってるみたいだから。病院に行った方がいい」
二人はゆっくりと歩き始めた。暗い中を、二つのランタンだけで。先頭を歩くエピのランタンが先を照らし、デューゴの持つ杖から吊されたランタンが、二人を照らす。「杖につけるランタンって珍しいね」とエピに言われた。
弱っている自分を気遣っているのだろう、エピは時々、少し休もうといって、休み休み歩いた。本当にあるのかもわからない街を目指して。どこを見ても闇。けれどもまっすぐ先を見ているエピが、不思議でたまらなかった。怖くはないのだろうか。その目は前を見ているようで、遠くを見ているように思える。
街は見えてこない。エピはあまり喋らない。妙な静けさ。
その中で、デューゴはふと口を開いた。
「――街の星油の泉が、枯れたんだ」
ぽつぽつと、これまでのことを。喋らなければ、意識が保てないといわんばかりに。これまで自分に起きたことを、見直すかのように。
話し始めて、エピはふとこちらを振り返ったものの、歩き続けた。時々相槌を打ってくれる。静かに話を聞いてくれた。
しかし他人に話しても、いままでのことに実感が持てず、気付けばデューゴは力なく笑っていた。
「あんな『暗闇』が本当にいるなんて、信じられるかよ。あんな……星油の光をちっとも怖がらない奴がいるなんてさ」
まるで自分が嘘を話しているかのようで、少し気が楽になった。本当に、少しだけ。エピは何も言わず、笑いもしなかったけれども。
「どうして俺だけ、生き残ったんだろうな?」
地面を削っているのか、杖を削っているのか、そう少し乱暴に杖をつきながら、デューゴは笑う。本当に、どうして自分だけ生き残ったのだろうか。
エピはしばらく、何も言わなかった。けれどもふと振り返れば、やっと口を開いた。
「でも、君があそこまで進んできたから、僕は君を見つけられたよ?」
頭上にある、デューゴの持つ星油の光を見据えて。
「もう少し離れていたら、多分見つけられなかったよ。それくらい、小さな光だったから……デューゴ君が立ち止まらなかったから、見つけられたんだと思う」
それは質問の答えにはなっていなかった。しかし生き残ったからこそ、エピに出会えたのは事実だ。
運が良かったのだろうか。それとも、兄からもらったペンダントの光のおかげか――これがあったからこそ、光が消えた星油ランタンに、もう一度火を灯せたといっていいだろう。そしてその光のおかげで、エピに見つけてもらえた――。
「……お前、どうして旅をしてるんだ?」
ふと気になって、尋ねてみる。目の前の少年は、旅によく慣れた様子だ。その荷物の量からも、長い間、歩いてきたのだと思える。
すぐには答えてくれなかった。
「……暗闇の先に、何があるのか見たくて」
やがてエピは振り返らず答えてくれた。先を見たまま。手に持った星油の光が揺れる。
暗闇の先にある何か――。変な奴だ、と率直に思った。暗闇の先に、何があるというのだろうか。こんな真っ暗な中に。目標もなく歩いているというのだろうか。
でも。と、思う。
こいつも、何か、やりたいことを持っている。自分にはないものを持っている。
――これから、どうしたらいいのだろうか。
思い出す。自分には何もなかったことを。
だが自分自身で元気づけるように口を開いた。
「旅か……」
思いつく。暗闇の先に、何があるのか、と。
「俺も落ち着いたら……家族を捜して旅に出ようかな……もしかすると、逃げ延びてるかもしれないし……」
もしかしたら、この暗闇の先に、家族がいるかもしれない。
だが。
「それは……どうかな……」
前を歩いていたエピが、歩みを止めた。わずかに俯いて。
「……デューゴくん……こう言いたくないけど、そういうのは、あまり期待しないほうがいいと思うよ」
「――どうしてだ?」
唐突にそう言われ、デューゴも立ち止まる。もしかしたら、家族は生きているかもしれないのに。だがエピは言う。
「君自身が、家族は『暗闇』に飲まれたって言ったんだもの。自分だけが生き残ったって」
それは確かに、自分で言った言葉。あの瞬間、全てが見えなくなった。走った先で光を灯しても、もう辺りに、他の光はなかった。
「そうだけど、でも……」
逃げ延びたあの時。誰の光も、なかった。
だから自分だけが生き残ったのだと。暗い世界に、自分一人しかいないと。
エピは言う。
「ごめんね、僕はそう簡単に『そうだね』って言えない……『暗闇』に呑まれたら、みんな消えちゃうから」
みんな消えてしまう。皆、死んでしまう。
「そう、か……?」
確かに自分は、あの瞬間全てが消えていくのを感じた。
人が、家族が、消えていくのを感じた。自分自身も、消えていくのを、感じた。
本当に。
本当に一人になってしまったのだろうか。
「……諦めた方が、いいのか?」
世界は暗闇。ただでさえ何かを見つけだすのは難しい。
なくなったものを探しても、見つかるわけがない。
エピはそれ以上何も言わず、また歩き出した。あたかも、自分自身で答えを知っているだろう、と言うように。
デューゴも黙って、まるで引きずられるようにエピの後に続いた。俯き、それでも歩く。
皆、いなくなったのか。
と。
「――あっ、見えてきたね」
不意にエピが先を指さした。デューゴは顔を上げると、その指の先を見つめる。真っ暗な世界を。
けれどもそこに、本当に小さな白い点が一つ、あった。
エピは進む。その点を目指して。デューゴも続く。その点が、この暗闇で異質なものであると感じながら。
点は膨らむように大きくなっていく。
光だ。やがてデューゴは、気がついた。
街。街の光だった。大きな街が、暗闇の中で、光を放っている。
それは、この長い旅の間で、無意識ながらも思い描いていた光景。皆で無事にたどり着こうと目指した場所。
立ち止まる。どうしたの、とエピも立ち止まり振り返る。
街の光が目にしみた。やっと見つけた街。星油の泉がある場所。安全な場所。
けれども、もう。
同じ街の住人は、いなかった。家族はいなかった。両親も、兄も。
頬を伝う涙が、嫌に生温くて、自分が生きていることを実感した。
形見となってしまったペンダントを握りしめると、これも生温かった。それでも手の中で、輝いている。これまであったことを、知らない様子で。
一人、街にたどり着いた。
「……どうして」
足の力が抜けた。温かい地面に膝を着く。杖を握りしめれば嗚咽が漏れた。
「どうして俺だけ……」
それは安堵の涙ではなく、悔し涙だった。肌で感じる世界は、冷たいほどに、温かかった。
「どうして、俺だけ……!」
涙は地面に落ち、染み、吸われ、消えていく。
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