第四話(05)


 * * *


「おい! 誰か!」

 はぐれてしまっただけ。だからきっと、誰かがいるに違いない。

 しかし、あたりに光は一つも見えない。

 それでも、あれだけの数がいたのだ。全員が消えていなくなるわけがない。

「誰かいないのか!」

 声は響かない。暗闇が吸収する。

「誰か……」

 自分のランタンの明かりだけが、虚しく揺れている。星油の光に照らされる、荒れた大地。転がる石の影だけが、長く、亡霊のように伸びる。人影のようにも見えるそれは、ランタンが揺れると、まるでデューゴを嘲笑うかのように、あたりをくるくると回る。

 遠くを見ても、光はない――あれだけの光があって、あれだけの人間がいたのだ、全員が『暗闇』に呑み込まれるわけがない。そんなことは、ありえない。

 だって、そうだ。

 そんなこと、起こるはずがない。

 起こるはずがないことは、起こらないのだ。

 ――そのはず、だった。

 走ってきたであろう道を、必死で歩いて、歩き続けて。息をしなければと意識しなくてはいけないほどに、必死に呼吸をしつつ立ち止まらず進んで、けれども光を一つも見つけられなくて。

 気付けば、星油ランタンの色は、黄色になっていた。

 時間だけが経っていた。

 誰も何も、見つけられなかった。

 暗闇から返事はなく、ただ静かだった。

 恐ろしいほどに広くも、身動きができないほどに狭い暗闇の中に、一人だった。

 靴を見れば、思っていたよりもぼろぼろになっていて、足が痛かった。

 まるで誰かに手を捕まれたようにふいに立ち止まった。けれども、振り返らなかった。

 もう、わかってしまったから。

 それでもゆっくり振り返れば――誰も、何も、なかった。

 力が抜けたように、デューゴはその場に座り込んだ。膝をつき、杖の先にぶら下がった星油ランタンも、地面に置く。

 ここで一晩を過ごすことに決めた。そうするしか、なかった。

 まずは焚き火を起こした。いままで、やってきたように。赤々とした火は暗闇に生まれたとたん、踊り出す。いつもよりも歪んで見えて、目がおかしいのだと気がついてこすると、涙で指が濡れた。生温い。

 そのまま、食事もせずに、泣きながら眠った。

 現実を受け入れるほかなかった。

 自分だけが、助かったのだ。

 兄からもらったペンダントを握る。

 他の全員は、助からなかった。

 父も母も、兄も。

 ――一人に、なってしまった。

 それでも時間は、経つもので。

 やがて朝になる。ランタンの黄色が、白く変わっていた。いつの間にか、眠っていたらしい。

 瞬きをしても、周りに誰の姿もない。全てが夢で、元のように皆がいる、或いは星油が尽き引っ越しになったところから夢だった、なんてことは、起きなかった。

 一人。たった一人。あたりは時間が止まっているかのように、変わらず真っ暗闇。

 生き残ってしまった。

 けれども、こうなった場合の備えはあるのだ。起こるとは、思ってもいなかったのに。

 ぼうっとしていても、仕方がないことはわかっている。荷物を確認する。食料、水、そして星油――保険に持たされていた、それら。全ては悲しいほどにそろっていた。地図だって、持たされているのだ。自分の街から、目的の街まで、どの方角にどのくらいの距離、どれくらいの日数進めばいいのか、書かれた地図。

 だが問題は、ここがどこだかわからない、ということだ。『暗闇』から逃げ、その後さまよい、ここに来た。

 こうなっては地図は意味を持たない。漠然と、このあたりにいるのではないかと思えるが、その範囲も広すぎる。そもそもその考えもあてになるか、わからない。

 だから、できることはただ一つだった。

 ひたすらに、歩いてゆく。

 とにかく、歩かなければならない。そう思えた。光を見つけなくては。

 荷物をまとめれば、デューゴは立ち上がった。ランタンの杖をしっかりと握る。

 まるでまだ背後から『暗闇』が追ってきているかのように、歩き出す。

 ふと振り返る。けれどもやはり、もう誰もいなかった。


 * * *


 歩く。歩く。歩いていく。

 進むというよりも、足を動かしているといったような感覚。

 水と食料、そして星油の量に気をつけつつ、光が見えるまで、ただひたすらに。

 まるでずっと同じ場所を歩いている気がするが、それでも足を動かし続けた。

 時間は止まっているかのようで、しかし夜は確かに来る。ランタンの光は黄色に変わる。だからその時が来ると、教え込まれた通りに、一晩を過ごす準備をした。

 だが食事は喉を通らない。ただし、喉は乾くのだ。うっかりしていると、水筒の水全てを飲んでしまいそうになる。まるで目を覚ましたいかのように。

 夜はうまく眠れない。寝付きがよくない。地面は温かいが、周囲は暗闇。誰もいない。

 何故、こんなことになってしまったのだろう。

 兄からもらったペンダントは、確かに手の中にあって、悲しいほどに弱々しい光を放っている。

 よく眠れないまま朝がくれば、逃げるようにデューゴは再び歩き始める。どこへ向かっているのかわからない。この暗闇からただ脱出したかった。

 そしてまず――食料がなくなった。

 喉は通らないけれども、それでも食べなければ歩けない。そう考え、押し込んで食べてきた食料だが、ついになくなった。旅立つ際に、皆に配られた堅いパンや、ドライフルーツ、氷砂糖、そして自分達も作った干し肉。全てがなくなった。本当に全てがなくなったのかと、荷物の中身を全てひっくり返してみたが、最後に底に残っていたのは、もう別れなければいけないからと持ってきていた、ククッコドゥルの風切羽だけだった。

 不思議なことに、あまり不安はなかった。もう、無理に食べなくていいのだと思った。

 それに食料がなくとも、水があればまだ生きていけるのだと聞いた。

 その気力は、ほとんど尽きてしまっていたけれども。

 水がなくなったのは、食料がなくなってから数日後だった。

 食料の時とは違って、少しの焦りがあった。ついに水までなくなってしまった、と。とすると、次になくなるのは星油か。

 だがその前に、自分が力尽きるかもしれない。

 もう時間の問題だ。向かう先には、死しかない。

 それでも歩き続けた。その場で大人しく死を待った方が、苦しまずに死ねるかもしれないというのに。

 光を求めているわけではなかった。暗闇から、逃げたかった故に。

 ――どうしてあの時、走ってしまったのだろうか。

 おぼつかない足取りで、それでも歩く。

 あの時、一緒に『暗闇』に呑み込まれていれば――。

 そしてどうして自分が生き残ってしまったのだろう。

 星油のペンダントを握る。

 これを持っていたから、だろうか。けれども思うのだ。

 生き残るべきは、もともとこのペンダントを持っていた兄であったのでは、と。

 兄が生き残るべきだった。常に先へ進もうとしていた兄こそが。何も考えず生きていた自分ではなく。

 自分は、目的も何もない人間だった。どうしてこんな自分が生き残った。

 間違っている。

 躓いたのか、力が抜けたのかは、わからない。感覚がなかった。気付けばゆっくり身体が傾いて、デューゴは倒れ込んでいた。

 星油ランタンだけは、割らないように気をつけた。杖を抱き抱えるようにして倒れると、ランタンは叩きつけられることなく、地面に着地する。転がることもなかったが、火が激しく揺れた。

 ――結局自分は、どうにかしようと思っただけで、何もできそうにない。

 これでは生きていても、死んでいるのと、変わらないのでは。

 もう立ち上がる気にはなれなかった。気力も体力も、残っていなかった。

 早く、この悪夢が終わってほしかった。

 星油ランタンを見れば、土だらけではあるものの、まだ光り輝いている。まだしばらくは光り輝いていられるだろう。

 でも、もう限界だ。

 疲れた。これ以上考えるのも、終わりにしたい。

 しかしよかった。まだ星油の光があって。

 真っ暗闇の中で、死なずに済んだ。

 それでも目を瞑れば、目の前は暗闇になってしまう。こうなってしまえば、何も変わらないか。

 だが今日はよく眠れそうだった。もう疲れたのだ。

 息を長く吐く。地面の温かさが、気持ちよかった。

 星油ランタンから、じじ、と焦げたような音が聞こえてきた。目を瞑ってしまったが、光は確かにそこにある――そう思うと、安心した。

 このまま目を開けたくなかった。もしかすると、光が消えているかもしれないから。

 このまま、眠らせてくれ。

 でも何故だろうか。握ったペンダントが、温かくて。

 どれくらいの時間が経ったのかは、わからない。しかし朝起きるように、誰かに呼ばれたように、目を、開けた。

 星油ランタンの光は、まだそこにあった。黄色に近づきつつある光。もうすぐ、夜らしい。ペンダントを見れば、手の中でほのかな光を放っている。兄の顔が脳裏をよぎった。

 目の前は、相変わらず暗闇。そこに家族の姿はない。誰の姿もない。

 しかし。

 ――小さな光が、見えた気がした。

 気のせいだろうか、幻だろうか。身体が弱っているためか、よくは見えない。どちらにしても、起き上がる気もない。

 きっと、都合のいい幻だ。

 再び、目を閉じた。

 あんな小さな光。ひどく弱々しく見えた。追いかけても、すぐに消えてしまいそうな幻。

 だが本当に気のせいだったのだろうか。

 あの光――近づいてきていた気がした。

 それも、都合のいい幻だろうか。けれどもなんだったのだろう、あれは。

 もう一度目を開けるのが怖かった。暗闇が広がっていたら。

 それでも目を開けたのは、どうしてだろうか。

 ――まだ先に進まなければと、思ったからか。

 先に進もうと、思ったではないか。どうしたいかは、さておき。

 目を開けた。

 ――目の前に、見覚えのない星油ランタンがぶら下がっていた。

 黒いブーツで、軽く蹴られた。

 蹴るなよ。

 ぼんやりと苛立ちつつ見上げる――まだ苛立つ元気が残っていることに、気がつけた。

「あっ……生きてる」

 青い帽子を被った少年が一人、こちらを見下ろしていた。

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