第三話(04)
* * *
小さな植木鉢を用意した。白色で、飾りはないものだ。ショーンは準備を整え、土を優しくその中へと入れていった。
あのガラスの建物のすぐ横。エピはショーンの隣でその作業を見守っていた。ある程度土を入れたところで、ショーンはあの小さな球根を取り出し、土を被せた。ふわりとした土の香りに、どこか安心を覚える。何故か懐かしさをエピは感じた。
土に隠れていく球根。やがて見えなくなってしまうと、もの悲しさと不安がじわりと沸いてくる。ちゃんと芽吹くだろうか。成長し、土の下から再び姿を現してくれるだろうか――その時を見ることはできないだろう。そう思うと、よりもの悲しさを感じた。何故なら、自分は旅人で、いくらこの球根が気になるとはいえども、その時まで街にとどまることを、選ばないから。
ショーンは最後に、じょうろを持ってくると、水を植木鉢へ注いだ。水は、ガラスの建物から溢れ出す星油ランタンの光に、あたかも笑うかのようにきらめき、鈴の音を閉じこめた雫に思えた。水を吸って土は色濃くなる。水はその下で眠る球根まで達して、目を覚まさせるだろう。
「……綺麗に咲くといいですね」
そして、いつの日にか、黄緑色の芽を見せ、やがて花を見せてくれるはずだ。ちゃんと咲く、そう信じたい。
「今度はうまく咲かせるよ」
ショーンは傍らにじょうろを置けば、祈るかのように植木鉢を見下ろしていた。
「……それに、手紙を書こうと思う。あの街を出ていって以来、家族とは何にも連絡を取ってないんだ。だから手紙を書いて、今度隣町へ行く旅人さんがいたら、託すよ」
と、笑って頭を軽く横に振って、
「いや……手紙なんて書かないで、直接会いにいこうかな。旅は危険だけど……家族だしね……この花が咲いたくらいに、今度はちゃんと咲かせたぞって……」
だが、どこか嫌気がさしたかのように、それでも妙な安心感を覚えているかのように彼は続けた。
「でも、そうしようと思っても……なんだか兄さんに全部ばれてる気がするんだよなぁ。どうしよう、驚かそうと思って街に戻っても、入り口のところで兄さんが立ってたら……ちょっとショックというか、こっちが驚くというか……でも、それが僕と兄なんだよなぁ」
「なんとなく、わかっちゃうんですね、双子だから」
姿や服の趣味を変えても、結局は同じになった双子。その弟を見て、エピは微笑む。
「でも、いま何をしているのかは、わからないよ。住んでる街は、違うからね――だからこそ、会いに行くべき、かな」
ショーンは植木鉢を、ガラスの建物内に運べば、ほかの植木鉢とは別の場所に置いた。特別な植木鉢。ランタンの光に照らされている。エピは建物の入り口に立って、様子を見守った。建物からは、暖かな空気が溢れてきて、肌に触れる。ここは優しい場所、そう感じた。美しい花が咲くにふさわしい場所。まるで太陽がなくなる前の、昼間のような場所なのだろう。きっと、こんな風に心地よかったに違いない。
「――そういえば、旅人さんには、家族はいるのかい?」
と、建物から出てこようとしたショーンに聞かれ、エピは一瞬はっとした。
家族。忘れたわけではなかったけれども、考えてみれば、旅に必死で思い出す機会があまりなかった。
「いまはもういません。祖父と暮らしてたけど……亡くなって」
そう答えると、ショーンがしまった、という顔をしたものだから、慌ててエピは、
「それで、一人になったんで……旅に出ることにしたんです」
話を続けて、ごまかした。
「……誰かを、探しに出たのかい? その様子だと」
その問いに、エピは頭を横に振った。
よく、そう聞かれる。何のために旅をしているのか。誰を探しているのか。何かを探しているのか。多くの旅人が、そうであるように、自分もそうであるのか、と。
その通りだと言えば、そうかもしれない。けれども、違うかもしれない。
「前から、とにかく旅に出たいと思ってて……気になることが、あるんです」
顔を上げて、真っ暗な空を見上げる。
――この暗闇の中には、一体何があるのだろうか。
初めての旅で、そう思ったのだ。最初は怖くてたまらなかったけれども、この向こうに何かあると感じ取って以来は、違った。
それ以上、エピは何も言わなかった。何と言っていいのか、わからなかったから。
けれども。
「――一人で旅をするのって、寂しくないのかい?」
「……?」
突然そう尋ねられ、エピは引き戻されるかのように、ショーンを見た。はっとしたわけではなかった。ただ表情一つ変えないまま。それでも、ショーンが少し驚いた顔をしていて、その表情にエピは驚いた。
「いや……なんだか、寂しそうな顔をしてたから」
そう言われても自覚はなかった。
寂しそうな顔。そんな顔に、見えたのだろうか。そんなことは、少しも思ってはいなかったのだが。けれども驚いたショーンの顔が、ひどく心配しているように思えて、だからこそ、本当に自分はそれ程の顔をしていたのかと思えてしまえて。
「……寂しいとか、あんまり、考えたこと、なかったです」
素直にそう答えた。
確かに、ずっと一人で旅をしてきた。ひたすらに歩いてきた。だから、一人であっても、寂しいとは思わなかったし、恐怖もあまりなかった。
だが寂しくないのかと、改めて聞かれると。
「でも……少しは、寂しいかも」
すぅ、と冷たい何かが流れ込んできた気がした。風だろうか。
その冷たさを意識したことなんて、いままで一度もなかった。
「今までいろんな人に出会ってきましたけど……長く一緒にいた人は、いませんから。僕、旅人ですし」
それでも、ようやくわかったと安心するかのように、エピは微笑んだ。呆れるように溜息を吐けば、また、空を見上げる。
「それでも、僕は旅を続けたいんです」
* * *
荷物を届けてくれてありがとう、と、別れ際に、花の種をいくつかもらった。球根を預かった時のように、小袋を差し出される。中を見れば、細長い種、丸い種、少し角張った種、様々なものが入っていた。
「花の種なら、他の街での物々交換でも、高い価値がつくはずだよ。きっと、役に立つよ」
「ありがとうございます」
花屋の店先まで、見送られる。と、そこでショーンが尋ねてきた。
「この街には、後どれくらいいるんだい?」
「そう長くいる予定じゃなくて……準備が出来次第、出発しようと考えてます……明日、はまだいると思いますけど、早くても、明後日には……」
「そう……」
ショーンは少しだけ、残念そうな顔をした。
「いや、少し長くいるようなら、その間に、あの球根が芽を出すかもしれないと思ってね」
店から出て、くるりとエピは振り返る。
「僕は芽を出すところも、花が咲くところも見られないけど……綺麗に咲くといいですね」
「ああ、咲かせるよ……本当に、ありがとう」
ショーンなら、あの球根を無事に咲かせられるだろう。そんな気がした。
「旅人さん」
と、ショーンはこちらの顔を覗き込んでくる。どこか、心配そうに。
「暗闇の中での旅……気を付けてね。よく準備してから出発するんだよ……それから、無理はしないでね」
そう言われると、どこかに抱えていた寂しさが、少し色濃くなったような気がした。
――それでも。
花屋を背にし、街道を進む。見つめる先は、街中ではなく、遠くにある暗闇。どうしても、そちらに目を向けてしまう。
その暗闇の中、何かが輝いたような気がして、足を止めた。
――それは、初めての旅で見た光。
改めて見上げると、光はどこにもなかった。やはり、気のせいだったらしい。
あの光は、一体何だったのだろうか。
暗闇の中、ぽつんと浮かんでいた、寂しそうな光――。
【二つの球根 終】
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