第三話(03)

 * * *


「兄と間違えられるのが嫌で、街を出たんだ」

 ショーンはエピを二階の一室に案内すると、お茶を淹れてくれた。なんでも、ここで育てた草花の葉や花弁を使って作った茶葉らしく、一口すすると、少しの酸味とふわりとした甘さが口の中で広がった。黄緑色の水面はきらきらと輝いていて、あの透明な温室を思わせ、中に花々が見えたような気がした。

「もう本当に嫌で嫌で……僕はショーンだって言っているのに、皆は兄の方だって言うんだ。しまいには……両親まで僕達を間違える。すると……僕自身も、どっちだったかわからなくなる」

 ショーンはエピの向かいに座って、同じくハーブティーをすすった。

「大人になっても間違えられてばかりで……頭がおかしくなりそうでね、それで街を出ることにしたんだ。旅は危険だってわかっていたけれども……だからってあのまま街にいたら、僕が僕でなくなるような気がしたんだ……それでなんとか、この街に辿りついて、花屋で働き始めたんだ」

 部屋を見回せば、本棚には植物に関する本が詰まっている。

「ここの店主はいい人でね。僕を住み込みで雇ってくれたんだ。もう亡くなってしまったけど、植物の育て方について教えてくれて……本ではわかりにくいところ、載ってないことも教えてくれて、本当に感謝してる……何も知らなかったからね、僕は」

 そうして彼は、先程エピから受け取ったあの巾着を、おもむろに取り出した。丸い何かが入った巾着。巾着をひっくり返すと、ついにその何かが、彼の片手に転がり出た。

 それは明るい茶色の球だった。球といっても、完全な球体ではない。丸く、転がせばそのまま転がっていきそうだが、少しずんぐりとしている。

「……玉葱?」

 一言で表すと、間違いなく玉葱だった。玉葱にしては、少し小さいが。

 何故、ショーンの兄はこんなものを、と、エピが首を傾げる。対してショーンは笑いながら首を横に振った。

「違うって言えば違うけど、あってると言えばあってるよ。これは球根だよ」

 ショーンは指でその小さな球根を転がす。

「それもこれは……僕達が子供の頃にもらった球根と、同じ種類のもの」

「子供の頃に貰った球根?」

 エピの問いに頷くと、ショーンは立ち上がり本棚へと向かった。一冊を探し出せば、次にぱらぱらとめくり、あるページに辿り着くと、テーブルの上に広げた。色は付いていないものの、ぱっと咲いた花が描かれていた。六枚の花弁は細く、先は尖っている。

「……昔、僕と兄、それぞれこの花の球根をもらってね。育てたんだよ。でも……僕はわざと枯らしちゃってね」

「わざと?」

「うん。僕、ひねくれてたんだよ。育てるっていったら……普通、ちゃんと花が咲くまで世話をするけど、そうすると……兄と一緒になっちゃうじゃないか。全く同じ鉢に、全く同じ花が、全く同じように咲く……でも、一方が枯れてると、それは間違いなく僕の方の鉢で、花を枯らしたのは僕の方で、すると、みんなその点については兄と間違えないだろう? 花をだめにしちゃったのは、兄じゃなくて僕だって……僕は僕だっていう、証拠というか、理由が欲しかったんだ」

 その本をエピに渡せば、ショーンは席に戻った。本は、どうやら植物の簡単な育て方をまとめたものらしく、ざっくりと特徴や気を付けることについて説明がある――どうやらこの花は、花の中でもそこまで手入れを必要とせず、誰でも簡単に育てられるものらしい。だが水切れだけには気を付けなければいけないらしく、恐らく子供のショーンは水やりをわざとさぼって枯らしたのだろう。

「その枯らした花の球根を、あなたに?」

 これが一体何であるかは、わかった。けれども、何故そんなものを、彼の兄は自分に届けさせたのだろうか。何か特別なものなのだろうか。いま聞いた話からすると、思い出のものではあるものの、そこまで特別なものだとは、思えない。

「僕は枯らしてしまったけど、兄は綺麗に咲かせたんだ。多分……枯らすと僕と同じになるから、それを嫌ったんじゃないかな……だって双子だもの、兄が考えていることと僕の考えていること、似てしまうんだ、どうしても」

 ショーンは続けた。と、そこで一度黙ったものの、溜息を深く吐いた。

「……花を枯らしてしまって、僕が僕である証のように、兄は毎年その球根をうまく育てて花を咲かせたんだ。考えてみれば、かなりの年数だよ。兄は枯らすのが本当に嫌だったんだろうね……もしかすると、その球根が分球したのかもしれない。それが、この球根なのかも……」

 つまり、この球根はその兄が育てた花の子孫であるかもしれない、と。

「……今度はちゃんと咲かせてみろってことかなぁ」

 少し照れくさそうに、ショーンは笑った。

「多分、心配してるんですよ」

 そうエピも笑うと、ショーンはより照れくさそうにした。

「遠くに行っても、兄の考えてることはやっぱりわかる気がするよ。二つに分かれた球根が、僕達に思えたんだと思う。一方は枯らしちゃって、一方は綺麗に咲いた球根……でも、枯れちゃいけないって。だから今度は枯らすなって……そう、なんとなく、わかる――」

 そこでふと、ショーンははっとしたように顔を上げた。エピの顔をまじまじと見つめ、エピもどうしたのかと見つめ返す。

「……君、最初に僕を、兄と勘違いしたよね? 隣町から来たのかって」

 やがて、ひどく不可解な表情を浮かべ、ショーンは首を傾げた。けれども、そのことに、エピはどこにも不思議を感じない。

「はい……前の街で会ったあなたの兄に、そっくりでしたから……」

 そっくりだから、間違えたのだ。最初は不思議だった。双子であるから、とわかれば、不思議も何もなくなったが。

「――そっくりだった? 僕と、兄が?」

 しかしショーンは、明らかにおかしいと言わんばかりに、わずかに身を引いた。

「待って、それは本当に……僕の兄だったのか? いや……球根があるってことは、兄で間違いないんだろうけど……でも……」

 顔を青ざめさせるほど、驚き、戸惑っている。彼は自身の赤い髪の毛を指でつまめば、

「……髪の色は、何色だった? 髪型は……もう少し短かったんじゃないかな?」

 何故そんなことを聞いてくるのかと、首を傾げると、

「僕、兄と同じなのが嫌で、この街に来て見た目を変えたんだよ。髪の毛は染めて、服の趣味だって変えて……確かに顔は兄と同じだよ。でも……普通じゃ、そっくりだって気付かないはず……僕の見た目、兄から聞いたのかい? いや……でも兄は知らないはず……」

「あなたの見た目は、詳しく聞いてませんよ。でも、本当に見た目がそっくりだったんです。本当に……あなたと同じ姿で……髪も、服装も……」

 そう、同じ姿だった。けれどもショーンの言うことが正しければ。兄と同じ姿であるのが嫌で変えたと言うのならば。

「――まさか、兄も? 僕と同じことを考えて……見た目を変えた?」

 その結果、変えるはずが、また同じ姿になってしまった。遠く離れていたとしても。

「……うんざりするよ、全く」

 やがてショーンはひどく落胆したように溜息を吐いた。しかし、再び球根を見下ろせば、呆れたように、そしてどこか安心したように微笑んだのだった。

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