142. 協力の条件
「…………は?」
予想外過ぎる言葉に、またもや間抜けな反応を返した僕に、父は続けた。
「ヴィルジニー嬢は、無理だ。彼女とフアン王子の結婚は、政治的に正しい。諦めろ」
「そっ……父上の立場でそうおっしゃられるのはわかりますが、しかし、なぜそこでマリアンヌ嬢なのです?」
「いいじゃないか。ヴィルジニー嬢に勝るとも劣らない美人だ」
「そういう問題では……それに、彼女のほうが承知しませんよ」
「おまえは宰相に興味がないようだし、それだったらマリアンヌ嬢を嫁に――義理の娘にして、わたしの後継者にすれば良い。そういう提案なら、受け入れるんじゃないか?」
絶句した僕に、父親はニヤリと笑った。
「ルージュリー家の政治家の部分は彼女に任せて、おまえは領地経営にでも専念すればいい」
こいつマジか、と思ったが、同時になるほど、とも思う。
有力貴族ドゥブレー侯爵家の娘である。彼女をその立場のまま秘書、もしくは後継者として扱えば、彼女本人の希望であるという事実とは裏腹に、宰相とドゥブレー侯爵家との政治的接近だと考えられてしまう。それでは、これまで中立と評価されてきたルージュリー家の立場が変化してしまう。
一方で、マリアンヌが僕と結婚する、すなわちルージュリー家の人間になってしまえば、あくまでも息子の嫁、すなわち(義理の)娘として扱えるし、その一方でドゥブレー侯爵家との関係も、強化できる。女性は結婚すれば相手先の家に属すると扱われるのがこの世界の常識だが、娘の嫁いだ先を蔑ろにできない、というのも心情なのだ。
そして、野心に溢れ能力的にも優秀なマリアンヌ……初の女性宰相を、立派に勤め上げるだろう。少なくとも父は、そう考えている。
おまけにその場合でも、宰相の座は“ルージュリー家”が引き継ぐことになる――
「おまえにとっても、いい話だろう?」
どこがだ。良いところがあるとすれば、領地経営に専念できるって部分だけだ。
いや、まあ、マリアンヌ……正直、彼女と結婚できるならそれは単純に素晴らしいが……でも彼女、僕とイチャイチャラブラブ生活なんてしてくれないだろうな。親父みたいに仕事が忙しいとか言って帰ってきてくれなさそう。
いやいや、そういう問題ではない。
「良く……ないです。は? なに言ってるんですか。あきらめないですよ、僕は」
「なに? おまえも宰相に興味がある?」
「僕が言ってるのはヴィルジニーのことです」
父は、バカだなこいつ、という顔で首を傾げた。
「そんなに好きか、ヴィルジニー嬢のことが?」
父親に面と向かってそんなこと聞かれたくなかった。
「その……少なくとも、まだあきらめる段階ではないと思います」
宰相は首を反対に傾けた。
「しかし、そのためには、フアン王子と接触しなければなるまい?」
「えっ……そうですね」
「アテはあるのか?」
具体的には、ない。フィリップ王子あたりに橋渡しを頼む、みたいなことしか思いつかない。
「助けてやろうか」
父親は、ニヤリと笑みを浮かべた。完全に悪役がする仕草だった。
僕が何も言えずにいると、彼は続けた。
「若い王族の表敬訪問は、つまり将来の国家首脳候補の顔見せであると同時に、向こうもこちらの次代の指導者の顔を見に来る、ということでもある」
「……わかります」
「おまえをわたしの後継者として、外交使節団に紹介することもできると言っているんだ」
父親は今度は、どうだ? と言わんばかりに首を傾げた。
「もっとも、その気のないおまえに、プレッシャーをかけるというのも本意ではない……要するに、おまえにその覚悟があるか、という話だ」
どうしてマリアンヌ嬢との結婚、などという突拍子のないことを言い出したのかと思ったが……なるほど、父の狙い、本題はこちらの方か。
彼はこの機会を利用して、いつまでも煮えきれない僕に、態度をはっきり決めさせよう、というのだ。
僕はひとまず、彼の提案を吟味する。
アレオン王国の宰相が後継者、と明言する僕は、それ以前に多方面から次期宰相候補と扱われている。国内の上級貴族でこの点を疑問に思う者はいないだろう。そう紹介されれば、外交使節団は全く疑わず、僕をそのように扱うはずだ。つまり彼ら、フアン王子は、僕を無視することはできなくなる。僕の発言、行動は、彼らに対してもある程度強い影響力を発揮することになる。
これはなかなか強力なオプションだ。そもそも、フアン王子にどのようにして接触するか、というところからノープランだったところなのだ。それを解決するばかりではなく、発言力までプラスしてくれるとは、願ったり叶ったりだ。
だが一方で……それを受け入れるということは、もちろんそのまま、僕が自分を、将来の宰相候補と認めることになってしまうのだ。つまり今後は、それを踏まえて行動しなければならなくなる。宰相はもちろん、なろうと思ってなれるものではない。しかし少なくとも、これまでのように「まあなれたらいいですけど、僕が決められることでもありませんから」みたいな他人事な態度ではいけなくなる、ということだ。
父は……これまで彼は、僕に面と向かってはっきりと、将来は宰相をやれ、と言ってきたわけではない。
でも、多くの職業が世襲であるこの国にいて、世襲ではない仕事をやっている父は、その仕事をやはり、息子に引き継がせたいと考えているのだろう。父自身も、彼の父親から事実上、仕事を引き継いでいるし、その父親も……そういう積み重ねが、元々は弱小貴族に過ぎなかったルージュリー家を、伯爵なんて地位まで引っ張り上げたのだ。
そう、国政への多大な貢献、それこそが、ルージュリー家の現在の地位の裏打ちだ。
その貢献が途切れてしまったときに、ルージュリー家の立場は、爵位は、果たしてどうなってしまうのか。
領地を取り上げられる、ということはないだろう。しかし、本来の家格に見合った爵位に降格させられる、などといったことは、あってもおかしくない。
父は、ルージュリー家の当主として、家と領地、領民を守るためには、今の仕事を勤め上げることと同時に、長男である僕に跡を継がせることが大事だ、と、口には出してこなかったが、ずっと考えていたのだ、きっと。
だからこそ、幼少期の王子に僕を接近させ、仲良くなるよう仕向けたりもしたのだ。
そして、僕が父の申し出を承諾し、目論見通り使節団並びにフアン王子に接近した上で、ヴィルジニー奪回に成功しても、はたまた失敗しても、宰相は痛くも痒くもない――成功、すなわちヴィルジニーが嫁になるリスクはあるが、彼はそれが可能になるとは思っていないのだ。
「父上の考えが、わかりません」
僕は目をそらしながら言った。父親は訝しげに目を細めた。
僕は続ける。
「父上は、
「……知っての通り、宰相という仕事は、なろうと思ってなれるものではない。それに、おまえの意思を尊重しようと思っていたのも、そうだ。だが最近のおまえは――」
父は少し考えてから、続けた。
「――フィリップ王子と、順調に信頼関係を構築している。そろそろ、そういうことを真剣に考えるべきときが来たんじゃないか」
「それだけですか?」
父はとぼけるように首を傾げたが、僕は引かなかった。
「本当の理由は別にあるって、顔に出てますよ」
父は気まずそうに視線を逸しかけたが、結局はこちらを見て、応えた。
「女にばかりうつつを抜かしている、一人息子の将来を心配するのは、当然だ」
それを言われると弱い。今度は僕が視線を逸らす。
「ヴィルジニー嬢を娶ったとして、そのあと二人でルージュリー家を盛り立てていく、ビジョンがあるのか?」
「それは――」
「おまえをわたしの後継者とすれば、卒業後は王宮で仕事ができるし、フィリップ王子の信頼もあれば、側近は間違いないのだし。そうなれば、公爵令嬢を妻にしてもなんとかやっていけるだろう」
デジール公爵家で甘やかされた御令嬢を、ルージュリー伯爵家の資産で満足させられるか、という心配だろうか。
「そもそもヴィルジニー嬢は本当に、ただのステファン・ルージュリーと一緒になってくれるのか? 将来の宰相であるおまえなら、という打算があるんじゃないのか?」
うっ、それは……僕は思わず絶句してしまう。
確かに、あり得る。
彼女は典型的な貴族令嬢である。地位や立場といったものを非常に気にするはず。現在は公爵令嬢、つまり国内の貴族最上位に位置するのに、2ランクも下の伯爵家に嫁ぐなど、普通は許容できないだろう。
ただしその相手が宰相であれば、国政に置いて国王に次ぐナンバー2。であればなんとか許容範囲、みたいな打算があった可能性は、否定できない。
「宰相になったほうがいいんじゃないかなあ」
父親は窓の方を向いて、独り言のように言った。
いくらなんでも軽すぎる。僕はちょっと怒りを覚えたが、ひとつ呼吸を挟んで気持ちを落ち着けた。
「父上は……僕に務まると思いますか?」
父は執務机の椅子に座ったまま、僕へと向き直ると、先を促すように顎を動かした。
「僕は……自分に適性があるか、わかりません」
「適性がある仕事に就ける者など、そうそういないよ。どのような仕事も、本人の資質にかかわらず、回そうとする者がいれば、周囲の者が手伝ってくれる、そういうものだ」
父はわざとらしく肩をすくめた。
「わたしだって、旗振り役に過ぎん。実際に仕事をしているのは、ジョアンナや、隣の部屋にいる連中だよ」
「では、宰相なんて誰でも良い、と?」
「国王陛下と国民が信用していれば、という条件が付くが、そうだ」
僕が何も言えずにいると、宰相は目をそらして、言った。
「なに、そんなに深刻に考えることはない。知っての通り、宰相の任命権は国王陛下にしかない。ただおまえは、いまのところイエスと答えておいて、万一そうなったときのために準備はしていますよ、という態度でさえいれば、周囲は納得する」
そう、結局のところはその通り。こちらがどういうつもりでいようと、国王がそうすると言わなければ、出来ない話なのだ。
「それに、マリアンヌ嬢とのこともある。わたしの立場では、はっきりおまえを後継者にするという態度を示しておかなければ、彼女を使うなどというわけにはいかん」
「では、マリアンヌ嬢の申し入れを?」
「まだ調整は必要だがな、受け入れるつもりでいる」
マリアンヌが父に弟子入りを申し入れなければこんなに急かされることもなかったのかもな、と思いついたが、そもそも彼女にそうさせたのは僕(と父)が彼女とフィリップ王子をくっつけようと画策したのが発端なのだから、自業自得というか、因果応報というか。
「わかりました」
僕は頷いた。
「父上のご希望どおりにします」
その返事に、父は不満げに片眉を上げたが、結局は頷いた。
「よろしい……とはいえ、おまえの身は未だ学生。必要な時は働いてもらうが……ひとまずは学業に専念しろ」
「はい」
「あまり恥ずかしい成績にならぬようにな」
「努力します。それで、例の件は」
「うん。使節団が来れば当然、歓迎式典が催される。おまえの苦手な社交だが」
「そうも言っておられません」
父は呆れたような顔をしながらも、言った。
「おまえをついにやる気にさせてくれた、ヴィルジニー嬢には、感謝するべきなのかもしれないな」
まさかヴィルジニー嬢に感謝する日が来るとは、と、宰相は呟いた。
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