141. 諜報資料

「外遊だよ。国際親善を目的とした表敬訪問、という名目だが、要するに次の国王候補に、世界を見て回らせようっていう、あれだ。大陸の各国を歴訪するつもりのようだ」


 宰相執務室に入ると、部屋の主は僕に応接セットのソファを指し示した。

 腰を下ろしながら、成人したばかりの王族がよくやるヤツだな、と僕は頷く。


「では、そのついでに、嫁探しを?」


 自分で言っておいてなんだが、タイミングが一致したのは偶然だろう、と思う。外遊の計画はずっと前からあったはずだが、ヴィルジニーが婚約解消されたのはつい最近のことだ。


「結果的には、いい機会になった、ということだろう」


 外遊のタイミングで、相手国の最上位貴族令嬢がフリーになった、なら、ついでというなら、確かについでなのだ。


 隣の事務室から事務官のジョアンナが入ってきた。手には薄い紙ばさみ。宰相は彼女と視線を交わすと、僕の向かいに座るよう促した。


 一度は応接セットから離れようとした父だったが、思い出したように僕の方を振り返る。


「いいか? これは……おまえの目的を支援するためじゃない。息子に、国際関係を学ばせるためだ」


 僕は、どう返事をするべきかわからず、頷くに留める。


 父はなおも逡巡したようだったが、結局は踵を返した。少し離れた自分の執務机へ向かう。


 その間にソファに腰掛けたジョアンナは、持ってきた書類をテーブルの上に広げた。


「ご説明させていただきます」


 事務官の台詞に、閣僚になった気分だな、などと思う。


「意外と少ないのですね」


 広げられた書類に、僕がそう言うと、ジョアンナは申し訳無さそうに肩をすくめた。


「いくら王位継承権者とはいえ、成人したばかりの王子ですので……」


 実績に乏しければ当然、特記すべきことはさほど多くない、ということだ。


 最初に目に付いたのは、一番上にあった肖像画だ。


 この世界でのカメラ、写真撮影技術は、いまだ発展途上の代物だ。長時間の露光が必要で、撮影には被写体の多大な協力を必要とする。つまり、撮影の時は一定時間、微動だにしないで待っている必要がある。


 前の世界のように、調査対象の写真を隠し撮りする、みたいなことは、不可能だ。

 だから人相の判別に肖像画を利用するのだ。


 僕の視線を受けて、ジョアンナは肖像画をこちらに向け、差し出してくれた。


 とても美しい少年が描かれていた。日差しの強い南部特有の浅黒い肌が特徴的。歳の頃は、十歳かそこらだろうか。青みがかった黒髪、繊細そうな黒瞳、そして利発そうな微笑み。


「十年ほど前に、我が国を訪問されたときに描かせたものだそうです」


 僕の疑問を先取りして、ジョアンナが言った。


 もっとも、王子を座らせて、描かせてもらったというわけではないだろう。いくら国賓で訪れていても、肖像画はこのように、相手国に渡れば重要なインテリジェンスになる。せいぜい、こっそり画家に観察させて、後に描かせた、というあたりだろう。


 つまり、この肖像画は、確かにフアン王子の特徴を表現したものであろうが、その一方で、細部においては、画家の観察力と想像力が補ったものである可能性がある。


 特に芸術家というものは、作品を美化したがる傾向にあるものだ。


 そうでなくては困る――僕は、この絵の通りの美少年が、十年の歳を重ねて美青年に成長した姿を思い浮かべてそう思った。そんな美形、一応美男子である今の僕でもとても太刀打ちできない。


「面識のある者の話では、特徴は掴んでおり、参考にはなるはずだ、と」


 髪や目の色については参考になるだろうな、と思ったが、どちらも南部の人間に多い黒系で、これだけで見分けるのは無理だろう。


「フアン・デ・オルティス・サルガド王子。現国王エドゥアルド・デ・オルティス・サルガドと、正妃エウヘニア・デ・バスケス・ドス・セゴビアの長男。本名、フアン・パブロ・アルフォンソ・エクトル・サルバドール・ラファエル・マリア・デ・オルティス・サルガド・イ・バスケス・ドス・セゴビア」


 暗号か。


「どこからどこまでが名前です?」

「えーっと、確かこの辺ですね」


 ジョアンナは手にしていた書類を見えるようにしてくれると、“マリア”と“デ”の間あたりを指し示した。


「結構適当なんですね」

「あの国もわかっていて、対外的には短縮形で通しております。ステファン様も、フアン・デ・オルティス・サルガド王子と覚えておいていただいて、問題ありません」


 それでも十分長いが。


「そう呼ばないとマナー違反になる?」

「フアン・オルティス王子殿下、で大丈夫です」


 それなら覚えていられそうだ。


「王位継承順位第一位。ナバラ王立貴族学院卒業。この貴族学院は、ナバラの王族、上級貴族専門の高等教育機関になります。学業成績は並。ただし軍事、政治に関しては優。剣術、武術、馬術に秀でる」


 それを聞いて僕が連想したのはリオネル、そしてフィリップ王子の上の方の兄、アントワン王子。騎士、もしくは軍人系の、ああいうマッチョだろうか。


「体格は?」

「長身でよく鍛えられている、と」


 やっぱりマッチョか。

 それでいて、軍事政治に優秀、となると、頭もキレるということだ。


 ヴィルジニーを賭けて決闘、みたいな展開は絶対に避けなければな、などと思う僕をよそに、ジョアンナは続ける。


「成人後は王族の慣例に則り、いくつかの団体、組織の名誉会長になっておりますが、いずれも名義貸し同然。ただしひとつだけ、興味深いものがあります。ナバラ王国鳥類学会名誉会長」

「……鳥類?」


 僕の問いに、ジョアンナは頷いた。


「フアン王子は、どうやら鳥がお好きなようです。たびたび鳥の観察におでかけになられるとか」

「観察……狩猟ではなく?」


 狩猟は王侯貴族の嗜みである。


「ただ、鳥を見るためにでかけられるそうです。鳥類学会に関しても、鳥類の研究を支援する目的で自ら希望したそうです」


 僕は無意識に顎を手で撫でる。

 趣味の人、ということなら、その方面で接近できるだろうか。

 というか、この資料を書いた人間も、そう思って特筆したのだろうが。


「次に交友関係。特に親しくしている貴族令息が四名。それぞれ名前がアレハンドロ・ビジャ。セサル・ナバーロ。エンリケ・アレンタ。ホルヘ・ガバロン。今回の外遊に同行すると見られておりますが、それぞれまだ若く、特筆するような活動もないため、氏名以上の情報がありません。

 それと……女性関係」


 その言葉に僕は思わず眉をひそめる。

 特定の相手がいないゆえの嫁探しではないのか?


「フアン王子は、たいへん色を好まれるそうで」


 僕が思いついたのは、英雄色を好む、というかつての世界のことわざ。

 確かに話だけ聞けば、文武両道のマッチョ、女好き、まさにそんな感じだ。


 鳥好きという繊細なところは、なんだろう、ギャップが面白いが。


「複数の女性と同時に交際されるのが常で、学生時代から女性問題で幾度となくトラブルが。他国の王女を口説こうとして国際問題に発展したことも」


 とんでもない女好きだな。


 でも、まあ、なるほど。とすると、彼にとって結婚相手は誰でも良いわけだ。


 しかし、だとすると、少々面倒だ。

 要するに彼にとって、重要なのはヴィルジニーの立場や利用価値の方であって、彼女の人間性ではないのだ。

 ヴィルジニーの人となりに幻滅させて婚約申し込みを撤回させる、みたいなプランは使えそうにない。


 少なくともこの婚姻話、やはり王子本人の意向はまったく関係なさそうだ。


 引き続き資料の説明を受けたが、どれも比較的表面的なことばかりで、これ以上に参考になりそうなことはなかった。まだ何の経歴も実績もない成人したばかりの王子であれば、情報が少ないのは仕方ないことなのだろうが。


「役に立ちそうか?」


 ジョアンナに礼を言って退室してもらったところで、父が言った。


「まだわかりませんが、何も知らないよりは遥かにマシだと思います」


 僕の返事を聞いた父は、少しばかり視線を泳がせるようにしたが、僕の方へ視線を戻して口を開いた。


「考えたんだがな。マリアンヌ・ドゥブレー嬢のことだ」

「……はあ?」


 唐突に出てきた名前に、僕は眉をしかめる。

 今の流れで、彼女の名前が出てくる余地があったか?


 しかし、父はかまった様子もなく、続けた。


「マリアンヌ嬢の希望の話、覚えているか?」

「えっ? そりゃあ……将来政治家になりたいから、父上のとこで働きたいとか、そういうのでしょう?」

「それについて考えていた。なかなか面白いと思ってな。アレオン王国初の、女性閣僚」


 僕は小さく肩をすくめた。それは面白いが、まあ、今の僕には関係ないし。


「しかし、せっかくなら、宰相とかどうだろう」

「…………は?」


 僕は、父が言ったことの意味がわからず、間抜けにも聞き返す。


「だからさ、宰相だよ。アレオン王国初の、女性宰相。面白いと思わないか?」

「おっ……面白いか面白くないかで言えば、面白いと思いますが」


 戸惑う僕に、父は執務机の上に身を乗り出した。


「そこでだ、ステファン、おまえ、マリアンヌ嬢と結婚しろ」

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