133. 唯一の協力者

 狐につままれたような気分、というのは、こういうことだろうか。


 何が起きているのか、さっぱりわからなかった。


 その一方で、数時間前に考えたことと、奇妙な一致があることも気づいていた。

 僕が前世の記憶を忘れ、ヴィルジニーへの気持ちを失ってしまったら、と考えた、あれだ。


 それと、まったく正反対のことが起きている――そういう感覚だった。

 ヴィルジニーの中から、僕への気持ちが、すっぽりと抜け落ちた……そう考えると、彼女の行動に説明が付く、そういうふうに思えた。


 だが、そんなこと、あるはずがないのだ。

 魔女が、ヴィルジニーの記憶を消すなど、する理由がない。


 しかし、それとはまったく別の話として、魔女との接触は、僕にとってはあきらかに、影響があった。


 昨日までの僕であれば、ヴィルジニーに多少、冷たくされたからといって、必要以上に悩んだりしなかっただろう。彼女を、究極的にはゲームの登場人物キャラクターだと思っていたからだ。ここまで、せっせと好感度パラメーターを積み上げてきた。それが、簡単に失われてしまうというようなことは起きない、と判断して、多少なりとも強引な手段を――例えば、あそこで、無視して立ち去ろうとしたヴィルジニーを行かせたりせず、すぐに追いかけるというようなことが――選択できたはずだ。


 だが、今の僕は、違う。


 この世界の人間たちが、ゲームの設定の影響を受けていても、その思考は、ゲームのプログラム、アルゴリズムに支配されているわけではなく、僕と同じ、普通の人間の精神、判断力によって行われているのだと、知ってしまった。


 つまり、ヴィルジニーが年相応の、思春期の少女であるなら、ありえるのだ、が。


 きっかけ、原因は、なんだかわからない。

 だが、はるか古来から、女性の心の移ろいやすさは、ことわざになって残るほど、語られてきた。


 理屈ではないのだ、女心は。


 こればかりは、たとえ前世の記憶があっても、紐解くことはできない。というか、前世からすでに、僕の苦手分野だ。若い女性には散々振り回された、そういう苦い思い出ばかりだ。


 女心など、さっぱりわからないのだ。


 もしもヴィルジニーの今の態度が、そういう、若い女性特有の、突然の心変わりとか、いわゆる“理不尽冷め”の類だったら……もう僕には、打開策が浮かばない。


 ヴィルジニーとの関係は、これで終わりかもしれない――


 もう、彼女の、僕にだけ見せてくれた最高に可愛い表情を楽しむこともできないのか、と思うと、喪失感で苦しくなるが――しかし、そうなってしまえば、単に、ヴィルジニーを失う、というだけではない。


 このまま、僕とヴィルジニーが疎遠になってしまえば、例の、僕がヴィルジニーにいかがわしいことをしたという噂が、真実であったと受け止められてしまうだろう。


 つまり社会的に、僕は終わりだ。


 フィリップ王子やリオネルは、そんな噂を信じたりしないだろう。僕とヴィルジニーのことを知っている、父や、デジール公爵も。だが世間が信じれば、彼らも僕を、それに応じた扱いにするしかなくなる。


 噂を否定するにしても、その内容が内容なだけに、当事者であるヴィルジニーの協力は、不可欠だ。だが当の彼女は、僕と話をすること自体を、拒否している。


 八方塞がりだ。


 ヴィルジニーが心変わりしたのだとしても、最低でも、噂を否定する協力だけはしてもらわなければ……なんとか、彼女と話をする方法を、見つけなければ。


 彼女が僕を拒絶する理由が、わかればいいのだが。


 そういうことを考え、ろくに眠れなかった夜を明かし、僕は早朝、早くから寮を出て、食堂への渡り廊下を見張っていた。


 セリーズを捕まえるためだ。


 彼女は、朝食を早起きして早く済ませる習慣を、変えていなかった。だからこのタイミングなら、一人でいるところを捕まえられるはずだった。


 セリーズは、期待通り、時間通りに現れた。


 僕が呼び止めると、セリーズは驚いたが、その様子を見れば、予期していたようでもあった。


「今日、どこかでお時間をいただけませんか?」


 僕が言うと、セリーズは首を傾げた。


「今からでも?」

「朝食の邪魔は、したくなかったのですが」

「気になって、何を食べたかわからないというのも、嬉しくないので」


 渡り廊下を離れ、建物の影に隠れるように移動する。


「ヴィルジニー様のことですね?」


 セリーズの問いに、僕は頷く。


「半日、留守にしたら、そのあいだに急に……なにがあったか、ご存知です?」


 僕が聞くと、セリーズは首を横に振った。


「わたしたちも、さっぱり――昨日の朝は、ステファン様がいないことを、気にしてらっしゃったようなのですが」

「そうなのですか?」

「教室で、探す素振りをしてらっしゃいました」


 ふむ。では、その後に何かがあったのか?


「セリーズさんは、噂についてはご存知ですか?」

「噂?」

わたくしとヴィルジニー嬢に関する」

「ああ……小耳には挟みましたが、わたしは信じておりません」

「えっ?」

「だって、ステファン様がヴィルジニー様の意に沿わぬことをするなど……ありえません」


 僕のことを信じてくれている人物がいる、というのを知ると、やはり心強い。

 しかし、散々利用しようとしたセリーズがこういう態度でいてくれる、というのは、ちょっと心が痛む。


「事実では、ないのですよね?」

「えっ? そりゃあもちろん」

「よかった」

「その噂と、あのヴィルジニーの態度、関係あると思います?」

「いえ……どうでしょうか。ないのでは」

「なぜ?」

「昨日はヴィルジニー様の前では、その話にはまったくなりませんでしたし、その……もしかしたらヴィルジニー様は、噂の存在自体、知らないかもしれません」

「どうして」

「コトがコト、ですから。誰もご本人に、聞こえるようには話せません」


 それも、そうか。

 ヴィルジニーが被害者であれば、迂闊に触れられるようなことではない。


「ヴィルジニー嬢のあの態度で、噂が信憑性を増してしまうのはよくない。彼女がわたくしに素っ気なくするにせよ、噂の否定には、協力してもらわねばと思っているのですが」


 僕は現状を説明するつもりでそう言ったのだが、セリーズは僕を睨むようにした。


「ステファン様は、ヴィルジニー様のことを、どのようにお考えなのですか?」

「えっ?」

「わたしはてっきり、ステファン様は……ヴィルジニー様のことを、お慕いしているのかと。しかし今の言い方では、ヴィルジニー様の心変わりより、ご自分の立場を心配しているように聞こえます」


 言われて、僕は、ヴィルジニーが心変わりしたのなら、彼女の気持ちを尊重し、諦めるほかないと思っていた――いや、すでに諦めていたのだと、気がついた。


 相手に脈がないと思えば、さっさと見切りをつける――それは前世で、僕がやっていた恋愛だ。自分が落とせそうと思う相手しか、アタックしてこなかった。


 今生では、そういうやり方はしないと、決めたのではなかったか。だからヴィルジニーだったのだ。自らが望む、もっとも高いところにある花……彼女に出会い、彼女への恋心を思い出した。そしてこれまで関係を育んできたのだ。それを簡単に諦めるなど、できない。してはならない。


「ありがとう、セリーズさん」


 僕は苦笑を浮かべ、首を振った。


「僕は、ヴィルジニーを手に入れられるなら、国外追放だって、受け入れるって気分ですよ」


 それを聞いたセリーズは、微妙な微笑みを浮かべる。


「それは、良い心がけと思いますが……それではきっと、ヴィルジニー様はついてきてくださいませんでしょうね」


 悪役令嬢の典型的な末路、追放に絡めた、ジョークのつもりだったのだが、そのような知識のないセリーズに、通じるはずなかった。


 セリーズの返事に、確かに、そういう不便は、公爵令嬢には受け入れられないだろう、と思い付き、僕は笑った。


「ヴィルジニー様には、探りを入れてみます」


 僕が笑い終わるのを待って、セリーズがそう言った。


「よろしいので?」


 聞くと、頷く。


「わたしも、ヴィルジニー様の急な態度の変化は、気になりますし。ステファン様とお話する、お膳立てができないか、やってみます」


「それは――それができるなら大変助かりますが……セリーズさんのお立場が悪くはならないようにしてください」


 僕が言うと、セリーズは微笑んだ。


「そういうステファン様を知っていれば、あのような噂、おかしいとわかりそうなものですけどね」

「情報収集できそうな唯一の人物、ということで声を掛けさせてもらったので、あまり無理はさせたくないというだけです。

 それに……あのヴィルジニー嬢が、セリーズさんの進言を受け入れるかは……」


 懸念を正直に口にすると、セリーズはその微笑みを、今度は不敵なものに変えた。


「以前にも、今回と似たようなことがありました。覚えてますか?」

「えっ?」

「もう随分と前ですが、ステファン様が、リリアーヌ様とベルナデット様を怒らせたことが、あったじゃないですか」


 あの二人はいつも僕を目の敵にしているから……と考えて、思い出した。

 その、そもそもの発端――僕が二人をからかっにセクハラをして、ヴィルジニーに変態呼ばわりまでされた、あのときのことか。


「お二人がヴィルジニー様に報告して、ヴィルジニー様までステファン様に、その、厳しい態度を」


 どうやら間違いなさそうだ。


「あれが?」

「あの時は、わたしの言ったこと、聞いていただけましたよ」


 言われて僕は、あのとき、ヴィルジニーがやけに簡単に、僕を許してくれたことを思い出した。憎まれ口こそ叩かれたが。


「ではあれは、セリーズさんが?」


 言うと、彼女は頷いた。


「僭越ながら……ステファン様は、理由なくそのようなことをなさる方ではない、と。その場では何も仰りませんでしたが――そのあとすぐに、お二人でお話しなさってましたよね?」


 確かあの日は、ヴィルジニーの課外活動ヴィルジニーズ・サロンでダンスレッスンをやっていたはずだ。セリーズはダンス練習をしながらも、ちゃっかりこちらの様子を伺っていたらしい。


「ヴィルジニー様は、多少、素直でないところもございますが、わたしの意見には、ちゃんと耳を傾けてくださるんですよ」


 と、どこか嬉しそうに微笑むセリーズ。


 セリーズの発言は、にわかには信じがたい。が……そういえば、確かにヴィルジニーは、僕の言ったことだってはじめから、よく聞いていた。相手の身分が低い、と馬鹿にしていても、それとは別に、話は聞いて、正当だと思えばそれを受け入れる、そういう度量は、確かに備えていたのだ。


「そうであれば、是非ともお願いしたいが……本当にそこまでしてもらって、よろしいので?」


 セリーズは微笑みのまま、頷いた。


「ステファン様には何度も助けていただきました。わたしがステファン様のお役に立てるのなら、嬉しいです」


 そこまで言われてしまえば、僕は頷くしかない。


「では、よろしくお願いします」

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