131. 不名誉な噂

 リオネルに案内されるように歩き出したが、彼はこの道程で、その“困ったこと”とやらを説明するつもりはないようだった。黙って歩く彼の後頭部を見ながら、やはり黙ってついていく。


 どうやら、学生寮へ向かうようだった。


 通用門から男子寮まではすぐだったが、とっくに授業も終わっている、という時間帯。行き交う生徒がそこそこいて、僕に気づいた生徒が、何か含むところのあるような視線を向けてきたり、連れとひそひそ言葉を交わす様子も見えた。


 異様な雰囲気だ。


 彼らの表情を見れば、好奇心とか、興味本位といった、そういう様子だ。僕が一人でちんたら歩いていたら、呼び止められて色々聞かれたのだろうか。足早のリオネルと一緒だから、それを避けられているというわけだ。


 確かに、何か面倒なことが起きているようだ。


 それも、僕に関して? 僕はリオネルを追いかけながら、なにかあっただろうか、と考える。

 が、心当たりは特にない。

 普段から極力、目立たないように生活しているのだ。


 ふと、思いついたのは、昨夜、ヴィルジニーを連れて男子寮へ入ったことだが……確かに男子生徒を二、三人ほどびっくりさせたが、あんなもの、学校中の噂になるようなほどのことでもないだろう。僕とヴィルジニーが連んでいることも、彼女が男子寮を訪れるのも、今に始まったことではない。いくらヴィルジニーがフリーになったとはいえ、公爵の御令嬢を宰相の息子である僕が逢引のために連れ込んだ、などと、思いつく貴族令息は王都にいないだろう。


……いないはずだ。


 すれ違った二人組の女子生徒に睨まれたような気がして、僕は視線を向けたが、二人はさっと顔を背けたので、その表情は確認できなかった。


「ステファン殿」


 首を傾げた僕は、リオネルに促され、彼に続いて男子寮へと入る。



 案内されたのは王族専用個室。フィリップ王子の部屋だった。

 扉をノックしたリオネルは、誰何の声に「お連れしました」とだけ答えた。

 使用人が扉を開けてくれ、リオネル、僕の順に中に入る。


 案内された応接室にいたのは部屋の主のフィリップ王子、そしてクローディア王女だった。


 僕はソファに座った王子、そして傍らに立つクロードを順番に見た。


「何事です?」

「まあ、座れよ」


 戸惑う僕を、クロードは心配そうに、そして王子は愉快そうに見た。

 言われた通り、僕は向かい合わせになるように腰掛けたが、リオネルはソファの後ろに立ったままだった。


「その様子だと?」


 王子に視線を向けられたリオネルは、頷きを返す。


「先ほど、戻られたところを通用門で捕まえました。やはり、朝からお出かけになられていたようで」


 納得顔を見せた王子に、僕は首を傾げた。


「何があったんです?」

「それを聞きたいのはこちらの方だ。何があった? いや、?」


 僕は眉をひそめるほかない。


「なんのことかさっぱりわかりません」


 まさか、魔女に会いに行ったことが問題というわけでもなかろう。学園にいた誰かが知るはずもないことだ。

 では、ルージュリー家に少女を連れ込んだことか? しかしそれだって、やはりおかしい。


 僕がとぼけているわけではない、と理解してくれたのだろう、王子は言った。


「リオネル。今日、一番ホットだった噂を、伯爵家のご令息に説明してやってくれ」


 頷いたリオネルは、わずかに僕の方を向いたが、視線を合わせようとはせずに口を開いた。


「――昨夜、ステファン殿が、ヴィルジニー・デジール嬢を、寮の自室へ連れ込んだ、と」


 僕は、やっぱり納得がいかない、という顔のまま、首を傾げた。


「それが? ヴィルジニー嬢が僕の部屋に来るなんて、今にはじまったことじゃないぞ?」


 僕は同意を求めて王子を見た。王子は、僕の部屋を訪ねてきたヴィルジニーと鉢合わせたことがあった。

 それに、以前にも言及したことがあったが、女子生徒が男子寮に入ることは、明示的に禁止されてはいない。


「ふむ。ではその部分は事実か」


 王子のその応えは予想しておらず、僕は驚く。


「そうです、けど……問題があります?」

「問題はその後なんだ」


 王子はそう言ったが、続きは口にせずリオネルをみた。

 そのリオネルは、言いにくそうに一瞬、僕の顔色を伺う素振りを見せたが、結局はまた視線を外して、言った。


「ステファン殿の部屋から出てきたヴィルジニー嬢の様子が、その……おかしかった、と」


 リオネルの言葉に驚いた顔をしたのは、僕だけだった。


「様子が? ……どうおかしいって? そんなこと、誰が?」


 リオネルは言いにくそうにしながらも、僕の視線を受けて、続けた。


「一階のホールに居合わせた男子生徒の話です。ヴィルジニー様は、その、顔を真っ赤にして、誰とも顔を合わせないよう、逃げるように足早に出ていった、と」


 そんな馬鹿な――僕は昨夜、僕の部屋を出ていくときのヴィルジニーの様子を思い出す。


 もちろん、僕は送っていこう、と申し出た。それを彼女は、

「この学園で、わたくしにとって一番危険なのは、他ならぬ貴方あなたなのですよ」

 といかにも気の利いた冗談だろうという笑みを浮かべて断り、余裕綽々の澄まし顔で悠々と出ていったのだ。


 その、彼女が? 真っ赤な顔で? 足早に?


「いつも堂々としてらっしゃる公爵令嬢が、そのご様子ですから――」


 リオネルに視線で続きを促した僕だが、彼は憚られるのか応えず、代わりにフィリップ王子が言った。


「ステファン、キミがヴィルジニー嬢に、密室でをしたのではないか、と、彼女を目撃した連中は思ったんだよ」


「僕が?」


 そのとき、僕の脳裏には、彼女の唇を奪おうとし未遂に終わったあのシーンが浮かんでいたが、お首にも出さずに言った。


「よからぬこと? ヴィルジニー嬢に?」


「もちろん、キミを知る者はそんなこと、信じちゃいないさ」


 フィリップ王子は、とても僕のことを信じているとは言い難い、面白がるような顔で言った。


「それに、相手は公爵の御令嬢、それも性格の――苛烈なことで有名なヴィルジニーだ。聡明で賢明な宰相のご子息が、よりにもよってそのような相手に、迂闊な真似などなさるとは、世間だって簡単には信じない。

 しかし――」


 王子の目は、僕の顔色を伺うような色を浮かべた。


「しかし、キミが最近、ヴィルジニーとやけに一緒なのは、学園中が知っている。そして、疑惑が生じたその日、キミはまるで雲隠れするかのように、姿を消した」


 そういった状況が、仮説を補強してしまった、と言いたいことは、わかった。


 今日、学園を留守にしたのは、ヴィルジニーとはまったく関係がない、僕の個人的な事情なのだが、用件が用件だけに、説明できるような類のことではない。僕は、魔女が持ち出した物騒なモノを思い出した。僕が何かを言って、その結果、彼女がアレで僕を撃ちに来る、などということにはなかなかならないとは思うが、それを言えば疑惑を払拭できるというほどの材料でもない。留守の本当の事情は、話すべきではないだろう。


「では、つまり……僕がヴィルジニー嬢を乱暴したと、そういう噂が立っている、と、そういうことなのですか?」


 僕は、学生寮に入る直前、睨んできた女子生徒のことを思い出していた。

 あの視線は、つまりは女性の敵へと向けたもの、蔑みと怒りの視線だったのだ。


 僕は頭を抱えてしまうことこそ我慢したが、思わずこめかみに手を伸ばした。


「もっ、もちろん、我々は信じておりません!」


 慌てた様子で言うリオネル。


「あのヴィルジニーが、黙ってヤラれはしまい。少なくとも未遂だったのではないかな」


 と言ったのはフィリップ王子で、僕ばかりかクロードすら、驚いた顔で彼を見る。


「王子!?」

「だってさ、少なくともボクは、キミがヴィルジニーのことを割とマジで好きって、知ってるしな」


 言いながら、王子は肩をすくめる。


「キミたちが最近いい感じなのは知ってるし。密室に二人っきりで、魔が差したとしても驚かんよ」


 クッソ、困ったぞ。王子の指摘はだいたい合ってる。


「では、ステファン様の本命がヴィルジニー様というのは……」


 ばつの悪い顔で、つぶやくクロード。

 確かに彼女の立場であれば、その事実はいささか複雑であろう。


「だからさ、二人の間を阻む障害がなくなって、調子に乗ってしまったとしても、非難はできないだろう?」


 面白そうに言う王子に、僕はこれみよがしにため息を吐いてみせた。


「ここまで慎重に進めて来たのです。今更、そのような迂闊なこと――」


 いや、迂闊なこと、したのだ。

 キスしようとした。

 今、思えば、確かに焦り過ぎだった。

 だが焦ってキスしたいと思ったのは……クソッ、僕のファーストキスを奪った、この王子のせいでもあるのだ。


「なんだ? ホントはしたのか?」


 いかにもわくわく、という様子の王子に、僕は眉をひそめた。


「ヴィルジニーが嫌がることはしていません。決して。誓って」

「では、彼女の様子がおかしかったのは?」

「心当たりはあります」


 曖昧に濁すと余計に不味かろうと思い、僕はとりあえず断言しておく。


 言うつもりは毛頭ないが、実際あの夜、僕たちはかなりイチャついてたのだ。キスこそ未遂に終わったが、平静を装って部屋を出たヴィルジニーが、かなり大胆なことをしてしまったと気づいて、慌てる、顔を赤くする、ぐらいのことはありえるだろう。高飛車で余裕有りげに振る舞ってはいるが、その実、恋愛未経験の初心ウブな少女なのだ。


「ほう? 心当たり?」


 説明しろ、とばかりの王子に、だが僕は首を横に振った。


「それは彼女の名誉のために言えませんが、しかし、噂されているようなことではありません」

「本当に?」

「本当ですよ。なんだったらヴィルジニーに――」


 確かめてもらっても良い、と言おうとして、僕は眉をひそめる。


「これ、相当大事オオゴトなんですか?」

「まあな」


 王子は肩をすくめた。


「婚約解消したばかりの公爵令嬢ヴィルジニー・デジールに、宰相の息子ステファン・ルージュリーが不埒なことをしたとなれば、盛り上がりもする」

「楽しまないでくださいよ」


 笑みを隠せない王子に一応ツッコんでおく。

 基本的に金持ちで甘やかされた貴族の子弟ばかりの学校である。ゴシップやスキャンダルは一番の話のタネだ。


「一年生の男子生徒の間では、まあまあ広まってますね。他の学年は、どうかな」

「女子生徒の間でも、それなりに広まっているようですよ。もっともこういう話は、女性の方がお好きでしょうから」


 リオネルの言葉に、応じたのはクロード。女子に伝わってしまえば、拡散は早いだろう。


「では当然、ヴィルジニー嬢の耳にも?」

「入ってるだろうな」

「ならば、ヴィルジニーは否定するのでは?」


 根も葉もない噂なのだ……いや、完全に間違っている、とはちょっと言い難いが、彼女の意に反したことが行われたわけではない。彼女の立場では、噂を追認するような真似はしないはずだ。


「それが……」


 言いにくそうに口を開いたのはリオネル。


「ヴィルジニー様は、この件について、何も仰られていないようで」

「何も?」


 王子の問いに、リオネルは続ける。


「あからさまに無視されているご様子だとか」

「ヴィルジニーらしくないな。噂話などされれば、機嫌を損ねそうなものだが」


「リオネル、その話、どこからのものだ?」


 僕の問いに、リオネルは一瞬、言いよどんだ。


「……公爵令嬢にほど近い、御令嬢から」

「誰だ。ベルナデットか?」


 リオネルは曖昧にではあったが頷いた。

 あの夏の海以来、二人はかなり接近しているのだ。流石に付き合っている、というふうではないが。


「ベルナデットなら、直接聞くだろ」


 友人に対しては遠慮しない女だ。


「それが、とても聞ける雰囲気ではない、と」


 なるほど、つまり、そんな話したくない、という素振りの「あからさまな無視」だということか。


「しかし、無視というのは、対応としては悪くない」


 僕の言葉に、リオネルは怪訝な顔。


「そうですか? 否定した方がいいのでは」

「いや、ここは、取るに足りない噂だと突っぱね、普段通り振る舞うのがいい」


「たしかに、そうだ。噂では、ヴィルジニーがステファンに辱めを受けたことになっている。その二人が並んで食事をしていれば、そんなことがあったとは誰も信じない。すぐに収束するだろう」


 納得顔のリオネルを見ながら、王子は続けた。


「もちろん、本当に何もなかったのなら、な」

「馬鹿言わないでください」


 僕が王子に向かって馬鹿、などと言ったから、クロードは驚いたようだった。

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