130. 現実への帰還

「今日中に王都に戻りたいなら、そろそろ帰ったほうがいい」


 アップルパイを食べて満足げだったはずの魔女がそう言い出し、僕は眉根に皺を寄せる。


「僕には、まだ聞きたいことが」

「実はもうひとつ、いい方法を思いついた。君を殺して、システムにリセットさせる」


 冗談だ、と僕は笑おうとしたのだが、彼女が机の下から取り出し、ゴトリ、と音を立ててテーブルに置いたものを見て、やめた。


 拳銃だ。


 前世でしか……いや、前世ですら、実物は見たことがない。ただ、同じタイプのモデルガンを持っていたから、僕にはすぐにわかった。飛び道具と言えば弓矢が主流のこの世界にはとてつもなく不釣り合いな、自動式拳銃だった。


「えっ? ベレッタですか? 本物?」

「これか? あいにくわたしが知っているのは、使い方だけだ。だが、君を殺すには、それだけで十分だろう」


 魔女は拳銃から手を離したが、視線は離さなかった。


「君の選択は尊重したいし、覚悟ができているならそれもいいが、君の働きかけが、ほかの誰かを危険に晒すかもしれない。この方法なら、君の不具合を安全、かつ確実に修正できるし、君というリスクを野放しにしなくてもいい」


「ご冗談を……」


 とてつもなく物騒なものを出しておいて、安全、などと口にするので、乾いた笑いが出てしまう。


「勘弁してください。僕はまだ、死にたくありません」


 言うと、魔女は首を傾げた。


「勘違いするな。死ぬといっても、今生に限った話だ」

「そうかもしれませんが……僕はまだ、この世界でやりたいことが――やらなければならないことがあるんです」


 魔女は顎に手を当てると、悩むように目を細めてこちらを見た。


「しかし、うーん、考えれば考えるほど、ベストな手に思える」

「だっ、誰にも話したりしませんよ!?」

「だからさ、わたしがそれを本当に実行しようとする前に、帰ったほうがいいんじゃないか?」

「っ……ご忠告、感謝します」


 こういう強引なやり方をするなら、食い下がっても何も話すつもりはない、ということだ。


 あきらめた僕は、村に戻るというエミリーと共に、ログハウスを出た。

 一人で山を降りるのは心細かったから、彼女が一緒で良かったと思った。


「さよなら。もう二度と来るなよ」

「お茶を、ごちそうさまでした。今度はまた違うお菓子を持ってきますよ」


 顔をしかめた魔女は、さっさと行け、とばかりに、手をしっしっと振った。


 色々と知っているはずなのに、追い出すような真似までして話そうとしなかった魔女に、不満がないわけではない。

 でも、彼女の言動から、わかったこと、推し量れることはあった。


 正確なところは、わからない。

 しかし、世界が、自分の認識している形ではなかったとしても、それはさほど重要なことではないのだと、気がついた。

 誰だって、自分がいる世界の本来の姿など、確かめようがないのだ。


 そして僕にとって重要なことは、前世の記憶があることや、転生していること、ましてや、ここがゲームと設定を同じくする世界であることなどでは、ない。


 重要なのは、僕が、この世界で生きている、ということ。


 つまりは、こそが、今の僕にとって、真実、唯一の、現実なのだ。


 それがわかった今、早く帰りたかった。王都へ。今、僕がいるべき場所へ。


「先生に嫌われちゃったわね」


 ログハウスが見えなくなったところで、エミリーが言った。


「ん?」

「先生は、もう来るな、なんて、言わないのよ、普通は」

「ああ……君の先生は、優しいから」

「えっ?」

「僕のことを心配して、ああ言ってくれたんだ」


 そう。魔女は、その気なら、有無を言わさずに僕を撃つことだって、できたはずなのだ。


 それに、来るなと言われても、居場所はわかっているのだ。どうしても聞きたいことがあれば、また来ればいい。あの様子であれば、姿を見るなり撃つ、などということは、しないだろう。


「エミリー、君は、僕と先生の話の意味は、わかっているのか?」

「わかんないよ」


 エミリーは振り返りもせず、そう答える。


「そうなのか?」

「だって、知らない言葉ばっかり使うんだもん」


 なるほど。この世界の知識しかない人間であれば、僕と魔女の会話は、専門用語が多用される技術者同士の会話のようにでも聞こえるのだろう。


「お兄さんが、先生と同じなんだってのは、わかるよ」

「同じ?」

「違うの?」


 ある意味ではおそらく同じだが、それはエミリーも同じで、だからたぶん、違うのだ。魔女はそれを僕に聞かれたくなかったから、僕を追い出すような真似をしたのだ、きっと。


 僕は、僕の素性を知った魔女が見せた、残念そうな表情を思い出していた。


 彼女が魔女などと名乗るのは、そうしていれば誰かが見つけるから、などというようなことを言っていた。

 おそらく彼女には、本当に訪ねて来て欲しい何者かがいるのだろう。

 その一方で、あの戸棚の薬瓶を見れば、僕のような者にも対応する、用意が常にできている。

 僕は決して、招かれざる客では、なかったということだ。


 馬車が待っていた分かれ道で、僕はエミリーに向き直った。


「馬車で村まで送ろうか」

「いい。すぐ近くだし、こんなのに乗って帰ったら、村の皆が驚くわ」

「そう……でも、ありがとう。本当に助かった。先生はああ言ったけど、君はまた、いつでもウチに寄ってくれ」


 エミリーは首を傾げた。


「わたしが行っても、エディットは、あなたを怒らない?」

「ちゃんと話をするよ。君が来れば、エディットも喜ぶ」

「お菓子を食べさせてくれるなら、また泊まりに行ってあげてもいいわ」

「約束だ」


 僕たちは握手をして、別れる。



 学園に戻ったら、真っ先にヴィルジニーに会いに行こうと思った。


 会って、どうこう、というわけではない。


 ただ、無性にヴィルジニーが恋しい、会いたい、という気分だった。


 馬車の速度が苛立たしかった。馬はこの世界では最速の陸上移動手段だろうが、今は前世の自動車が欲しかった。この未舗装路でも、速度を出せるような車が。



 馬車には直接、学園の通用門につけてもらった。

 すでに秋の、足の早い陽はすでに隠れ、空には夕焼けが広がっていた。

 魔女が言ったことは正解だったな、などと、馬車を降りながら思う。


 現実に還ってきた――門柱を見上げ、そういう気分になる。

 魔女に会いに行ったこと、あのログハウスでの出来事は、まるで、夢の中での出来事……そういう感じすら、した。


 校内に入ったところで、こちらに駆け寄ってくる人物があった。

 リオネルだ。


 このマッチョな好青年は、前世ではどのような人物だったのだろうか。

 魔女の言葉通りなら、彼もまた、僕と同じで、ただ、僕のようには前世の記憶を思い出せない、それだけの違いしかないのだ。


 走ってくる彼を見ながら、前世の彼は、きっと今の姿、性格とは、まったく違うのだろう、と思いつく。僕自身がそうであるように。

 何も覚えていない、まっさらな人格なら、置かれた環境、家族や周囲の人間、そして社会が、その性格を育むのだ、きっと。


「ステファン、探しましたよ」


 声に疲れた様子が滲むリオネルに、僕は首を傾げる。


「すまない。朝から出かけてたんだよ」

「いえ。でも、ここで捕まってよかった」

「なんだ? なにかあったのか?」


 リオネルは周囲を伺うようにした。伺うまでもなく、周りには誰もいなかったのだが。

 それからリオネルは、表情を深刻なものにして、言った。


「それが少々……困ったことになっています」

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