128. 魔女の棲む家
特に、おかしな様子はなかった。
開けた土地は、綺麗に草が刈ってあった。
まるで庭のように整備されていて、木製の大きめのテーブルと、椅子まで並べてあった。天気がいい日にここで食事をすれば、大変気持ちがいいだろう。椅子は複数あって、もしかしたらここまで案内してくれた少女のような“生徒”の利用を想定しているのかもしれない、と思えた。
ログハウスは、その呼び名で概ね想像できる様子のもので、木材を組み合わせて作られていた。ただ、その側面の壁には、採光のためだろう、窓ガラスがいくつもはめ込まれていた。文明レベル的にはおかしくないが……透明度の高いガラスは、大変高価な工業製品だ。このような使い方ができるのは、貴族ぐらいのものではないかと思う。
魔女と呼ばれる人物は、貴族なのだろうか。
いや、考える必要などない。間もなくわかるのだ。
「話してくる。待ってて」
そう言ったエミリーは、勝手知ったるといった様子で、広いテラスへの短い階段を駆け上ると、玄関扉へと取り付き、素早く中へと入っていった。
僕は、その立派なガーデンテーブルに近づくと、持っていた鞄を下ろす。その瞬間、どっと疲れが出て、たまらず、傍らのベンチに腰を下ろした。
深い溜息を吐く。こんなに歩かされて無駄足だったら嫌だな、などと思いつく。
ほどなく、ログハウスの玄関扉が開いた。顔を上げると、そこから女性が一人、出てくるのが見えた。
黒いワンピース姿のその女性は、ハイティーンの少女に見えた。つまり、歳の頃は18とか19といったところ。背はさほど高くない。肩にかかる長さのサラサラの黒髪と、ぱっちりと澄んだ黒い瞳。その目がこちらの姿を見つけ、薄く微笑んだ。
女性の後ろから、エミリーが覗くようにした。
「あのひとが、先生が言っていたヒト?」
エミリーの言葉に、思わず立ち上がる僕。
そんな僕には構わず、女性は傍らの少女に微笑みかけた。
「どうかな? 確かめてみよう」
いまのやり取りを聞けば、この若く見える女性こそが、魔女本人で、しかも彼女は、僕が訪れることを知っていたとも受け取れた。
エミリーの、村の大人たちすらも魔女と呼ぶ理由を知らない、という話、そしてその字面から、どうしても老婆、鈎鼻で、黒いローブを身に着け、捻れた木の杖を突いた典型的な姿をイメージしていたから、彼女の、まだ少女の域を脱していないその佇まいは、想像とはかけ離れていた。
もしも話の通り、彼女がずっと昔からここにいて、そしてその間、ずっとその若さと美しさを保っていたのだとすれば、それだけで充分、魔女と呼ばれる理由になっただろう、とも思いつく。
しかし、彼女が本当に、僕が期待していた魔女、なのだろうか。
それらしいのは、身につけた黒いワンピースだけで、あとは、普通の少女に見えるのだ。
僕がそういうことを考えている間に、彼女は、玄関前の短い階段を降りてきた。
その手には、もちろん、杖などはない。
「どのようなご用件でしょう?」
少し離れたところで足を止め、彼女は言った。
「あなたが、魔女か?」
確かめる必要があると思い、訊ねた僕に、女性は皮肉めいた苦笑を浮かべ首を傾げた。
「そのように呼ぶ者もいる。どこでその呼び方を?」
「王都の、中央街にある古書店で」
「ああ……魔女を騙って本を探してもらっているのは、確かにわたしだ」
エミリーが、荷物袋から本を取り出した。例の絵本だ。
差し出されたそれを受け取った魔女は、表紙に目を走らせクスリと笑った。
「これは、わたしが期待していたものとは違うが、それにしても……まだこんなものが残っていたとは」
僕は、この人物が、本当に僕が考えているような、前世のことや、もしくはこの世界の本当の姿を知っている人間なのか、それとも、ただ単に妙な字で書かれた本を集めているだけの変人なのかを、見極めなければならない、と思った。
それができなければ、僕の事情をベラベラしゃべりたくなどなかった。
「あなたは、僕が来ることを、知っていたのか?」
本から上げた目は、面白そうに細められていた。
「そういうわけではないが……こういうことをやっていれば、誰かがわたしを見つける、そういうふうには考えていた」
彼女は絵本を振って見せてから、それをエミリーに渡した。
「なるほど。では君は、わたしが何者か知らずに、ここに来たのだな」
どうやら魔女は、当たり障りがないつもりだった僕の発言から、欲しい情報を得たようだった。一方で僕の方は、魔女が色々と知っていることはわかっても、それがどういう意味を示すのかを推し量ることは、できなかった。こうなれば、僕としては、正直になるしかないと思えた。
「あの本が読めるなら、あなたは、僕と同じではないかと思ったのです」
愉快そうな顔をした魔女に、僕は続けた。
「だが、まだ、あなたが、ただあの字を読めるだけの、変わり者であるという可能性を否定できない。あの本を、僕はこの世界で、ここで使われている字で書かれているものを、見たことがない。だがあなたが僕と同じなら、きっと、以前にあの本を読んだことがあるはずだ。二人が作ったものを、答えてください」
エミリーが、持っていた絵本をぎゅっと抱き締めたが、魔女はそちらの方を一瞥すらせずに、薄っすらと笑みを浮かべた。
「カステラ。フライパンで作るから、ホットケーキと勘違いしてしまうんだけど」
そう言った魔女は、目を細めた。
「懐かしい……本に憧れて、母と一緒に作ったな」
僕は、頷いた。なぜか、目頭が熱くなった。
「僕と、同じだ」
家族のことを思い出したからだろうか。ホームシックの一種だろうか。
自分にまだ、前の家族を懐かしむ気持ちがあったことに、驚いた。
「お話し、伺いましょうか」
優しい目をした魔女が、室内を指し示した。
勧められたソファに腰を下ろし、テーブルにはティーセットが並べられた。魔女が手ずからいれてくれた紅茶と、小皿に乗ったアップルパイは僕が持参したものだ。
「おもたせで失礼ですが」
「いえ、これはどうも、ご丁寧に」
前世の世界のような振る舞いをしてしまったことに気づき、僕はこっそり苦笑する。
ログハウスの内部は、外観から想像する通りの、木目が美しいリビングだった。床や壁、天井はもちろん、テーブルも椅子も、工作精度の高い、見事な木工製品だった。座らされたソファは部屋の中で浮いてしまわないようにだろう、似た色の革張りだった。
やはり、田舎の農村にあるような家具ではない。どれも貴族の館で――もしくは
エミリーは、少し離れたところにある、一枚板の立派なカウンターで、すでにアップルパイにありついていた。ナイフとフォークを上手に使っていて、こういうことも魔女が躾けたのかな、などと思う。
「同じ、と、君は言ったが」
テーブルを挟んで向かいのソファに腰を下ろした魔女は、微かに首を傾げると、僕の表情を伺うようにした。
「どういう意味で、言っているのか」
「以前、ここではない世界で生きていた。その記憶がある」
僕の言葉を聞き、微笑んでいた魔女の口角が、更に上がる。
「なるほど。では君は、自分に前世の記憶がある、と主張するわけか」
「事実だ。僕は転生者だ。あなたもそうなのだろう?」
「転生者?」
そう言った魔女は、声には出さなかったが、笑った。
「いや、すまない。君のことを笑ったのではないんだ」
そう断った魔女は、表情を引き締めようとしたが、どこか面白そうな顔色は、変わらなかった。
「そうか……ふふっ、これではまるであべこべだな」
「……なに?」
「いや、こっちの話だ」
魔女は、なぜか感慨深げに「そうか、転生者か……」と、独り言のように呟いた。
それから、僕の方を向いた。
「それでは……そうだな、なぜ君がそのような認識に至ったのか、そこから話していただこうか」
「その前に」
魔女の言葉に、僕はさっそく反発する。
「この世界について、あなたが知っていることを、話して欲しい」
言うと、魔女はおかしそうに微笑んだ。
「足し算を理解しているかどうかわからない子供に、因数分解の話をしてもわからないだろう」
「それは、そうですが」
「まだ、君がわたしを騙そうとしている、そういう可能性が排除できていない。あの本を前世で読んだことがあるのではなく、あの字を読めるとか、もしくは、あの本は本当はこの世界の言葉に翻訳されていて、それを読んだというだけかもしれない」
僕は苦笑しながら首を横に振った。
「あの本、出版社の名前も書いてあったじゃないですか。漢字で。装丁だって、前の世界で見たものとまったく同じだし。そもそもこの世界の文明レベルではあのようなもの、作れませんよ……」
言いながら、僕の頭には新たな疑問が浮かび、思わず俯いて、考え込んでしまう。
「じゃあ、なんであんなものがこの世界に……」
視線を感じ、顔を上げると、魔女は楽しそうにこちらを見ていた。
「どういうことだ?」
「君は、なぜ自分が転生していると思った?」
魔女は僕の問いには答えなかったが、僕は素直に答えようとした。
「前世の記憶がある。それに、僕はこの世界を知っている」
魔女は少しだが目を見開いた。
「知っている、だって? どういうことだ」
僕は窓を見て、外の景色を確かめた。
「ここは……ゲームの世界だ」
「なに?」
「恋愛シミュレーションゲームだ。知ってるんでしょ?」
「……いや――」
魔女は首を横に振ったが。その反応を見ると、知らないというのは嘘ではなくても、心当たりがまったくないというわけでもなさそうだった。
「僕と、周りの登場人物、そして僕の置かれた環境は、僕が知っている前世のゲームと、まったく同じだった。だから僕は――僕がゲームの世界に転生したのだと、そう認識した」
「ゲームの世界に、転生」
反復した魔女に、僕は曖昧に頷いた。
「確かに、おかしなこと……あり得ないことだと思う。でも、そうとしか説明が付かない――僕はてっきり……いや、あなたも理解しているのでしょう?」
魔女が考えるような素振りをしていて、僕は口を閉じた。
その顔を見て、僕は、もしかしたらこの女性は、僕が考えていたような人物ではないのかもしれない、と思い始めていた。
「違うのか?」
「ゲームなんて、無数にあるでしょう。わたしがそのひとつを知らなかったからといって、おかしなことはない」
魔女のその発言は、僕の直前の疑義を打ち消してくれた。少なくとも彼女は、前の世界のことを知っている。
しかし、とすれば、この人物は、自分がまったく知らないゲームの世界に転生する羽目になった、ということなのだろうか。
でも、まあ、僕だって、思い入れこそはあるが、プレイしたことは一度もないのだ。そういうこともある……かもしれない。
「何のゲーム?」
「えっ?」
「あったでしょ、ゲーム機とか、ソシャゲとか」
「ああ……コンシューマーと、確かパソコンもあったけど」
「ダウンロード販売も?」
「ああ、ええ、ありました」
僕が頷くと、視線をそらした魔女は、なにか納得した様子を見せた。
僕には、彼女がどうしてそんなことを気にするのか、わからなかった。
そして、僕の様子をまた、まじまじと観察し、それから言った。
「他には? なにを覚えている?」
「えっ?」
「君の言うところの、前世の記憶だよ。住んでいたところは? 住所とか、通りの名前とか」
「ああ……生まれは埼玉県の羽生市ってところですけど、家を出てからは――」
「さいたまけん?」
「……関東地方の――」
「ああ、いい、わかった」
僕の言葉を途中で遮った魔女は、またもや納得顔を浮かべ、頷いた。
「そうか。転送前の記憶か」
僕は思わず首を傾げる。“転送”と聞こえた気がしたからだ。転生の聞き間違いだと思った。
首をひねった魔女の顔は、なぜか、残念そうに見えた。
視線をそらして考えるようにしていたが、やがて、僕の方を横目で見ながら、言った。
「オーケー、わかった。君に起きている不具合は、修正できる。おそらく」
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