125. 魔女の使い
例の古書店には、あのあと一度、訪れていた。
その時に改めて、
話によると、その客は、王都の西、一日ほど歩いたところにある農村の、裏山に住んでいるらしい。本人が実際に店に顔を出したのははじめの二、三度のことで、以降はいつも、その使いという者が、取り置いていた本を代金と引き換えに受け取っていくのだと言う。使いの者が訪れるのは概ね、一月に一度程度のタイミングだが、日はまちまちで予測はできない。店で相手を捕まえるのは、不可能と思われた。
であれば、店主に手紙など預けて、来店時にその使いの者に渡してもらう、というのが、連絡を取る手段として適当だろう。そう考えた僕は、会って話をしたい旨を記した手紙をしたため、店主に預けておいたのだ。
ほかに予定のなかったその夕方は、預けた手紙がどうなったか、確認に行くつもりだった。
預けてからさほど時間は経っていない。しかしこのことが、答えなど見つけようがないと思っていた僕の疑問に、解答をくれるかもしれない、と思えば、いてもたってもいられなかったのだ。
ヴィルジニーのいた講堂を離れた僕は、学生寮には寄らず、そのまま通用門から校外へ出た。
目的地までは少しばかり歩くことになるが、馬を使うほどの距離ではない。
午後の商店街は、散歩気分で歩けばちょうどよかった。
アクセサリーを扱う店を見つけ、ヴィルジニーの顔を思い浮かべる。
デートに誘って応じてくれるだろうか。二人で歩けば楽しいだろうな。
と思うと同時に、いや、ヴィルジニーのことだ、こういう店の品など、馬鹿にしてろくに見てもくれないだろうな、と思い付く。公爵の御令嬢が身につけるアクセサリーは、特注品ばかりだろう。
お高い女は面倒だな、などと思いながら、笑みを浮かべてしまう。
そんなこんなで辿り着いた古書店の前で、店から出てきた子供とすれ違った。頭から被った、旅人が着るような薄いカーキ色のマントの裾が翻って、僕はなんとなく、それを目で追っていた。
気を取り直して、店に入る。
カウンターで書き物をしていた店の主人は、僕が近づいたところでようやく気付いたように、顔を上げた。
「こんにちは」
「ああ! 旦那!」
驚いた様子で微笑んだ店主は、店の入口を指さした。
「預かっていた手紙、魔女さんの使いにお渡ししましたよ。たった今」
「えっ? 今?」
「ええ。ついさっき、店を出ていったところです」
僕は振り返ったが、もちろん、そこには誰もいない。
「どんな?」
「枯草色のマントを着けた、子供です」
僕は礼も言わず、走り出していた。
店の前ですれ違った、さっきの子供だ。行った方向は覚えている。追いつけるはずだった。
なんという幸運。偶然にも僕が訪れた日に、先方も姿を表すとは――頭に浮かんだそういう考えに、これは本当にただの偶然なのだろうか、と、僕は走りながら思い付く。
いくらなんでも、タイミングが良過ぎる。もしかしたら、これもゲームシナリオの一部なのでは、と思い浮かぶが、その一方で、ではこれは、一体何のイベントなのだ、とも思う。
少なくとも、主人公のセリーズがこの状況に達するには、何らかの目的があって古書店に通う、というプロセスを経る必要がある。それがあったとしても、店にある絵本に気がつく、などというのは、そのことの異常性に思い至らなければならないのだ。
その仮説に、いまいち、説得力はない。しかしこのタイミングの良さが、僕に、これがゲームに用意されたイベントである可能性を、捨てさせることができなかった。
これは、思い込みを廃して当たらなければ、危険だぞ、と自分に言いきかせる。
成り行きに任せてはいけない。イニシアチブは、自分で握っておかなければ。
本当にあるかどうかわからない“前世の手がかり”などを求めて、シナリオに振り回されてしまうような、そういう無駄足は、避けたかった。
五十メートルほど走って、夕方になり増えてきた人波の向こうに、ようやくその子供を見つけた。
追いついて、その肩をそっと叩く。
「しっ、失礼」
振り返った子供は、驚いた顔をした。
「!? ……貴族のお兄さんが、何?」
不審げに向けられた目に、僕は全力疾走で乱れた息を整えながら言った。
「魔女さんの使いっていうのは、君か?」
フードのように被ったマントの下の目が、更に細められた。
「なんで知ってる? 誰に聞いた?」
「古書店で、手紙を預かっただろう? それを書いたのが、僕だ」
子供は、その手紙も収めてあるのだろう、荷物袋を守るように、後ろ手にした。
「先生には、ちゃんと渡す。だけど返事を書くかは、わからないよ」
「いや、いいんだ。それより……」
僕は子供の様子を改めて、見た。
少年のようだ。歳の頃は、10歳かそこらか。健康そうに見える。身につけているものはそう傷んでなかったが、少し汚れていた。
「君は……ひとりで来たのか? 西の……村から来たんだろ?」
少年は躊躇い気味ではあったが、頷いた。
「しかし、歩きだと時間がかかるだろう。今からで帰れるのか?」
「夜を明かして、出発は明日の朝だよ」
「泊まるところはあるのか?」
少年は返事の代わりに、肩をすくめた。
その様子だとおそらく、旧市街あたりにたくさんある廃屋で、野宿でもするつもりなのだろう。
「いつものことだよ」
「待て……そうだな、宿代を出してやる」
「……お兄さんが?」
「ああ」
「なんで?」
「その代わりに、頼みたいことがある」
「手紙を渡す以外に?」
頷いた僕は、言った。
「その、魔女――先生? のところに、僕も連れて行って欲しい」
少年は僕の表情を伺うように目を細めた。
「そういうの、困るかもって思わない?」
「無理は承知で頼んでいる。そうだ。帰りの足も準備しよう。馬車を用意させる」
馬車、という言葉に、少年の目がキラリと光った。
「歩くよりずっと早いし、ウチのは板バネサスペンションだから乗り心地もいい。楽に帰れるぞ。そうだ、今日の夕飯も、明日の朝飯も僕が奢るよ。風呂も。なんだったら洗濯もしてあげよう」
「そこまではいいよ」
「そうかい?」
少年は少し考えるようにして、それから言った。
「連れて行ってもいいけど、先生が会ってくれるかはわからないよ?」
僕は頷いた。
「構わない。君の責任は問わないよ」
少年は、僕を値踏みするように見て、それから頷いた。
「わかった。いいよ」
子供を一人、旅人向けの庶民的な酒場併設の宿に預けるのも気が引けたし、万一にも逃げられると面倒だ、と思いついたので、僕は少年を、自宅、ルージュリー邸へ連れて行くことにした。
子供を連れて、屋敷の勝手口からこっそり帰宅した僕を見つけ、メイドのエディットは目を見開いて驚いた。
「ステファン様! その子供は……?」
僕は彼女の声が大きくならないよう、人差し指を唇に当てた。
「えーっと、その……友達になったんだけど、今夜は野宿するしかないっていうんで、かわいそうで連れてきた。明日、住んでる村まで送っていくから、食事と、今夜寝るところと、あと風呂に入れてやって欲しい」
エディットは膝を付くと、子供の様子を見て、それから言った。
「旦那様には、なんとご報告すれば?」
「言わなくていい。秘密にしてください」
「こんな……女の子のことを?」
「えっ? 女の子?」
フードを取ったその顔立ちは、確かに女の子だった。可愛い声をしていたが、声変わり前だろうと思っていた。
エディットの訝しげな視線に、僕は首を横に振る。
「女の子とは知らなかった。本当だ」
「知らなかったのに、お友達、ですか?」
「それは……」
「その様子だと、お名前も知らないんでしょうね」
そう言ったエディットは、その女の子に向き直った。
「あなた、お名前は?」
「エミリー」
「エミリー。わたしはエディット。よろしくね」
そういうやりとりのあと、立ち上がり腰に手を当てたエディットは、ばつの悪い顔の僕に向かってため息を吐いた。
「わかりました。この子のことはお任せください」
「頼む……言っておくが、やましいことなんか何もないんだ。この子の“先生”に用があって」
「先生?」
「とにかく……」
僕はエディットの耳元に顔を寄せた。
「明朝、僕が来るまで、この子を逃さないようにしてください」
エディットはまた、不審げな目を僕に向けたが、
「一晩だけですね?」
「できるだけ寝心地のいいベッドと、あと腹いっぱい食べさせて」
「馬車も用意させておきますか?」
「頼みます」
「この子には、話を聞きますよ?」
「どうぞ」
「学園へ?」
「ええ、戻ります」
僕はこちらを見上げた少年――違った、少女にひらひらと手を振ると、入ってきた勝手口から外へ出た。
エディットにまかせておけば大丈夫だ。
予定外のことで、すっかり遅くなってしまった。
僕は暗くなりはじめた道を、学園へと戻るべく急いだ。
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