第12話

124. 悪役令嬢との約束

「二人っきりの時間が欲しい?」


 ヴィルジニーは、しかめた顔で僕の言葉を反芻した。


 頷く僕に、ヴィルジニーはそっぽを向いた。


「ずいぶんと、分不相応な要求をなさるのね。わたくしはまだ、貴方あなたと正式に交際している、というつもりはございませんのよ?」

「まあ、そういうタテマエはいいですから」


 へこたれず言う僕に、ヴィルジニーは不満そうに頬を膨らませた。かわいい。


「二人っきりになって……なにをしようというのです」


 タテマエという言葉は、否定しないヴィルジニー。


「僕と二人でいるの、楽しいでしょ?」

「また……貴方は、思い上がったことを」

「もっとヴィルジニーとイチャイチャしたいんですよ」

「そっ、そのようなこと……学内でできるわけないじゃないですかっ」

「どうして」

「どうしてって……人目がありますし」

「人目がなければオーケーですか」

「そっ……そのようなこと言っておりません!」


 頬を赤くしたヴィルジニーの声はちょっと大きくなってしまい、彼女は周囲を気にするようにした。


 放課後。ヴィルジニーが主催している課外活動で借りている講堂は、今日はダンス教室だった。コーチ役の貴族令嬢に指導を受けている参加者に、こちらを気にした様子はない。


 貴族令嬢として完成されている故、今更ダンスを教わるまでもないのだろう、窓際で様子を見守っているヴィルジニーを、たまたま通りがかかった僕がみつけ、窓の外から声を掛けたのだ。


 開いた窓越しに身を寄せ合い、内緒話をしているというわけだ。


 参加者の中に、セリーズの姿を見つけた。ステップはなかなかに様になっていて、課外活動での特訓の成果が出ているようだ。


「じゃあ、夜はどうですか? 夕食後、僕の部屋に」

「貴方の部屋に?」


 ヴィルジニーは眉をひそめた。


「行けるわけ、ないじゃないですか」

「なぜ?」

「そっ、そのような時間に、殿方の部屋になど」


 その言い分に、苦笑する僕。


「一学期は平気で出入りしていたじゃないですか」

「そっ、それは……あの時と今では、事情が違います」

「どう違います?」

「だって今は……貴方の気持ちを、知っておりますし」


 その言い分はおかしいのだ。実際、知ってからも出入りしていたのだし。


「気にしているのはヴィルジニーだけです。他の誰が見ても、いつものことだ、と思いますよ」


 ヴィルジニーは、細めた目を上目遣いにしてジト目で僕を睨んだ。


「部屋に連れ込んで……良からぬことを考えているのではないでしょうね?」

「そりゃまあ、ちょっとは」


 目をむいたヴィルジニーに、僕は慌てた素振りで首を横に振った。


「ヴィルジニーが嫌がることはしませんよ。これまで一度だって、貴女あなたが嫌がることは、したことがなかったはずです」

「そうでしたか?」


 不満そうに言うヴィルジニー。


「そりゃないです。いつだって、貴女を尊重してきたつもりです」

「…………」


 ヴィルジニーは、なおも僕をジト目で睨んでいたが、やがて、諦めたようにため息を吐いた。


「仕方ありませんね……言っておきますが、少しでも変なことをしたら、すぐに帰りますから」


 僕は余計なことは言わずに、頷いた。


「ありがとうございます。お待ちしております」


 耳元でそう言って、ヴィルジニーの髪の芳しい香りを確かめてから、窓際を離れる。



 ヴィルジニーにしてみれば、僕の要求など、飲む必要はないはずなのだ。

 彼女が言う通り、正式に交際していない、お断りだというなら、突っぱねるのがむしろ当然だ。


 それなのに、僕の“お願い”を、甘んじて受け入れてくれるのだ。


 ヴィルジニーの言行不一致は、さっきのことだけではない。


 僕が正式な交際を申し出て、断られたあの日から、距離感はそれまで以上に近くなっていた。

 例えば、食堂や教室などで一緒になれば、必ず僕の隣りに座るのだ。


 さも当然、という顔をして、だ。

 端から見れば、完全に付き合ってるように見えるだろう。


 しかし、僕の方からアプローチしていくと、あのように憎まれ口を叩くのだ。そのくせ、最後には、言うことを聞いてくれる。まったく、素直じゃないんだから。


 それでも、ヴィルジニーの本来の、典型的悪役令嬢とも言える性格、発言、立ち振るまいを考えれば、今現在の僕への対応は、ありえないほどに甘いのだ。


 でも、できれば、もう少しデレたらどうなるのか、確かめてみたいものだが……淑女として高い意識を持つ貴族令嬢である。人目があるところでは、これ以上というのは、難しいだろう。そのための、確実に二人っきりになれ、かつある程度の覚悟を必要とする、僕の部屋への誘い、だったのだ。


 コトを慌てて進めるつもりは、なかった。

 まずは、夜、僕の部屋に来ることへの抵抗感をなくし、その後は定期的に、できれば毎晩でも一緒の時を過ごすようにして……というふうに、段階を踏んで行くのが、理想だ。


 しかし、せっかく部屋に連れ込むのだから、キスぐらいは早期にクリアしたいな、と思う。なにせ僕の(あくまでも今生の、ではあるが)ファーストキスは、すでにに奪われているのだ。その記憶を、早くヴィルジニーで上書きしたい。


 そういえば、プロポーズさえも他の女性で済ませてしまっていたな、と思い出す。いくら本心で言ったことではなかった、とはいえ、ヴィルジニーより先にそれを別の女性にしてしまった、という後ろめたさはあった。


 とはいえ、慌ててはいけないのだ。


 この世界は、前世の世界現代とは違う。かつての世界は、年頃の娘がやはり年頃の男の部屋に行く、イコール、、ぐらいの感覚、というか、そういう覚悟がなければ男の部屋になど迂闊に行ってはいけない、というぐらいのものだった。


 しかし、この世界の貴族令嬢の貞操観念は、比べ物にならないほど高い。

 純血は、結婚するまで守るのが、普通なのだ。


 部屋に来てくれたから、といって、強引に迫ったりしてはいけない。


 なにかこう、自然にイチャつける、そういう方法を考えなければならない、と思い付く。


 考えてみれば、並んで座って身体を密着させてみる、などというスキンシップすら、僕の部屋では実行不可能だ。あるのは一人用の椅子が二つと、ベッドだけ。僕の部屋に来た時、ヴィルジニーはいつも、作りがいい方の椅子に座っていたし、それをいきなりベッドに座らせる、などという不自然なこと、できまい。


 かといって、寮の自室に二人がけのソファを持ち込む、などということも、できないだろう。いくらなんでも露骨過ぎる。


 仕方ない。今日のところはあまり欲を出さずに、普通に過ごすことにしよう。

 もっとも、次もまた来ようという気にさせる程度には、楽しく過ごす必要がある。なんだか、そちらの方がハードルが高い気もするが……


 僕は頭を振って、心配事を追い出そうとした。


 偶然にもヴィルジニーに会えたことで、予定が少しばかり狂っていた。


 幸いにも、夕食の時間までは、まだ間がある。僕は、本来考えていた放課後の予定を、そのとおりに実行することにした。


 あの古書店に、行くのだ。

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