123. 僕が恋した悪役令嬢
夏の間、青々とした葉を茂らせていた桜の木も、秋が近づき、その色を黄色や赤へと変えつつあった。
王立学園、校門から伸びる桜並木を、僕は歩いていた。
秋――新学期が、はじまるのだ。
思えば、充実した夏休みだった。
仲間たちとビーチリゾートで過ごす、などという超リア充的なイベントもそうだが、そこでヴィルジニーとの関係性も深めることができたし、水着姿もたっぷり堪能できた。
なにより、ヴィルジニー攻略の最大の障壁、彼女とフィリップ王子の婚約が解消されたことが大きかった。
そう、遂に、二人の婚約解消は、正式に公表されたのだ。
ことが急がれたのは、プレスコット王国との協定を、できるだけ早く実現するためだ。その条件のひとつである、クローディア王女との婚約話を正式に進めるためには、早期に解決しておきたい、必要な手順だったというわけだ。
僕にとっては、王子とクロードのことなど、特に構うようなことではない。二人で勝手に幸せになってくれ、という気分だ。
ヴィルジニーが
つまり、ここからが本番だった。
本来であれば、公式に婚約解消されれば、すぐにでも動きたいところだった。
しかし何の因果か、その公式発表が、新学期の前日、というタイミングになってしまった。
そのせいで、即座にヴィルジニーに会いに行くということが、できなかったのだ。
しかし……僕は紅葉しはじめた桜を見上げ、ほくそ笑む。
何も慌てることはない。新学期がはじまれば、自分も向こうも、常に学内、同じ敷地内にいるのだ。そうであれば、話す機会などいくらでも作れるだろう。
僕はふと、校門の方を振り返った。
あのとき――入学式のあの日のように、こういうところで偶然にも、ばったり会ったりしないだろうか、などと考えたのだ。
だが期待虚しく、そこにヴィルジニーの姿があったりはしないわけで――代わりに、こちらに歩いてくる一人の人物が、僕に気付いて微笑んだのを見つけた。
僕はその顔を識別して、思わず、眉根に皺を寄せる。
男子生徒の制服を着たその人物は、クロード……クローディア・プレスコット王女殿下だったからだ。
制服は男子用、だったが、お顔――化粧や髪型の方は“クロード”とも“クローディア”とも違う、その中間、といった感じで、凛々しさと麗しさが共存している。彼女の美貌に気付いたのだろう、通りがかった二人組の貴族令嬢が、抑えきれずに黄色い歓声を上げた。
僕は体ごと振り返ると、彼女が追いついてくるのを待った。
「ステファン様。お久しぶりでございますな」
「ごきげんよう、クロード様……どうしましたか、そのお姿は」
問うと、クロードは自分の着ているものを見下ろした。
「似合いませんか?」
僕は頭を抱えたくなるのを我慢する。
「とてもお似合いです。お訊ねしているのは、そういうことではありません」
クロードは、いたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「もちろん、この学園に通うのですよ」
「ホントに?」
口ではそう言いながらも、内心では、なるほど、などと思う。
そもそもがセリーズの攻略対象である。学園に転校――いや、編入か?――してくるのは、おそらく既定路線だったのだろう。
「アレオン王国の貴族は、皆、この学園に通うというではありませんか。王子に嫁ぐのであれば、この国の常識を身につけるためにも、同世代に人脈を築くためにも、わたしも通った方が良い、という話になりましてね」
そう言うと、クロードは片目をつぶってみせる。
全寮制の王立学園にいれば、国に戻らなくても良い、アレオンで彼女の身柄を預かれるという側面もあるな、と思いついた。
クローディア・プレスコット第一王女と、我がフィリップ・ド・アレオン第三王子の結婚は、正式発表こそまだだが、今や公然の秘密だった。ヴィルジニーとの婚約解消の理由となっているからだ。婚約解消の決定に伴って、世間に知れることになっていた。
僕はもう一度、彼女の着ているものを眺めた。
「男子の制服を?」
クロードはジャケットの裾を持ち上げると、嬉しそうに微笑んだ。
「好きな方を選んで良い、とおっしゃっていただきましたので」
そんな制度があるとは知らなかった。
「僕も希望すれば女子の制服を着てもいいんですかね」
「着たいのですか?」
「いや、全然。 ――まさか、寮も男子側じゃあないでしょうね?」
「ふふっ、まさか。女子寮に部屋を用意していただけるそうです」
「よかった。では、
「助かります」
エスコートされるため腕を組もうとしてきたクロードを、苦笑いで遠ざけ、僕たちは並んで、女子寮へと向かう。
「クロード様、おいくつでしたか」
「女性に歳を聞くのは、この国のマナーでは失礼には当たらないので?」
「学年を確かめたかっただけです」
クロードはクスリと笑った。
「一年生です。そうすれば、遅れは少しだけですし、フィリップ王子と一緒に卒業できます」
「では、同級生ですね」
「今後ともよろしくお願いします」
クロードの申し出に僕は微笑みを返したが、少しばかり先が思いやられるな、などと思った。
女子寮の前で、急ぎ足で近づいてくる貴族令嬢の姿があった。ベルナデットだ。
「ごきげんよう、ステファン様」
「ごきげんよう……」
ベルナデットは僕の返した挨拶などどうでもいい、という様子で、クロードへと微笑みかけた。
「はじめてましてお目にかかります。ステファン様ぁ、ご紹介していただけますか?」
その様子を見れば、見慣れない超美形の男子生徒に興味があって近づいてきたのだろう。そうでもなければ、彼女の方から僕に挨拶などしてくれるはずがないな、と、海での出来事を思い出す。
僕は、わざとらしくニッコリと微笑んだ。
「こちらはベルナデット・オベール伯爵令嬢。同じく一年生です。ベルナデット様、こちらはクローディア・プレスコット王女殿下。殿下については、お聞き及びかと思いますが……」
目を丸くしてクロードの顔を確かめるようにしたベルナデットは、思わず、と言った様子で、言った。
「プレスコット……おっ、王女、殿下?」
「はい」
ニッコリ微笑んだクロードの返事に、伯爵令嬢は慌てて頭を深く下げた。
「たっ、大変失礼いたしました、王女殿下!」
「そのようにかしこまる必要はありません、お顔をお上げください」
恐る恐る顔を上げたベルナデットに、クロードは微笑んだ。
「本日からは、同じ教室で学ぶ者同士です。どうか、仲良くしてくださいませ」
「滅相もございません!」
緊張に強張っているベルナデットの様子に、ちょっとだけ溜飲が下がった僕。
「ああ、ちょうどよかった、ベルナデット嬢。王女殿下を、中へご案内していただけますか。
そういう気持ちが言葉に出てしまったか、ベルナデットは王女には見えないように、僕の方を睨みつけた。
「もちろんです。殿下、こちらへどうぞ」
と、王女の方へ向き直ったときには、すでに完璧な笑顔になっていて、貴族令嬢のこの切り替えの早さには、頭が下がる。
「ステファン様、どうもありがとう」
クロードは最後に、僕へとそう微笑みをくれると、ベルナデットにエスコートされ女子寮へと消えていった。
そこで、向こうから来た女子生徒と、目が合った。
久しぶりの制服姿。完璧なマーメイドウェーブを形作る、豪奢な金髪。美しいブルーの瞳は、僕を見つけて訝しげに細められた。
たとえ睨みつけられていたのだとしても、相手がヴィルジニーなら、むしろ心地よい。
僕は、立ち止まった彼女へと近づいた。
「ごきげんよう、ヴィルジニー」
聞こえる距離に誰もいないことを確かめてから、意識して馴れ馴れしく声を掛ける。
「なにをしているのですか、このようなところで」
挨拶を返してくれもせず、低い声で、ヴィルジニーは言った。
「まさか、さっそく待ち伏せですか」
さっそく、とはすなわち、婚約解消が正式に発表されてさっそく、新学期がはじまってさっそく、ということだろう。
僕は、自分がいる場所にたった今、気がついたというように、女子寮の建物を振り返って見せてから、ヴィルジニーに向き直った。
「ああ、いえ、そのようなつもりはなかったのですが。まあ、偶然ですよ」
ヴィルジニーは信じていないようだったが、僕は構わず続けた。
「でも、ちょうどよかった。ヴィルジニーに会いたいと思っていたところだったので」
それから、ヴィルジニーに顔を近づけた。
「今日もとてもお綺麗です」
公爵令嬢は距離を取ったりこそしなかったが、露骨に眉をしかめた。
「今更、
「世辞だなどと。正直に思ったことを言ったまでです」
「どうだか」
ヴィルジニーは腕を組み、そっぽを向いたが、立ち去ろうとはしなかった。
話を聞いてくれるなら、やはり、ちょうどいい。
「そういえば、婚約の解消、正式に発表されたとのことで」
話を振ると、ヴィルジニーは横目で僕を軽く睨んだ。
「それが、なんでしょう? よもや、おめでとうとでもおっしゃられるつもり?」
「おめでとうは、さすがに不適切ですかね。しかし僕にとっては、嬉しい知らせだ」
言った僕は、ヴィルジニーの前に回り込むようにして、続けた。
「これで、僕たちを阻むものは何も無くなったわけですから」
「僕たち?」
わざとらしく言うヴィルジニーに、僕は構わず言った。
「ヴィルジニー、正式に、僕とお付き合いしてください」
ヴィルジニーは表情を変えず、首を傾げた。
「付き合う?」
「交際の申込みです」
「交際――男女交際、ということですか?」
「そう、それです」
肯定すると、ヴィルジニーは考え込むように顎に手を当てた。
ポーズだ、と僕は思った。今更、考えるようなことではあるまい。
そのために、王子との婚約を解消したのだ。
イエスしかないと、確信があった。ヴィルジニーも、僕のことを好きなはずだ。
「そうですね……」
つぶやいたヴィルジニーは、僕の顔を確かめるように目を向けた。
「その顔は……これで、すべて思い通りになった――そういうところですか」
予想外の問い。僕は首をすくめる。
「そう単純な話ではありませんが、まあ、結果だけ見れば」
僕の答えを聞いたヴィルジニーは、もう一拍考える素振りを見せ、それから、意地悪く微笑み、言った。
「では、お断りします」
「…………は?」
一瞬、意味がわからず、問い返した僕に、ヴィルジニーは機嫌よく、踊るようなステップで身を翻した。
「だって、
それから、ぺろっと舌を出す。
「もう少し、貴方が足掻くところが見たいわ」
そう言って、笑う。
その勝ち誇ったような、それでいて屈託のない笑みと、微かに赤くなった頬を見れば、口にした彼女の本意はわかる。が……
だがその受け答えに、僕は肝心なことを忘れていた、と気がついた。
そう。彼女が簡単に、僕の言葉にイエスと言うはず、なかったのだ。
だって彼女は――
「この……悪役令嬢め」
苦笑混じりに発した前世用語に、僕が恋した悪役令嬢は、怪訝に首を傾げる。
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