119. 王城の避難所
クローディア王女は、自らが乗ってきた馬に。僕は自分の馬に、それぞれ乗って、王城へ向かった。
僕の方には、選択肢などない。
フィリップ王子には、クローディア王女と結婚してもらうのが、僕にとっても、現状考えられる最善のプランだった。
重要な隣国の王族との婚姻、となれば、フィリップ王子の現在の婚約を解消する大義名分として、この上ない。婚約解消の最大のハードルと考えられる国王の是認はもちろんのこと、国民感情だって、納得せざるを得ないものだ。
この世界が、単なる乙女ゲームなどではなく、僕が考えたような、いわば全方位的総合恋愛シミュレーション的なものであって、悪役令嬢であるヴィルジニーすら、主人公セリーズの攻略対象になりえるとすれば、王子とヴィルジニーの婚約は、
これが、おそらくそれなのだ……それが、僕が王女に対して口にした“勝算”という言葉の、意味だ。
根拠は、ない。
ただ、王子の“歪み”に根本的に関わる、クロードとの和解が含まれるのだ、このイベントには。
シナリオライターに、王子を救済するつもりがあるのなら、王子には、良き理解者とのハッピーエンドが用意されているはずだ。
それに相応しいのは、打算なく彼のことを純粋に想う、クロードだ……
そう考えていた僕は、“良き理解者”という単語に、思わず、手綱を握る手に力が入る。
その役割は、王子から厚い信頼を寄せられる、
そのためのフラグがどうなっているのか、僕の立場では知る由もない。僕のヴィルジニーへの気持ちを、王子が知った、そのことで、折れてくれていればいいのだが。
どちらにせよ、王子が求めるなら、僕は友人として、彼を手助けするつもりはある。
フィリップ王子とは、友達でいたいのだ。
王城へ入り、馬を預けた僕たちは、城内になんとなく伝わる不穏な空気を感じ取っていた。
はじめは、クロードが無断で外出したせいかと思ったが、急ぐ様子の衛兵が王女の姿を見てもこれと言った反応を見せないので、違うとわかった。
さておいて、王子に会うため、彼がいるであろう内廷を目指す。
途中で顔見知りの、宰相である父の職員と行きあった。彼も何か忙しない様子だったので、呼び止めてみる。
「なにかあったのですか?」
「ああ……フィリップ王子の姿が見当たらないとかで」
「? ……外出なされたのでは?」
「城内にいらっしゃるはずなのです」
「それにしたって……それだけで、大事にはならないでしょう?」
「それが、王子は……」
言いかけた彼は、そこでようやく、僕の連れがクローディア王女であることに気付いたようだった。
言いにくそうにしていたので、僕が顔を寄せると、彼も耳元に近づき、小声で言った。
「重鎮方から、王女殿下との婚姻に応じるよう、説得されていたのです。その途中で、姿を消したらしいのです」
そういうことか。
礼を言って彼を行かせる。
十分に離れてから、僕は王女へ向き直った。
「王子は雲隠れなさったようです」
「雲隠れ?」
「どうやら、お偉方にガン詰めされたようで」
「ガン詰め? ……ああ」
「大人たちに見つかりたくない……とすれば、あそこでしょうか」
クローディア王女も知っているんだな、と思いながら、僕は頷きを返した。
僕たちが向かったのは、閉鎖された古い尖塔だった。
ここの管理を任されている衛兵は、伝統的にこの中は調べないことになっている。表向き、閉鎖されて中には入れないことになっているからだ。
実はその、閉鎖されて開かないように見える扉は、そのように見えるだけで、低い位置にある
おそらく、逃げ場のない王城の子供のための避難所として、かつて大人の誰かが作ったのであろう。
とすれば、ここのことを知っている大人は確実にいるのだが、それでも、ここにいる人間はそっとしておいてもらえるのだ。
人目を忍んで中に入ると、内側からも操作できるようになっている棒を元に戻し、再封鎖する。
それから、騒がしくならないよう、そっと階段を登っていった。
最上階は展望台になっていて、フィリップ王子はそこにいた。
僕は気付かれないよう、それを確認すると、クロードの方を向いて、人差し指を唇に当てた。
それから、階段を登りきったところ、王子のいる位置からは死角になる壁の後ろを指差す。彼女は小首を傾げはしたが、結局は、僕の意図を汲んでその影に身を隠した。
「やはりここでしたか」
わざとらしく声を掛けてやると、フィリップ王子は首だけ回してこちらを振り返った。
「ステファンか。どうした。まさか捜索に駆り出されたわけではあるまい?」
僕は首を横に振る。
「王子に用があって来たら、逃げたと聞きましてね」
僕の言葉に、王子は苦笑する。
「逃げたとはまた、人聞きの悪い」
「オジサンたちに、クローディア王女と結婚するよう迫られたんでしょ?」
王子は、今度は肩をすくめた。
「ボクとしては、断るつもりなんかないんだ。相手が相手だ。申し込まれれば、断るなんてできるわけないだろ? だけど、クロードの方が、ボクじゃなくてキミが良い、って言ってるんじゃないか」
それは違う、と言いたい気分を抑えて、僕は苦笑してみせる。
「それですよ。まったく、いい迷惑です」
「しかし、ステファンにとっては、悪い話ではないだろう」
王子は皮肉な笑みを浮かべたまま、言う。
「そりゃあまあ、クローディア王女はあのとおり、相当の美人ですが」
「ボクが言っているのは、相手の家柄のことだよ」
「王女に弟がいなければね。プレスコット王国国王になるチャンスでしたかね」
もちろんそう簡単な話ではないのだが。
「残念ながら、僕にはすでに
僕は冗談めかして言ってから、少しばかり視線を鋭くした。
「なにがあるんです? 王女と」
「別に……なにもないよ」
王子は即答したが、その前にすでに目をそらしていた。
「ないわけないでしょ」
「どうしてそう思う」
「質問しているのは僕の方です」
「ステファンに関係ないだろ」
「今はあるんですよ」
王子はふんっ、と鼻で笑った。
「そういえばそうだったな」
整理するように少し考え、それから、王子は口を開いた。
「クロードには、悪いことをしたんだ、むかし」
語り口が想像と違ったので、僕は眉をひそめた。
「悪いこと?」
王子はそっぽを向いたままだったが、頷く。
「辛かったはずの時に、突き放してしまった。ホントは、ボクが助けられたはずなのに」
「……負い目があるんですね……だから、ああいう態度を?」
王子は違う種類の苦笑いを浮かべた。
「そうだな。そういうこと、なんだと思う。いま、考えてみて、ようやくわかった、そういう気がする」
王子はもう一度、自嘲気味に頬を歪めた。
「クロードは、昔からああいう感じだったんだ。だからボクは、彼が――彼女が、女性であると知らなかった。それを知らされたのが、ちょうど……ボクが、女性にもっとも恐怖心を覚えていた、そういう時期だったんだ」
そのころの感情を思い出したのか、王子は深くため息を吐いた。
「頭では、クロードはそういう、卑しい御令嬢方とは違うということは、わかっていたんだ。だけどボクは……子供のボクは、その感情をうまく切り分けられなかったんだ。女性というだけで、同じに、見えてしまったんだ」
もう一度、ため息を付くと、王子は遠くに視線を移した。
「好きだったのに、裏切られた、なんて気分になってた。浅はかで、バカな子供だった」
「好き、だった?」
僕が言うと、ようやく王子は、視線をこちらに向けた。
「だったと思うよ」
「過去形ですか?」
王子は首を傾げた。
「彼女を、女性と知らずに
「クロードが、男か女かが、重要ですか?」
かぶせ気味に言った僕は、言おうと決めていたことをようやく口にできて、ホッとしていた。
「大事なことは、性別などではなく、個人、人格の方だと、すでにわかっておいででしょう。それとも、王子とクロードが築き上げたものは、彼女の性別ひとつで、変わってしまうようなものですか?」
王子はしばらく何も言わず、僕の目を見ていた。
それから目をそらすと、遠くを見て、考えるような素振りをしていた。
僕は、言わなくてもいいだろうと思ったが、言った。
「後悔してることをやり直せるチャンスなんて、滅多にない。そばにいて欲しいと思う相手に、そばにいてもらった方が、絶対にいいんです」
こちらを見た王子に、僕は微笑みを返した。
「王子のようなひとは、特に、ね」
王子が逡巡したのは、ほんの一瞬だった。
「そろそろ行くよ。クロードに会わなきゃならない」
「会って、なんて言うんです?」
「そうだな……あのとき、ちゃんとできなかった返事を、やり直すよ」
王子は、少し恥ずかしげに微笑んだ。
「クロードが許してくれればいいんだけど」
足音。
僕の背後に目をやった王子が驚いた表情を浮かべ、僕が振り返ると、そこには、物陰から姿を表したクローディア王女がいた。
頬を赤らめ、見つめ合う二人。
急に居心地が悪くなって、一歩後ずさった僕は、おどけて言った。
「えっと、それじゃあ……どうぞお幸せに!」
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