118. 王女の事情
クローディア王女の表情、視線には、冗談を言ったような雰囲気は微塵もなく、そのことが、僕の沈黙を更に長くしていた。
「ハハッ……えっ? いや、まさか」
思わず浮かんだ失笑を引き締め、僕は眉をひそめた。
男同士だぞ!? 浮かんだ言葉を、僕はなんとか飲み込んだ。
「なぜ……なぜ、そのように思われたのです?」
王女は真顔を崩すことなく言った。
「フィリップはあの歓迎会で、
僕の話をする時に機嫌がいい、という部分はともかく、あのときの王子の発言を、冗談として、ではなく、真剣な意味に受け取られてしまうとは。
僕の眉をひそめた顔が変わらず、納得していないと思ったのだろう、王女は微かなため息を挟んで続けた。
「わたしは、王子が男性にしか心を開けないことを、知っています」
僕は、それを知っていることを示すために、頷いた。
「しかし、それだけで、男の
僕が言うと、クローディア王女は視線を彷徨わせた。
「それは……勘、とでもいいましょうか」
僕は、彼女がそれ以外に、何かを知っているのではないか、と期待して訊ねたのだが、そういう返事だった。
「勘?」
「そうですね、女の勘」
「女の?」
思わず反芻した僕に、クローディア王女は微笑んだ。
「わたしは女ですよ――男性の格好をしていたとしても、ね」
王女は、自分の服の襟元を指先でつまんだ。
「楽だし、好きだし、周囲が許してくれるから、こういう格好をしているというだけです」
格好もそうだが、なにより
「しかし、今日は“クロード様”のときとは、少し違われるようですが」
思っていたことを言うと、クローディア王女は少し恥ずかしげに、内向きにカールした毛先に触れた。
「これは……この方が、ステファン様には受けがいいかな、と」
そう言って、微かに頬を赤らめたりする姿は、仕草といい表情といい、控え目に言ってすごくかわいい。
珍しい一面を見せてもらったような気がして、オトクな気分だ。
「確かに、今日のクロード様は、大変……イイです。好きですよ、僕」
「……からかうのはおやめください」
少しだが不快げにこめかみを歪めた王女に、僕は続ける。
「クロード様は、僕が異性愛者だと、わかっていらっしゃったのでは? だからこそ、そういう格好をしていらっしゃったのでしょう? なぜ
「それは……」
王女は視線を彷徨わせながら、答えた。
「
「僕に気に入られて、結婚しようという気にさせるために?」
「そうです」
王女の意図は僕には理解できず、眉をひそめてしまう。
「いったい……
王女は深くため息を吐いて、ようやく語った。
「わたしの目的は、アレオン王国に残ること――
「わたしの第一の目標は、フィリップと結婚することでした。しばらく疎遠でしたが、かつて、彼とはとてもいい時間を過ごしましたし、確かな絆で結ばれていたのです。あの時までは……」
僕は、あの時って? などとは聞かなかった。自分語りはさせておくに限る。
「わたしのこの格好、奇妙だと思われるでしょう?」
話を聞きながらケーキを食べてもいいだろうか、などと考えていたところに突然話を振られ、僕は動揺を隠そうと首を傾げた。
「えっ? いえ……かっこよくて、よくお似合いですよ」
別に取り繕うようなことでもないので、正直に言う。
美女は、男性の服を着ても女性の服を着ても様になる。クロードはまさにそれだった。まったく、羨ましくさえある。
クロードは、ため息混じりに苦笑する。
「あなたのそういうところは、とても好ましいと感じます。歓迎会でも、そうでしたね」
そうだったか?
「わたしのこういう格好は、元々、わたしがしたくてはじめたものではありません。両親の……母の影響でした」
クロードの母親ということは、プレスコット王国の、王妃だ。
「わたしが生まれて以降、長く子宝に恵まれなかった母は、心を病んでいました。跡取りとして男児を産めないことを、他の王族や有力貴族に責められていたのです。おかしくなってしまった母は、わたしを男の子だと思い込み、男の格好をさせた……それがはじまりです。男の子の格好をして、よく似合っていると言われれば、単純な子供は、その気になってしまうのですよね。いつしか自分でも、自分は男の子だと思い、そう振る舞うようになっていました。しかし……実際のところ、どのように振る舞おうと、男子ではないのです」
当たり前のことを言った王女は、遠くを見るようにした。
「プレスコットの有力貴族は、父……国王に側室をあてがい、子を産ませることを計画しました。二つの派閥がそれぞれ女性を用意し、結果、二人は見事、男児を産みました」
そういえば、クロードには歳の離れた弟が二人いるって、たしかマリアンヌから聞いたな。
それにしても、あてがわれた愛人二人と同時に子作りとは。さすがは王族というか。
「そうなれば……後の話は、ご説明せずとも察しが付かれるでしょう」
ありがちな話だ。それぞれ、別々の勢力の息がかかった、二人の王位継承権者。将来、どちらが王位に付くかで、どちらの派閥がより権力を持つかが決まる。プレスコット王国貴族界は、二人の王子を利用した、ホットな権力闘争の場になっている、というわけだ。
「どちらの派閥にも後ろ盾になってもらえない立場のわたしは、今では王家の厄介者。行く末は、どこかの国の要人に嫁ぐしかないのです」
第三勢力がクロードを担ぎ出すような可能性を思えば、確かに、外国に追っ払ってしまうのが、権力争いをしている連中には一番都合がいいというわけだ。腐っても王族である、結婚によって、有力国との結びつきが強まればなおよし。その言い方からすれば、そういう主流派の意図に反して国内に留まるようなことをすれば、リスクを恐れた強硬派に暗殺されることだって考えられるのだろう。
プレスコット王国の内外を取り巻く事情を聞けば、なるほど、クローディア王女には事実上、アレオン王国に嫁ぐしか、身を守るすべがないのだ。
「あの日……アレオンの王城で、母が自死したという知らせを受けた、あの時、わたしはフィリップに泣きつきました。国に帰りたくない、ずっとここに置いて欲しい、と。するとフィリップは、『クロードがいてくれるのは嬉しい。ずっとそばにいてくれ』と言ってくださいました。そこでわたしは……わたしを、フィリップのお嫁さんにして欲しい、と言ってしまったのです」
その時の様子を思い出したのか、クロードは、その目に後悔の色を浮かべていた。
「フィリップは……信じられないようなモノを見る目で、わたしを見ました。そして、わたしが女であることを確かめると、絶望した様子で背を向け……そして、それっきりです。先日、再会するまで」
クロードは首を横に振った。
「再会したときの彼のわたしを見る目は、あの時と何も変わっていませんでした」
僕は、その場面を思い出す。お世辞にも、再会を喜ぶ様子を見せなかったフィリップ王子。それに対し、笑顔で応じ腕まで組んでみせたクロードが、内心で、そのように感じていたとは。
「あの時のこと、ずっと悔いています。フィリップが、女性のことを信用できない、嫌いですらあるというのは、知っていたのに。もしも気持ちを抑えて、友人としての立場を貫くことができていれば……」
遠くを見つめる王女に、僕は言った。
「好きだった……いや、今でも好きなのですね、フィリップ王子のことが」
マリアンヌの想像は、当たらずしも遠からず、だった。構図は真逆だったが――僕は微かに
フィリップ王子は、クロードのことを女性だと知らず、兄弟か親友のように思っていた。おそらく、信頼できる相手として扱っていたのだろう。一方のクローディア王女は、フィリップ王子に恋心を抱いていた。
母親の死の知らせに弱っていたクロードは、王子にすがってしまった。しかし幼かった王子は、信頼していたはずのクロードが、自らが忌み嫌う女性であったという事実を、受け止めきれなかった……というあたりか。
「今回、わたしのために、現婚約を解消するおつもりがあるというお話は、伺いました。しかし、わたしは……疎まれているとわかりながらあの方と結婚するなど、たえられない」
好きだからこそ、相手の方に気持ちがない結婚などできない……そう言いたいのだ、クロードは。
「では、
クロードは頷いた。
「貴方に求婚することで、フィリップが嫉妬してくだされば良し……そうならなくても、フィリップの信頼厚く、次期宰相の座が確実と言われる
健気……と言いたいところではある。自分が利用されようとした張本人でなければ。
クローディア王女が、フィリップ王子に真剣に惚れているのだ、というのは、わかる。
それに、実利的なところもある。現宰相の長男、次期宰相候補に嫁ぐ、となれば、プレスコット王国からしてみれば、政略結婚の相手としては及第点が出るのだろう。クロードは重要な友好国の要人に嫁ぐことで、大手を振って故郷を離れることができる。おまけに有力国であるアレオン王国の国家元首の息がかかるところにいるわけだから、その後の身の安全も確保できる、というわけだ。
「それに、現在のフィリップの婚約者の方、デジール公爵閣下の御令嬢、ヴィルジニー様、でしたか。婚約された時期をお聞きすると、どうやら前回、わたしが帰国したすぐ後、ということではございませんか。わたしをあのように拒んだフィリップが、あの後すぐ、婚約者に選ぶほどの御令嬢ですから、よほど信頼できる、心の通じ合った方なのでしょう。そのような貴重なお相手との婚約を、わたしなどのために……」
ちょうど、冷めたティーカップを口に運んでいた僕は、クロードの発言に、口に入れた紅茶を吹き出しそうになった。まさか本当に吹き出してしまうわけにはいかず、必死に堪え、慌てて取り出したハンカチで口元をおさえた。
「どっ、どうなさいました? 大丈夫ですか?」
「ゴホッ……失礼……いえ、平気です、お構いなく」
気管に入りかけたものを咳払いで追い出してから、僕はようやく口が開けた。
「王子とヴィルジニー嬢の婚約は、クロード様が考えておられるようなものではございません」
僕の言葉を、クローディア王女は素直に受け入れがたいというふうに、眉をひそめた。
「本当です。二人の婚約解消に、問題は一切ありません」
詳細の説明は、この際不要だろう。ヴィルジニーが実は悪役令嬢であるとか、王子が最初から解消するつもりで婚約したことなどは、クローディア王女に知らせる必要はない。
「では……しかし、ステファン様とフィリップの間には……なにも、ないのですよね?」
「えっ? それと……どう繋がります?」
「いえ、もう一つの可能性として……フィリップの本命が貴方で、ヴィルジニー嬢との婚約は、そのカモフラージュでは、と……」
僕は盛大に眉をひそめた。
フィリップ王子の態度、そして、女嫌いの彼がとてもしそうにない貴族令嬢との婚約、その二つを結びつけた結果が、男同士の恋愛、などという憶測に繋がったというわけか。
「改めて否定させていただきますが、
「そう、でしょうか?」
眉をひそめたまま首を傾げた王女に、僕は言った。
「わかりました。そういうことであれば、フィリップ王子には政略結婚などではなく……王子自身が望んで、クロード様に求婚する、そのようにしていただきましょう」
「彼自身が……望んで?」
訝しげに、王女は言った。
「それは……そうなれば、願ってもないことですが……そのようなことが、本当にできますか?」
「おまかせください……と、胸を張って言うことはできませんが」
僕は頷いた。
「勝算はあります。まあ、ダメで元々、試してみましょう」
僕の言い方に、王女は不安そうな上目遣いをしてみせた。
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