109. 新たなる策謀
「……すべて、憶測に過ぎませんよね」
僕がその言葉を口にするまでに、かなりの間を必要とした。
マリアンヌには、王子がヴィルジニーを婚約者にした本当の理由を、知らせてはいない。
にも関わらず、彼女がそのことを結びつけたのは、おそらく今回の解消騒動を知り、彼女なりに王子の意図を推測したのだ。マリアンヌは、決してヴィルジニーのことを悪く言わないが、世間知らずの箱入り娘というわけではない。その婚約には、なにか
「憶測……ええ、そう、ですね。――
そのように言うマリアンヌには、言葉にはできない、それでいて確信に近いような感触があるのだろう。王子とクロードについて、よく知っているが故に。
憶測に過ぎない。すべてはマリアンヌの脳内から出てきた、想像の話だ。
だが状況が、その説明で繋がる、納得がいってしまう、というのも、あるのだ。
なにせ僕の方は、王子の婚約に解消を前提とした意図があったことを知っている。幼い王子が持っていた、女性への嫌悪感、それがクロードとの出来事で、憎悪のようなものへと変わってしまった。その感情をぶつける相手、悪い女性の代表として、悪役令嬢ヴィルジニーを選んだのだ、という想像はできる。
しかし。
クロードは、五番目の攻略対象――セリーズの相手役ではないのか?
本当は女性だった、というのもあるし、僕が知っているゲームの設定とは、変わっている?
攻略対象と攻略対象に、そのような因縁があるというのも――
そこまで考えてから、僕は、王子に奪われた唇のことを思い出す。僕も攻略対象だ、そう言えば。
同性の友人にキスしたり、男の子だと思っていた親友が女の子だと知って失望したり? 本当に無茶苦茶な攻略対象だ。
メインの攻略対象にしては、その想像では、いささか込み入りすぎている、考えすぎだという気もするが、もしも――マリアンヌが言ったようなことが、当たらずとも遠からずで……つまり本当に、かつて王子がクロードに対し、恋愛感情を持っていたのだとしたら……?
先ほどの王子の態度を見れば、二人の間に、なにかはあるのだ。
あれが、以前告白して失恋した、だから、未だ気まずい、という態度なのであれば。
王子はそのことを、完全に吹っ切れていない、ということだ。
王子が、まだクロードのことを忘れられずにいるのなら。
思春期以前だった、かつての王子は、憧れた相手が
でも今は、あのころとは違う。
精神的にも成長した今では、重要なのは性別など属性ではなく、個人だ、とわかっているはずだ。
僕は、王子が同性愛者だとは、信じていない。
ただ、心を許せるのが同性、男性相手だけ――そう思い込んでしまっている、という、それだけのことだと考えていた。
きっかけが幼少期の体験であれば、なおさらだ。
クロードは、実は女性だった、という点を除いて、王子にとって理想的な相手だったはずだ。
それがわかれば、つまり今であれば、王子とクロードが、お互いを理解した上で、再度関係を構築する、そういうこともできるのではないか。
幸いにクロードは、隣国の王族。フィリップ王子とも、身分的に釣り合う。
できるだろうか、二人をくっつけることが。
王子とクロードが結婚するなら、国家間の結びつきは強まる。二人がそれを望むなら、ヴィルジニーとの婚約解消の正当化だって……
――もっともそれは、プレスコット王国と我が国の関係次第、ではあるわけだが。二人の結婚が、二国の利にならなければならない。そのあたりはどうだったかな。なにせプレスコットは、隣国とはいえとても小さい国で、学校の授業でもあまり触れられない。友好国だが、軍事的にさほど重要な地域でもない。
最近のプレスコットの事情については、あとで勉強しておくべきかもしれない。
「それっきり、六年もいらっしゃらなかったことを考えても、あながちかけ離れた想像ではない、と思えるのです」
マリアンヌの言葉には、頷いてみせる。
フィリップ王子との最後の時が、かなり気まずいものになったか。それとも、フィリップ王子に、かなり酷く拒否されてしまったか。
「第一王女、とおっしゃいましたか」
僕が聞くと、マリアンヌは頷いた。
「プレスコット王家、現国王のご長女でいらっしゃいます。ごきょうだいは他に、歳の離れた
では王位継承権は、その二人の弟にあるだろう。もっともクロードなら、国王だって務まりそうな雰囲気があるが。
貫禄は、まるっきり王子様なのだ。
「フィリップ王子とクローディア姫、いかが思われます?」
僕の質問に、マリアンヌは驚いたように目を見開いた。
「それは……クロード様の王女様姿は、ちょっと想像できませんが……いえ、あれほど見目麗しいお方ですから、花嫁姿、きっと大変お美しいと思います」
それから、微かに首を傾げて、マリアンヌは僕を見上げる。
「ステファン様は、フィリップ王子のお相手に、クロード様……クローディア姫を、考えていらっしゃる?」
「たったいま、思いついたことです。しかし、王子には、次の婚約者が必要です。
「フフッ、はっきりおっしゃいますのね」
「褒めているのです。貴女以上の貴族令嬢は、この国にはおりません。貴女が王子のお相手になってくれれば、一番良かった」
「
そう言ったマリアンヌは、彼女らしからぬ、強気な笑みを見せた。
「
「父と僕の関係を思えば、いつまでも伏せておきたい話ではございませんでしょう」
「もちろん、当然のことと思います。宰相閣下には、口止めもいたしておりませぬし」
「僕としては、貴女を敵に回したくはない」
そう言ってやると、マリアンヌは笑みを友好的なものに変えた。
「それは、こちらも同じです」
「フィリップ王子のお立場を思えば、あの方をお支えできる器量のあるお相手が必要です。それに王子も、もはや子供ではない」
「なるほど。今なら、クロード様が女性であるということも、受け入れられると?」
「初恋のお相手ですよ……いえ、我々が勝手に、そう考えているだけですが」
「――そうですね……確かに、そうなれば、とても素敵だと思います」
むしろ、本来女性である、故に、今の僕には都合がいいのだ。
「王子の先ほどの態度、我々が思っているとおりで、ただ頑なになっているだけだというのであれば、よいのですが」
「お二人のお気持ち、確かめる必要、ございますね?」
マリアンヌの目に、少し悪戯っぽいものが光る。
僕が頷くと、マリアンヌは口元に笑みを浮かべた。
「では、クロード様については、
「よろしいので?」
「しばらくご滞在なされるでしょうし、きっと、機会がございましょう」
「では、よろしくお願いします。僕は王子の方に、話を聞いてみます」
頷き合ってから、僕はセリーズの方を見やる。彼女は、こちらを見ないようにしているようだった。
ゲームの主人公――障害になりそうなものは、先に排除しておいたほうがいい。
話が終わったことを目配せで確認して、僕達はセリーズの方へと足を向ける。
僕達が近づいてきたことに気づき、セリーズは振り返った。
「もう、よろしいのですか?」
微笑みと共に頷きを返すと、セリーズは少し不満そうな顔をしてみせた。
「そう怒らないでください。こちらにも色々と事情があるのです」
「わかりますが、仲間外れは、寂しいです」
甘えたようなことを言うセリーズ。色っぽい表情に、まだ僕との好感度を上げる余地があるのか? と反射的に警戒する。
その僕とセリーズのあいだに、マリアンヌが割り込むようにした。
「ステファン様には、お昼をごちそうしてもらいましょう。お詫びとして」
セリーズにそう言ったマリアンヌは、僕を振り返って見上げ、悪戯っぽく片目をつぶった。
どうやら、僕だけが悪者のようだ。
二人の視線に、僕は肩をすくめてみせる。
「構いませんよ。本館の食堂に行けば、僕の財布は痛みませんし」
「えっ、そうなの?」
「ふふっ、宰相の息子の特権ですよ」
そんな、狡い、と言うマリアンヌ、笑うセリーズと共に、本館へと戻る方向へ足を向ける。
「そういえば、セリーズさん」
「はい?」
顔を上げたセリーズに、僕は聞いた。
「クロード様、どう思われました?」
僕はあえて、隣国の王女を男性名で呼んだ。
その名を聞いたセリーズは、ぽっと顔を赤らめた。
「あの……とても素敵な方、ですよね。女性だと聞いても、まだ信じられません」
うーむ、女性だとわかっていてもこの反応。
やはり、セリーズの攻略対象であるという部分は、変わってはいないのか。
「クロード様は、フィリップ王子の初恋の相手かもしれないんですよ」
僕が言うとマリアンヌは、それを言うのか、と驚いた様子を見せたが、セリーズの位置からでは、その顔は見えなかった。
そのセリーズは、目を見開き、素直に驚いて見せた。
「まあ! そうなんですか?」
「クロード様も、久しぶりの再会を喜んでらしたようですしね」
「そう、ですね……」
セリーズは、どこか遠くを見るようにした。
「お二人とも、とてもお美しいですし、お並びになると、確かにお似合いです」
そう言うと、うっとりとした顔をする。
セリーズが想像しているようなものを、僕も頭に浮かべる。
美男と美女、だが、クロードは美男子にしか見えないのだ。その二人が仲睦まじい様子を想像すれば、背景には自然と薔薇の花が浮かぶ。
おかしい。完全に健全なはずなのに。このイケナイ感覚はなんだ。
顔を赤くしていたセリーズが、勢い良く顔を左右に振った。
「どうかされました?」
「なんでもありません!」
真顔を作ったセリーズ。俯き気味に、つぶやいた。
「フィリップ王子と、クロード様……」
どうやら、釘を差すことには成功したようだ。
こういう話をしておけば、セリーズはクロードに対し、自然と一線を引くだろう。二人の好感度が無闇に上がることは、ある程度防げるはず。そういう目論見があった。
時間さえ稼げれば、そのあいだにコトを進めてしまえばよいのだ。
俯き気味だったセリーズは、はっと気付いた様子で顔を上げた。
「ですが、フィリップ王子は、ヴィルジニー様と婚約されているんですよね?」
聞こえなかったふりをする僕。セリーズは余計なことを知る必要はない。フィリップ王子の邪魔さえしてくれなければ、それでいいのだ。
その時の僕は、もちろん、ただの歓迎会だったはずの昼食会が、新たな火種を生んでいることなど、知る由もないわけで。
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