第三章
第10話
104. 王城訪問
「自重する、とおっしゃってませんでした?」
デジール公爵家の広い庭園。そこにいくつかある池のひとつ、そのほとりに建てられた、総大理石の豪奢な
ヴィルジニーは紅茶のカップを片手に、呆れたようにそう口にした。
「自重……しておりますが?」
そう答えたのはもちろん僕。テーブルを挟んだ向かいに座り、お茶とお菓子を頂いていた。
公爵家のパティシエが作るフルーツパウンドは絶品だった。
「どこが?」
僕が、バカンスで赴いた
それが、バカンスから戻るなり堂々とデジール家を訪れて、ヴィルジニーと庭でお茶などしているのである。彼女がそう言いたくなる気持ちも、わかる。
僕はその、完璧に手入れされた立派な庭園を、大きく広げた右手で示した。
「ここなら、たとえ僕とヴィルジニーがイチャイチャしていても、誰も気に留めないというものです」
「気に留めます! というか、なんですかその、イチャイチャ、というのは。品のない響きですこと」
「イチャイチャというのは、こう、男女が仲睦まじく戯れること、といいますか」
「しっ、しませんよそんなこと!」
ヴィルジニーが顔を真っ赤にしたのは、あの秘密の浜辺で、まるっきりそういうことをやった事実を思い出したからかも。
しかし、ここなら人目をはばからなくても良い、というのは、事実なのだ。
なにせ、この家の主、デジール公爵その人は、僕がこの家に出入りすることを、認めている。
その僕を、主人の名代であるその娘、ヴィルジニーがもてなすことは、当然だ。
故に、この場面を目撃する使用人たちは、この状況を問題視したりしない。
また、公爵家の屋敷を任されている使用人たちである。余計なことは、口外したりもしないのだ。
「いえ、だって本当でしたら、あの次の日も海で遊んだりとか、帰ってきてもデートするとか、そういうのができたはずなのに、我慢してるんです。いいじゃないですか、たまにこうやってお茶をする、ぐらいのことは」
ヴィルジニーはムッとしていたが、諦めたようにため息を吐いた。
「父のお客様ですから、礼儀として、もてなしているのです。これは決して、デートだとか、そういうものではございません。勘違いしないように」
「もちろん、承知しております」
「というか、父の不在が確認できれば、もう用はないでしょう。さっさと帰ってください」
「ああ、ご心配せずとも、すぐに帰りますよ。これを頂いたら」
「えっ?」
ヴィルジニーの表情に、ほんの少しだが寂しげなものが浮かんだような気がするが……いや、さすがに気のせい、僕の願望だろう。
「このあとは、用事がありますので。ちょうど途中でしたので、寄らせていただいたわけで」
「そう。こちらにいらっしゃったのは、ついで、だったということですのね」
「ああ、いえいえ、もちろん、ヴィルジニーの顔を見たくて」
「あら? 父にお会いにいらしたのではなくて?」
「……だって、そう言わないと、ヴィルジニーは僕を入れてくれなかったでしょう?」
公爵の不在は、知っていて訪れたのだ。
呆れた顔を作ったヴィルジニーは、僕の上目遣いを見て、ふっと表情を和らげた。
「それで、御用事、というのは?」
「あっ、気になります?」
「いいえ。ただの世間話です」
「そうですよね。ちょっとばかり、王城に」
ヴィルジニーは、その微笑みを訝しげな表情へと変えた。
「王城に?」
僕は頷きを返した。
「フィリップ王子のケツを、少しばかりひっぱたいてやろうと思いましてね」
ヴィルジニーは、僕の品のない言い方に、眉をしかめる。
馬に乗って、公爵家を出る。
この馬はもちろん、僕が自宅、つまりルージュリー伯爵家から乗ってきた馬で、よく訓練されているので、跨って手綱を握っていれば、行きたいところに勝手に乗せて行ってくれるのだ。
馬は無理のないペースで進み、間もなく王城へと到着する。
アレオン王国首都、王都は、広いその全体が城壁で囲まれた、いわゆる城郭都市だ。
最後にこの都市が戦場になったのはもうずいぶん前のことで、都市が拡張された後に築かれた現在の城壁は、実戦で活躍したことは一度もない。
とにかくそういうわけだから、王城の役割は戦術的な砦ではなく、主に国政の中心としてのものであった。
つまりは、お役所。行政機関の合同庁舎という性質が強い。
もちろん、その広大な敷地には、王家やその関係者、そして一部行政機関関係者の住まいまである。そういう点が、
勝手に任せた馬は、王城の巨大な正門を当然のようにくぐった。
馬はそのまま正面玄関に向かおうとするが、よく考えたら僕の立場では関係者入口から入るほうがよかろう、と進行方向を変更するため手綱を引こうとした、その時、正面玄関、入場者をコントロールするために設けられた小さな門の前で、衛兵とやり取りする学園の制服姿の女子を見つけた。
馬の足を止める。
その後ろ姿には、見覚えがあった。
僕は馬をそちらに向け、近づいたところで声を掛けた。
「セリーズ殿?」
制服姿の女子が、こちらを振り返った。
「すっ、ステファン様!?」
「ステファン・ルージュリー様。お知り合いですか?」
衛兵は僕の名を呼んだが、僕の方はその顔に見覚えがなかった。
貴族などをやっていれば、よくあることだ。
馬から降りた僕は、セリーズへと近づいた。
「どうされました?」
未だ、夏休み中である。外出時制服着用、などという
「夏休みの課題の、王城見学のレポートの件、なんですけど」
そういえば、そんなものもあった。
僕の方は、子供の頃から出入りしている王城である。今更見学するようなところでもない。レポートはでっち上げるつもりだった。おそらく、上級貴族の殆どはそうだろう。わざわざ見学しなければならないのは、王城に縁のない下位、もしくは地方の貴族ぐらいのものだ。
「見学、できないっておっしゃられるんです」
セリーズの言葉に、首をひねった僕は、衛兵へと顔を向けた。
「なぜです?」
「平民の方は、一般公開されている正面玄関前エントランスまでしか、お通しできません」
「えっ? そうなんですか? 彼女、王立学園の学生なんですよ?」
衛兵は首をすくめた。
「前例がありませんので」
呆気にとられた僕がセリーズに目をやると、彼女はうつむいた。
「わたし、課題の時になにも言われなかったので……てっきり、制服を着ていれば入れてもらえるだろう、と」
なるほど。
王城は貴族であれば(もちろん限界はあるが)入城できる。
そして、王立学園には、これまで貴族の子弟以外の入学者はいなかった。
教師も、例年通りに課題を出しただけなのだ。
だが、前提となる見学そのものをできない生徒が、史上初めて登場してしまっていたことに、気付かなかったのだ。
「ふふっ……いやあ、危なかったですね」
思わず、笑ってしまう。
これは要するに、平民のセリーズが、貴族の誰かとそれなりに仲良くなっていないといけない、そういうイベントだ。
それにしても、このタイミングで出会うのが僕とは……セリーズの好感度ステータス、いったいどうなっているのか。
怪訝な顔をするセリーズを尻目に、僕は衛兵へと向き直った。
「
「えっ? ええ、それはもちろん……」
「セリーズさん、こっちです」
馬を引いて踵を返した僕を、我に返ったセリーズが慌てて追いかけてくる。
「あっ、あの、どちらに?」
「関係者用の入場口があります。そちらから入りましょう」
「……よろしいのですか?」
「よろしいもなにも、入れないと課題、困るでしょう?
正直、ここで僕が便宜を図ることが、いいことかどうかわからない。だが、セリーズがレポートを提出できないのも、それはそれでマズイ気がする。
僕の方は、接し方を気をつければいいだけなのだ。
「あっ、ありがとうございます。すいません、このようなことで、ステファン様にご迷惑をおかけするとは」
「迷惑でもなんでもありませんよ」
「でもわたし……海ではステファン様に、酷い態度を」
「ああ……大丈夫、気にしてません」
「そっ、そうなのですか?」
「ああいう話を聞けば、あのぐらい警戒して当然ですよ」
それにセリーズの態度は、リリアーヌやベルナデットに比べたら、はっきり言ってどうってことなかった。
「お聞きに……なったんですね」
「ああ、ええ、まあ」
「……弁解、なさらないんですね?」
「なに。取るに足らないことです。あの二人だって、馬鹿な噂にしたりはしないでしょう」
「――お強いんですね、ステファン様は」
セリーズの言い方に、僕は首を傾げてしまう。
「いえ、そういうのとは違います。――そうですね、信じてもらいたい方に信じてもらえていればいい、というところでしょうか」
途中で馬を預け、関係者通用門へ。
なにせ、僕は宰相の息子である。ろくに誰何もされず、セリーズともども中へ入ることが出来た。
「こっ、こんなに簡単に……」
敬礼する衛兵を目の端に捉えながら、セリーズが驚く。
「顔が割れてますんでね」
「ステファン様って、すごいひとだったんですね」
「すごいのは僕じゃなくて父の方ですよ。おエライさんの息子というだけで、信用される世界です。こっちです」
ここで僕が親切に案内などしたら、余計なフラグが立ちかねない。早い段階で誰かに押し付けたほうがいいだろう。僕の方も用事があるし。
僕は寄り道することなく、最初の目的地へまっすぐ向かった。セリーズは周囲を気にしながらも、はぐれてはいけないと考えたのだろう、着いてきた。
たどりついたのは、重厚な木製の両扉。“宰相執務室”の表示があったが、僕はその前を素通りし、隣の、比べると小さいが、十分に立派な扉をノックした。
返事はなかった。構わず開ける。
整然と並ぶ事務机は、まるっきり事務室、オフィスという雰囲気だった。
宰相の事務官や秘書官の仕事場である、事務室だ。
入口に一番近い机にいた職員が、顔を上げた。
「あら、ステファン様、ごきげんよう」
その声に、仕事に没頭していた他の職員も顔を上げる。
簡単に挨拶を交わしてから、僕は最初に声を掛けてくれた女性職員に声を掛けた。
「ジョアンナさん、忙しそうですね」
僕が言うと、彼女は微笑みと共に答えた。
「ええ、とっても」
「そうですか……じゃあ頼めないな」
「ああ、でも、ステファン様のご依頼となれば、仕事は後回しにできますわ」
彼女の表情を見れば、仕事をサボる口実ができるならありがたいのだ、とわかった。
「こちら、セリーズ・サンチュロン殿。
名前を聞いて、宰相の秘書官であるジョアンナには、王立学園の制服を着た彼女が何者なのか、わかったようだった。
「学園の課題で、王城の見学中なのです。ここでの仕事を、説明してはいただけませんか」
ジョアンナはニッコリ微笑んだ。
「お安い御用ですわ」
「あっ、ありがとうございます! よろしくお願いします!」
勢い良く頭を下げたセリーズとジョアンナを見比べ、僕は頷いた。
「では、よろしくお願いします。僕は……」
こちらの部屋からも直接繋がっている、宰相執務室を指し示す。
「はい。あ、でも今は――」
ジョアンナは何事か言いかけたが、結局は最後まで言わず首を横に振ったので、僕は首を傾げながらも、二人を置いて宰相執務室へ向かった。
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