102. 秘めていた本音

 マリアンヌと一度別れて別荘に戻った僕。二日酔いで寝ていたはずの男どももビーチに出たということで、探しに行く。


 女性陣も一緒になって、遊んでいたようだ。彼女たちが僕をあからさまに無視するのをこちらも無視して近づくと、王子が笑顔で話しかけてきた。


「ステファン。ちょうどよかった。助けてくれよ」


 背後で砂浜に倒れている、ほかの三人を、立てた親指で指し示す。


「なんです?」

「昨日、キミが教えてくれた“ビーチ・フラッグス”だがな。リオネルが二日酔いだっていうから、それなら勝てるだろうかと思って挑んだんだが、やっぱりダメだ。もっとみんなで楽しめる遊びを考えてくれ」


 みると、砂浜に仰向けになって荒い息をしているリオネルの手には、昨日即席で作った旗が握られている。その向こうにはシルヴァンが倒れていて、彼も今朝はだいぶ具合が悪そうだったのに、走らされたらしい。


「大丈夫ですか彼ら。死にませんか?」

「大丈夫だろ。三本も全力で走ったから、疲れてるだけだ。ああ、でも、日陰に移動させた方が良いな」


 男たちをなんとか立たせ、真っ白いタープの下へ移動させる。


「みんなで楽しめる遊び、ですか、そうですね……じゃあ、スイカ割りでもやりましょうか」

「スイカ割り?」


 王子は首を傾げた。


「なんだそれは。面白いのか?」

「まあ、どうせ暇だし、やってみましょう。スイカの調達の必要がありますね。ちょっと市場まで行って、買ってきますよ」

「頼めないのか?」

「適切なスイカを選ぶためには、やはり僕が行かないと。一人じゃ寂しいんで、王子も付き合ってくださいよ」

「いいだろう」

「あとは……リオネル」


 僕が声を掛けると、リオネルは起き上がった。


「大丈夫か?」

「はい、まあ……走るのはちょっと、勘弁してほしいですが」

「スイカを買ってくるから、そのあいだに棒を用意しておいて欲しいんだが」

「棒?」

「このぐらいの」


 僕は両手を広げて長さを示す。


「短めの木刀、という感じだ。表面はできれば綺麗にしておいてもらいたい。シルヴァンを使っていい」

「かしこまりました」

「ちょっ……勝手に」

「道案内は、必要でしょうが」


 不満そうな顔をしたシルヴァンに言ってから、僕は王子と連れ立って、ビーチを離れる。



 使用人を使える立場なら、市場になど自分で行くことはない。

 それが貴族というものだが、こと若者、特に男子に関しては、その限りではない。

 この世界の男性には、一人での学園生活といい、自立した行動ができることを求められがちだ。その延長として、買い物をする、ぐらいのことをやっても、おかしいことではないのだ。


 それでも、さすがに王族、王子ともなれば、市場に出かけるなどというのは、珍しいことだ。


 物見遊山気分の王子は、興味を引くものがあればすぐにウロウロしてしまい、おまけに町の人に正体がバレて騒ぎになりかけたりして、買い物は意外と時間を食ってしまった。


 それでもなんとか目的のものを手に入れ、紐で縛ってもらったそれを、二人でそれぞれ、両手にぶら下げ、無事に帰路に付くことが出来た。立派なスイカ、合計四個だ。


「多すぎませんか?」

「リオネル辺りが一発で割ったらたまらん。ボクもスイカを割りたい」


 行き道で“スイカ割り”の説明を受けた王子は、乗り気で荷物持ちを引き受けてくれたというわけだ。


「本当なら人数分欲しいぐらいだ。なぜもっと連れて行かなかった?」


 そう言った王子は、僕の表情を伺うようにしてから、ふっと笑う。


「話したいことでもあるか?」

「まあ、そうですね」


 僕が応じると、王子は口元を歪める。


「ヴィルジニーとのことなら、心配せずとも、咎め立てせぬよ。いつからなのかというのも、問いただすつもりはない」

「気になりますか?」

「友人としてはね。大いに気になる」


 王子は少し意地悪な目をしてみせる。


「だって、ヴィルジニー・デジールだぞ? 彼女と恋仲になろうなどと……とても正気とは思えん」


 仮にも自分の婚約者に、なんという言い草。

 もっとも、王子がヴィルジニーを婚約者にしたのは、その性質が救いようもないほどに悪いからだ、という判断ゆえだが。


「正気ではないかもしれません」


 僕は認めた。

 恋に落ちた状態なのだ。正気だと胸を張って言える自信はない。


「しかし、ヴィルジニーを我が物にする、と考えると――心躍ります」


 僕の発言に、王子は驚いたように目を見開いた。


「なるほど……すごいな。境地、だな」


 僕も苦笑を返す。


 真剣な目になった王子は、少し考える様子を見せてから、頷いた。


「そうか――ヴィルジニーに選ばれる、ということならば、確かにそれは、なかなかなことかもしれないな――ボクの立場では、体験できないことだ」


 王子の言い方は、皮肉には聞こえなかった。


「そういうわけですから、早く婚約解消を成立させてくださいよ」


 二人っきりなのをいいことに、遠慮なく言ってやる。


「そうしたいのは山々だが、な」


「ヴィルジニー嬢の方は、もう進めてますよ。デジール公爵は同意しています」


 それを聞いた王子は、またもや驚いた。


「ずいぶん早いな」

「僕も驚きましたけど」

「それほどまでに……ヴィルジニーの方も、早くおおっぴらにキミと交際したい、というわけか」

「えっ……どうでしょうね、そうだといいんですが」


 僕は、幾度となくデレてくれたヴィルジニーのことを思い出す。

 彼女の態度を見れば、もう僕のことをだいぶ好いてくれているのだ、と思えるが、あまり楽観するのも怖い。

 ヴィルジニーに、はっきりと考えを聞いたわけではないのだ。


 デジール公爵が婚約解消に同意したのだって、その話の流れは、結果的にそうなった、というもので、ヴィルジニーが自身の今後の意向を明確にしたわけではない。


 どちらにせよ、婚約解消が公になれば、少なくとも僕の方は、おおっぴらにヴィルジニーにアプローチできるようになる。だから、彼女の考えみたいなものの確認は、後回しにしてきたし、それでいいと思ってもいたのだ。


 今の段階で気持ちを聞かせろと迫っても、解消されていない婚約を盾にされる可能性がある、そういう状態でしつこくすれば逆効果、天邪鬼的に突っぱねられかねない、というのも、ある。


「ですから、あとは王子だけなんです」


 僕が言うと、王子は苦笑い。


「ずいぶん遠慮がないな」

「全部バレてる以上、遠慮する必要がないもので」

「知らんぷりしてればよかった」


 王子はそこから、黙ったまま十歩ほど進んで、それから口を開いた。


「帰ったら、父上には話すよ。なにより、ボク自身が、この婚約の解消を望んでいるんだ。しかし――」


 王子はうつむき加減になって、続けた。


「どう切り出して良いのかわからん」


 僕は思わず、眉をひそめてみせる。


「正直に言えばいいのでは? 実は最初からしたい結婚ではなかった。お互いに幸せになるため、双方合意の上で婚約を解消したい、先方はすでに了承済みだ、と」


 今度は王子が眉をひそめる。


「自分だったら? 言えるか?」

「言いますが。っていうかそもそも、結婚するつもりがない相手と婚約などしません」


「そうなんだよ」


 王子は頭を抱えようとしたのか、片手を上げかけたが、あいにく両手はスイカで塞がっていた。


「思えば、年頃の御令嬢に対し、とんでもないことをやらかしている。非人道的だ、とすら言える」


 今更かよ、と思ったが。


「それは……仕方ないです。王子もまだ幼かったんです、その時は」

「そういう言い訳はしたいが、こと、父上に対しては、な」


 王子は深いため息を吐いた。


「許してくれそうにない。責任を取ってきちんと結婚しろ、とまで言われるかもしれない」


 当初の予定では、国王ですら婚約解消やむなしと思ってくれるような、ヴィルジニーの凶状を持ってしてことにあたろうとしていたのだ。

 相手方に否がない現状では、当然、王子の立場で婚約解消を正当化出来ないというわけだ。


「自分が悪者になるって、決めたんでしょ?」

「悪者になるのは構わん。しかし、婚約解消を認めてもらえないのは、困る」

「それは……確かにそうですね」

「どう話せばいいか思いつかず、現在に至る、というわけなんだよ」


 言い回しに、ちょっと楽しんでる雰囲気を察し、僕は王子を睨む。


 しかし王子は僕の視線など意にも介さず、笑みを浮かべた。


「ヴィルジニーをステファンに譲るから、って、言っていいかな?」

「えっ? それは……マズイでしょ、僕の立場が」

「どっちが大事なんだよ、立場と、ヴィルジニーと」

「それは……立場を失ったら、ヴィルジニーとだってダメでしょうが」


 可笑しそうに笑う王子。

 まったく、笑い事じゃないのに。


「だからさ、昨日言ったことは、あながち冗談でもないんだ」

「えっ? 昨日って……どれのことです?」

「ステファンに、ヴィルジニーの愛人になってもらうって、アレさ」


 僕が自分の耳を疑っている間に、王子は続ける。


「考えてみれば、悪くない手じゃないか。ボクは婚約解消する必要がない、つまりボク自身の“悪事”を告白する必要がないし、ヴィルジニーは王族の一員になれた上、きちんと恋もできる。キミは望みどおり、ヴィルジニーを手に入れる」


「手に……入れてないじゃないですか」


 僕はなんとかそう言った。


「どう考えたって、社会通念上はやはり、不倫、不貞です。それに……僕は名実ともに、ヴィルジニーを手に入れたい」


 王子は意外そうな顔をした。


「では、本気でヴィルジニーを妻にするつもりだと?」

「そりゃあ……相手は貴族令嬢ですから、そういう覚悟なしに口説くのは、不敬でしょ」

「好きだな、その言葉」

「好きで使ってるわけじゃないです」

「それにしても、ヴィルジニーを妻に、ねぇ……いや、やはり信じられん。彼女をコントロールできるつもりなのか?」


 僕を首をすくめた。


「彼女は、僕と二人っきりのときは、素直で可愛いんですよ」


 王子は苦笑気味に首を振った。


「いや、信じられん」

「そうでしょうね」


 更に少し、歩いたところで、王子はため息を吐いた。


「いらないんだ、婚約者なんて」

「ん?」

「いや――」


 王子は考え、言葉を探すようにしていた。


「結婚なんて、しなくていいんじゃないか、って、そう思う」

「えっ、いや、そういうわけにはいかないでしょ。王子様なんですから」

「なぜだ? 独り身だって、王家の仕事はできる」

「しかし……国王にお妃様がいない、などと――」

「国王? フンッ。ボクがなると決まった話でもないだろう」

「それは――」

「それに、仮になったとしても、妃などいなくてもどうとでもなると思うがね」

「……ですが、跡継ぎは?」

「兄が二人いる。その子に譲れば良い」


 王子は遠く、水平線を眺めるようにした。


「実質的に、不要だよ」


 権力が血筋によって継承される貴族には、婚姻は必須のものという考え方が、常識だ。

 貴族に生まれれば、男子は妻を娶り、女子はやはり貴族に嫁ぐ……それが当たり前だ。


 そういう価値観の中で、未婚、結婚しないことを選択肢に持ってくることができる王子の発想は、異質だ。

 彼がそういう発想ができるのは、自由民主主義的な思考をしているからなのか――それとも、単に女性をパートナーにすることを嫌ってのことなのか。


 僕は、今朝のマリアンヌとの会合を思い出す。


 僕の用件が終わった後、彼女に頼んだこと、王子から、彼の恋愛観について本音を聞き出して欲しいと言ったことについても、確認したのだ。


 マリアンヌは今のところ、有益な情報を引き出せていなかった。

 その方面の話は、上手くはぐらかされたということだった。


「滞在期間はまだあります。もう少しお時間をいただきたく存じます。ただ……王子から聞き出すのは、無理かもしれません」


 マリアンヌは、申し訳無さそうに言った。


「親しげな態度に誤魔化されましたが……王子はわたくしを、はじめから警戒なさっていたのかもしれません。わたくしが来たこと、ステファン様の手筈だということは、察していらっしゃったようですし――」


 政治家としての素養を生まれ持った王子であれば、知られまいと考えていることは、絶対に口にしないだろう。マリアンヌなら心を開かせられるかも、と思っての人選だったが、お膳立てが少々雑すぎたか。


「そういうことならば、もう無理はなさらないでください」


 僕としては、そう言うしかなかったわけで。


 僕には、女性に対し嫌悪感すらある、と語った王子は、他の女性と親しげに過ごすこともできるし、マリアンヌと腕を組んだりしても平然としているのだ。


 口にした言葉が嘘、でまかせなのか、それとも彼の強力な自制心が、そういう内心を完璧に隠して振る舞わせるのか。


 それを聞けるのは、マリアンヌではなく、僕なのかもしれない。


 昼間、外、歩きながらであれば、貞操の心配はしなくていいだろう。

 そう思って、彼を買い物に連れ出したのだ。


「第三王子の妃には、第三王子の妃にしかできない仕事があります――そういうことは、王子であればわかっているでしょう。本音を言ってください。嫌いなんでしょう? 貴族の御令嬢が」


 王子は水平線の方を向いたまま、こちらを見ようとしない。

 僕は続けた。


「女性をパートナーにしたくないんだ」


「そうだよ」


 振り返った王子は、笑っていた。


「貴族の令嬢は、信用できない。あんな――ただ、ボクが王子だからというだけで、擦り寄ってくるような連中は」


 その目は、まったく笑っていなかった。


「婚約して、結婚して、それがゴールなんじゃない。そこからがスタートなんだ。あの御令嬢たちに……本当にそういう覚悟があるのか?」


 王子は頬を歪ませた。


「第三王子をやれというなら、やるさ。そういう星の下に生まれたのだと諦めもついてる。しかし――仕事をするなら、せめてその仲間は選びたい。ボクに必要なのは、キミや、リオネルの方だ。浮かれて着飾った、澄まし顔の御令嬢などではない」


 これは……思っていたより根深いのかもしれない。

 単に、女性に対するトラウマがある、というだけではない。

 彼の目にあるのは、怒りだ。

 それも、おそらくは、楽観的に王子の妃の座を目指す女性たちに向けられたものではない――望まざるして、生まれながら王子であった、自らの運命の方へ、だ。


「シルヴァンは?」

「……えっ?」

「いま、名前が出ませんでしたけど」

「ああ……そうだな。シルヴァン、は……いいか、いても、いなくても」


 すぐに、言うべきことを思いつかなかった僕は、そういう冗談を言って王子を笑わせることしか、できない。

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