101. 女子会での模様
「そういえばぁ、ヴィルジニー様」
その夜、御令嬢方だけが集まった、別荘二階のレクリエーション・ルームで。
ベルナデットが不穏な感じに口を開いたのは、用意した果実酒で皆がいい感じに気持ちよくなった頃のことだった。
「ステファン様とは、順調でいらっしゃいますか?」
そのセリフを聞いた時、マリアンヌは、何をバカなことを、と思った。
ヴィルジニーとステファン、すなわち僕が、学園では
まさか二人の間に、それ以外の感情が発生する余地があるなどとは、考えもしなかったのだ。ヴィルジニーと僕、それぞれの立場を思えば、当然のことだと思う。
しかし、その瞬間のヴィルジニーを見て、マリアンヌは考えを改める。
ベルナデットの言葉を聞いたヴィルジニーは、動揺を見せたのだ。
それは一瞬、それも本当に微かなことではあったが、勘聡いマリアンヌに気付かせるには、十分だった。
ヴィルジニーは言った。
「……なんのことです?」
「誤魔化さらなくてもぉ、よろしいんですよ?」
ベルナデットは意地悪く微笑んだ。
「ずいぶんとぉ、仲睦まじい様子だったじゃないですか」
言われたヴィルジニーは、細めた目をベルナデットへと向けた。
「
ベルナデットは、悪役令嬢に睨みつけられても、まったく怯まなかったそうだ。
「初々しいカップルを見ているようでぇ、こちらがドキドキしてしまいますわ」
ヴィルジニーは鼻で笑ったが、面白くはなさそうだった。
「いったいどこが、そのように見えた、と?」
「まずはぁ、肝試しのぉ、時ですね」
ベルナデットは意地悪く微笑んだ。
「しっかりとぉ、手を握り合ってらしたじゃないですかぁ」
「あれは……そういうルールだったではありませんか」
「ヴィルジニー様はぁ、ルールと言われてぇ、素直に従うようなおひとでしょうか?」
「突っぱねるほど、理不尽なものでもなかったでしょう」
「以前のヴィルジニー様ならぁ、殿方と手をつなぐなど、絶対に御免だ、などとぉ、仰っていたところではないですか?」
ヴィルジニーはため息を吐いた。
「それだけのことでそのように思われるとは、甚だ心外です」
「それだけではぁ、ございません」
ベルナデットは口角を上げて続けた。
「今日の午前中、二人でどちらに行ってらしたんです?」
ヴィルジニーは、すぐには答えない。
「ベット、おやめなさい」
代わりに口を開いたのは、リリアーヌだった。
「ヴィルジニー様は、いやしくもフィリップ王子殿下の婚約者。たとえ冗談であっても、他の殿方と懇意にしている、などということを言うのは、よくありませんわ」
その言い回しを、マリアンヌは、とてもわざとらしい、と感じた。
「でもでもぉ、だからこそぉ、ここでヴィルジニー様にはぁ、はっきりと否定してもらいたいわけじゃないですかぁ」
ベルナデットはヴィルジニーの顔色を伺いながら言った。
「別の男と二人っきりで水着デートをしていた、などという噂が立つようなことがあればぁ、ヴィルジニー様のお立場がぁ、心配です」
黙っていたセリーズがゴクリと喉を鳴らす音が、一瞬、静まり返った室内に響く。
ヴィルジニーは、そのセリーズを見た。
「噂?」
問われたセリーズは、今度は息を呑みこんだ。
「えっ? はっ? いえっ……わたしは、なにも。ただ……」
「ただ?」
ヴィルジニーに睨まれ、セリーズは縮こまった。
「ステファン様とヴィルジニー様がいらっしゃらなかったので、その……誰かが、お二人はご一緒なのではないか、と」
今度は、ヴィルジニーは動揺したりしなかった。
「あることないこと、勝手に想像されるのは、気分が悪いですね」
真顔で一同の顔を見回す。
「憶測を重ねられてしまうようでは困りますので、この際だからはっきり言ってしまいますが」
ヴィルジニーは、疲れたようなため息を挟んだ。
「ステファン殿に、頼まれたのです。少しでいいから二人で過ごしたい、と」
「本当に?」
驚いたマリアンヌは、思わず聞いてしまったそうだ。
「ステファン様が? なぜ?」
食いついたマリアンヌに驚いたようだったが、ヴィルジニーはまたもやため息を挟んで、答えた。
「あの方がおっしゃるには……ステファン殿のことですから、果たして本心なのかわかりませんが――
それを聞いて、驚く様子を見せたのは、マリアンヌだけだったそうだ。
ベルナデットとリリアーヌはともかく、セリーズまでもがわかっていたような反応を示したことが、マリアンヌにはショックだった。
「それで、ヴィルジニー様は……そういうステファン様の頼みを、聞き届けたというのですか?」
マリアンヌの問いに、ヴィルジニーは不承不承ながら頷いた。
「
「だから……水着デートに応じたと?」
マリアンヌの言葉に、ヴィルジニーは顔をしかめた。
「そのようなこと、しておりません。 ……本当に少しだけ、のつもりで行っただけなのです。嵐に邪魔され、考えていたより長引いてしまいましたが」
ヴィルジニーは遠くに目をやった。
「少々、言うことを聞きすぎたかと、反省しています。彼――あの方、最近少し、遠慮がなくなってきていますし」
「というと?」
訊ねたのはリリアーヌ。
「雨宿りにかこつけて、
何の気なしに言った、という様子のヴィルジニーだったが、ベルナデット、リリアーヌ、そしてセリーズは顔を引きつらせ、今度こそ驚いた。
「えぇっ? ステファン様が?」
「ヴィルジニー様の……御身に?」
「ウソ……信じられません」
「あっ、いや、触れたといっても……」
ヴィルジニーは何事か言いよどんだが、その声は立ち上がったリリアーヌにかき消された。
「許せません、あの男……ヴィルジニー様が断れないのをいいことに、汚い真似を――」
「まったくですわ」
座ったままだったが力強く同意したベルナデット。
「ただ想いを寄せているというだけならぁ、かわいげがあったものを……婚約者がいる女性相手にぃ、いくらなんでも調子に乗りすぎです!」
怒りを燃やす二人を尻目に、セリーズは自らの手元に目を落とした。
「そんな、信じられません……ステファン様が、そんな……」
「ヴィルジニー様!」
リリアーヌが、その怒った顔をヴィルジニーに向けた。
戸惑った様子のヴィルジニーが、「はいっ」と返事をする。
「もはや、そのような男、冗談でも相手にしてはいけません!」
「は……はあ」
「ヴィルジニー様はもう少し危機感をお持ちにならなければなりません。
「ふっ、不貞行為!?」
「そのようなことになれば、婚約は破棄されますし、そうなれば……理由が不貞となれば、ヴィルジニー様も、そしてステファン殿も、もはやこの国で生きていくことなど出来ませんよ!?」
「!!」
そこまで言ったリリアーヌは、いくらかトーンダウンしてから、続けた。
「いいですね。もう、ステファン殿と二人で過ごしたり、そばに置くなどという疑惑を持たれかねない行動は、おやめなさい」
「行動が少々、迂闊に過ぎるのではないでしょうか」
侯爵家の別荘、応接間で。
顛末を話してくれたマリアンヌは、呆れ混じりにそう言った。
「ごもっとも……」
ソファに座ったまま俯き、下へ、床に敷かれた絨毯へ真っ直ぐ向いた僕は、そのように返事するしかない。
とてもではないが、顔を上げられる気分ではなかった。
いまの話ではつまり、女性陣にはやはり、僕とヴィルジニーの“密会”はバレバレで、それどころか僕がヴィルジニーに好意を寄せていることまでバラされて、おまけに僕は婚約者がいる女性に不埒なことをした、ということになっているのだ。
僕は今朝の、御令嬢方の冷たい視線を思い出す。
そりゃあ、ああいう目で見られますよ、そりゃ。
むしろマリアンヌが普通に接してくれているのが驚きだ、とすら思ったが。
「
そういうことなのだ。
それにしても、まさかヴィルジニーがそこまで言ってしまうとは。
彼女の立場では、密会の事実自体を誤魔化すべきだったのではないかと思うのだが……いや、それは僕の発想か。ベルナデットに密会を見抜かれた段階で、嘘を重ねて誤魔化すのは危険だ、とでも思ったのだろう。
実際、真実に嘘を織り交ぜる手法で、ヴィルジニーは今回の件、というか一連の疑惑を、すべて僕のせいにすることに成功している。見事な責任転嫁。さすがは悪役令嬢、というべきだろう。
ヴィルジニーが婚約者のいる身で不貞に及んだ、となれば、最悪のケース、すわなち、所謂“追放エンド”さえあり得たわけで、そうなるよりは、遥かに良い。
それにしたって、身体に触れたことまで言わなくていいのに――実際には、触れたどころか長時間抱き締めていた、それもご本人に了承を得て、という状態だったわけで、それが知られたらヴィルジニーの立場はもっと悪く、言い訳のためには王子の秘密である婚約解消の件に言及する必要すら出てきたかもしれない。
状況的におそらく、最善の策だったのだ……僕の立場が悪化することを除けば。
僕は恐る恐る顔を上げた。
「マリアンヌ様は、そのお話、お信じになられたのですか?」
聞くと彼女は、ジロリと僕を見下ろす。
「ヴィルジニー様のお話は、ここ数日のステファン様の態度を見れば、納得ができます」
ああ、僕の馬鹿。
マリアンヌは珍しくため息を吐いた。
「それにしても、ステファン様ほどのお方が、らしくありませんね。いくらバカンスといっても、他の目がある前で、公には婚約状態の令嬢にわかりやすくうつつを抜かす、などと……南の海で開放的になりすぎましたか?」
つい先程「海で気分が浮つく」などと口にしたおのれが恨めしい。
「そんなに……わかりやすかったですか?」
「いえ、
マリアンヌはそこで言葉を切ると、まずいことを言ったか、という顔をした。
「
その顔に問うと、マリアンヌは首を横に振った、が。
「いえ、正直……ステファン様という方が、よくわからなくなってきました」
それから僕を、嘘は許さないぞ、という視線で射抜く。
「では、本当なのですか? ステファン様は、ヴィルジニー様を?」
もうこうなっては仕方あるまい。
「ええ、まあ、はい、そうです」
認めつつも、僕の頷きは曖昧な感じになってしまった。
「はじめから言っていただければよろしかったのに」
マリアンヌが苦笑気味に言い、僕は首をすくめる。
「できれば、王子との婚約解消が公になるまでは、伏せておきたかったのです」
「あんな有様で?
「言わないでください。学園では二人でいることも普通になっていたので、麻痺していたんです。ちょっとばかり距離感が近くても、いつものことだと思われるだろう、と」
「まあ……そうですね。まさかステファン様が、という先入観があれば、まさかヴィルジニー・デジール様に恋をしているとは、思いますまい」
そういう発言を聞けば、僕がわかりやすくデレデレしていたというより、ベルナデットやリリアーヌの指摘があって、態度を理解されてしまった、ということなのだろう。
そう思いたい――
「それにしても、御令嬢方には嫌われてしまったようですね。どうなさるおつもりです?」
マリアンヌの言葉に、僕は首を振る。
「リリアーヌとベルナデットは、放っておきます。あの二人のことですから、ヴィルジニーの立場が悪化するようなことを吹聴することはないでしょうし――それに、今回は彼女たちの言う通り、少なくともバカンスが終わるまでは、大人しくしておくべきでしょう」
「では、ヴィルジニー様は?」
「少し話をするつもりではありますが……そちらの方は、心配していません」
言うと、侯爵令嬢は驚いた顔をした。
「なぜ?」
「まあ、その、自惚れかと思われるかもしれませんが……ヴィルジニーはアレで、僕のこと、結構好きなんですよ」
僕の言葉を聞いて、マリアンヌは目を丸くした。
「ずいぶん自信がお有りなのですね」
「おかしいですか?」
「いえ……」
マリアンヌは、優しげに微笑んだ。
「ヴィルジニー様を見ていれば、おそらくステファン様のおっしゃるとおりなのだ、と感じます」
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