100. 侯爵令嬢の意地悪
「本当の理由、とおっしゃいましても」
動揺は顔に出さなかったつもりだが、昨夜指摘されたようなこともある。僕は自分が思っているほど、表情筋をコントロールできないのかもしれないと疑っていたから、自信はない。
とにかく僕は、平静を装って、言った。
「マリアンヌ様には、包み隠さずお話しいたしました」
マリアンヌは、微笑みをたたえたまま頷いた。
「ステファン様は、嘘は仰ってはいないのでしょう。それはわかります。しかし――」
彼女は僕の顔を、見上げるように覗き込んだ。
「
いったい、何が彼女に、そのように思わせたのか。
きっかけはおそらく、昨夜、女性陣だけで行われた女子会だろう。
そこで、マリアンヌに“察し”させた何かがあった……それはおそらく、間違いない。
問題は、その内容。彼女が一体、何を聞き、そしてどう考えているのか――それがわからない以上、まずはすっとぼけるしかない、と僕は思ったのだが。
マリアンヌの、まっすぐに僕へと向けられる、微笑み。
ダメだ。賢く、勘のいい彼女に、とぼけるなどという手段は通用しそうにない。
僕が欲しい情報を手に入れるためには、彼女が納得する話をしてみせなければならない。
だが、いったいどこまで話していいのか――彼女が何を知っているのか、できればそれを確かめて、被害は最小限に抑えたい――
「なぜ――そのように思われるのです……?」
マリアンヌの微笑みは変わらなかったが――その視線は、凍てつくような温度にまで下がった。
「質問をしているのは、
――美女の微笑みって、どうしてこう迫力があるのだろうか。
ある意味では、怖面オッサンの怒り顔より怖い。
インテリメガネの
などと、ちょっと現実逃避してみた、ものの。
問題はもちろん、彼女の迫力やオーラなどではない。
この件について引くつもりはない、という、彼女の気持ちだ。
どうしても情報を与えたくないなら、突っぱねて逃げればいい。
だがそれをしたら、マリアンヌ・ドゥブレー侯爵令嬢という貴重な協力者を、失う。
天秤にかければ、優先させるべきはどちらか、明らかだ。
「マリアンヌ様をこのバカンスに誘った、本当の理由、ですね?」
反芻したのは、せめて要点を絞りたかったからだ。
侯爵令嬢が頷くのを確かめ、僕は口を開いた。
「確かに、話していないことがあります。王子とマリアンヌ様を引き合わせる、その事自体も、目的のひとつでした。婚約解消が決まった王子がマリアンヌ様と共に過ごされれば、きっとその魅力にお気づきになられるだろう、と」
マリアンヌは、微かに苦笑する雰囲気を見せた。
「ステファン様は、王子に
僕は首を横に振る。
「フィリップ王子のお相手として、マリアンヌ様以上のお方がこの国にいるとは、
マリアンヌは、その長い人差し指を形の良い顎に当てた。
「宰相閣下の……」
「父は立場上、王家の安定を望んでいます」
それを聞いたマリアンヌはクスリと笑ったが。
「しかし、ヴィルジニー様に替えて
と考える様子でつぶやく。
それから何かに気付いた様子で僕の顔を見ると、訳知り顔に微笑んだ。
「そういうことか――」
何を納得したのか。
「しかし、
またもやマリアンヌはクスリと笑ったが、こちらは本当に可笑しそうな笑いだった。
「しかし……周囲がどう思おうと、どう画策しようと……結局は、お二人自身のお気持ち次第――お二人が決めること。ですから
マリアンヌが、先ほどまでとは打って変わって、優しげな目をしていたので、僕は思わず、言いよどんでしまうが。
「その……お二人が自然に好き合ってくだされば、それが一番ではないですか」
マリアンヌは口元を綻ばせた。
「“心から愛してくださる方と、恋をしたい?”」
僕が今回マリアンヌを誘うために侯爵家を訪れたあの時、東屋の下で、マリアンヌは自らが口にした言葉を反芻し、僕は頷く。
「では、そのあとに
またもや頷く僕。
「王子がマリアンヌ様をお選びになられることはない、と仰られました」
「それが、わかっていて?」
マリアンヌの問いに、僕は首を横に振る。
「いえ。確かにそれがあったので、父の目論見は上手く行かないかも、とは思っていました。しかし、
マリアンヌの微笑みは変わらなかったが、その目には愉快そうな色が浮かんでいた。
僕はたまらず、重ねて口を開く。
「それに、このような場所では、気持ちも浮ついてしまうものです……いえ、実際にここで、お二人は大変仲睦まじい様子をみせていらっしゃったではありませんか。本当に、その……お二人に、可能性はないのですか?」
マリアンヌはまたもや笑った。
「ないです」
即答。僕は微かにだが、首を傾げてしまう。
そういえば昨日の王子も、何か言っていた。確か、マリアンヌ嬢はそれを望んでいない、だったか。シルヴァンが問い質していたが、あの話は、いったいどこに着地したのか――酒のせいか思い出せない。
あれほどにも仲睦まじい様子を見せていた、にも関わらず、
マリアンヌは、王子が自分を選ぶことはない、と言い、
王子は、マリアンヌが望んでいない、と言う。
いったい――
「なにが――あるのですか、お二人の間には」
僕の問いを、マリアンヌは面白そうに笑った。
「朝早くいらっしゃって、聞きたいこと、とは、そのようなつまらないことですか?」
つまらなくもないが……確かに、僕が聞くのは興味本位としての意味合いが強い。
それにその言い方だと、要するに、僕には話したくない、ということだろうが。
「いいえ。しかし、また父に無理難題を命じられた時、断る理由を説明できます」
マリアンヌはなるほど、という顔をしたが。
「そういうことであれば、
「えっ?」
マリアンヌが、ウチの父に直接?
二人に接点があるという話は、聞いたことがない。かたや侯爵令嬢、かたや宰相なのだから、どこかで顔を合わせて挨拶をするぐらいのことはしたかもしれないが、せいぜいその程度のはずだ。それなのに直接、話す、などと、いくらなんでも不自然だが……
「ちょうどよかったのです」
彼女はそう言って、この話はこれで終わりだ、という態度。
仕方ない。
僕は思わず吐いてしまいそうになったため息をなんとか飲み込んだ。
「では……本題の方に入らせてもらっても?」
マリアンヌはニッコリと微笑んだ。
「ええ。ステファン様がいらっしゃった理由は、わかっております」
ずいぶん意地悪だな。
マリアンヌの悪戯っぽい笑みに、悔しいながらも、僕は言った。
「おはなし、いただけますか?」
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