99. 令嬢方の豹変
あてがわれた部屋で目を覚ました。
いつ、どのように部屋に戻ったのか、覚えていない。
かなり遅くまで飲んでいた気がするが、結局、話がどのようになったのかも、よく覚えてない。だいぶ悪ふざけをしていたようにも思えるが……
皆、僕のように忘れていてくれればいいのだが。
ベッドの上に起き上がろうとして、手が何かに当たる。
ぐにゃっとした感触――そこで僕は、同じベッドに、誰かが寝ていることにようやく気がついた。
誰だ? まさか……ヴィルジニーではなかろうな!?
いや、それより有り得て、しかもマズイのは、王子やリオネルだったケースだ。まさか最悪の形で貞操を失ったのでは……っ!?
みたいなことを0.2秒で考えて、飛び起きる。
夏の室温のせいだろう、その人物は上掛けを蹴飛ばしていて、正体はすぐにわかった。
すやすやと寝息を立てているのは――シルヴァンだった。
僕は安心と呆れが入り混じったため息を吐いてから、少し考え、それからシルヴァンの肩を揺すった。
「おい……おい!」
「んあ?」
ようやく目を開けたシルヴァンは、眩しそうにこちらを見上げた。
「……朝か?」
起き上がりかけたシルヴァンだったが、ううっ、と呻いて、ベッドに顔を埋める。
「あたまが……いたい」
二日酔いだろうか。
「シルヴァン、どうして僕の部屋で寝てるんだ?」
聞くと、突っ伏した姿勢のまま、シルヴァンはなんとか顔の半分をこちらに向けようとした。
「覚えて……ないのか?」
「ああ」
「昨夜は遅くなって……酔ってたし、もう泊まっていこうってなって……」
シルヴァンの宿は、隣の彼の別荘である。
「……それで?」
「ジャック殿やリオネルとは……仲良くはなったけど、知り合ったばかり……だろ?」
「そうだな」
「……かといって……王子の部屋にお邪魔するわけにも……いかないだろ?」
「……そうだな」
「そうすると消去法的に……ステファンと一緒に寝るしかないじゃないか」
「床で寝ろよ」
僕はベッドから降りた。
酒の影響は……ないとは言えないが、目が覚めた以上、いくら幼馴染とはいえ、男といつまでも同じベッドにいたくなかった。
「水を……水を持ってきてくれ……」
「……ちょっと待ってろ」
部屋を出た僕は、ちょうど鉢合わせたメイドに、部屋にいるシルヴァンに水を持っていってくれるように頼み、そのまま顔を洗いに。
酒のせいだろう、空腹だった。
食堂に行くにせよ、着替える必要がある。
自室に戻ろうとしたところで、リリアーヌと鉢合わせた。
「おはようございます」
僕の方から挨拶した、のだが。
すでにバッチリ身支度を整えていたリリアーヌは、なぜか僕に冷たい――いや、はっきりと軽蔑の浮かんだ視線を向けると、ふいっと顔を背けた。
あっけにとられている僕とすれ違い、黙ったまま去っていく。
なんだろう。リリアーヌは基本的に、僕には厳しい態度だが、海に来てからはそれほどではなかったはずなのだ。いくらなんでも今の対応は不自然だ。僕が部屋着のままだったから、見苦しいものを見せるなと、機嫌を悪くしてしまったのだろうか。
部屋に戻り着替えて、もう少し寝かせて欲しいと言うシルヴァンに急性アルコール中毒の症状がないことを確認してから、食堂へと向かう。
そこで、今度はベルナデットと行き会った。
「あっ」
僕を見て、失礼な感じに声を出すベルナデット。
「……おはようございます」
「アッ……おはようございます」
こちらは挨拶を返してくれたものの、どこかよそよそしい、他人行儀だ。
しかもそれから、顔を合わせないようにしてそそくさと去っていく。
その去り際、ベルナデットが見せた横顔の表情は――
あれは、嘲り?
いったいなんなんだ。
……なにかあったのだろうか。
気を取り直して廊下を進むと、今度はヴィルジニーと遭遇した。
今日も完璧なマイ・フェア・レディ。
朝から彼女の顔を見られて嬉しくなった僕は、二人の伯爵令嬢の態度など一瞬で忘れ去って声を掛けた。
「ヴィルジニー、おはようございます」
「おはよう」
ヴィルジニーは、リリアーヌのように無視することも、ベルナデットのように失礼な態度を取ることもなかったが、短くそう応じただけで、歩く速度を変えることすらなく、僕とすれ違った。
昨日、あんなに仲睦まじい時間を過ごした相手にするとは、思えない態度だ。
「あの……ヴィルジニー、ちょっと待って」
いくらなんでも、と思い、声を掛けると、彼女は立ち止まったが、振り返った顔は一転して不機嫌そうだった。
「なにか?」
語尾上がりに、言う。
とは言われても、具体的に用があるわけではない。
「あっ、えっと……その、なにか、ございました?」
「いいえ?」
ヴィルジニーは低い声で答えた。
「なにもございませんよ。それより……あまり馴れ馴れしく話しかけるのは、お辞めなさい」
「……なに?」
彼女の発した言葉の意味が、一瞬、わからず、呆気にとられた僕に、彼女は冷たく言った。
「
他人行儀でそう言ったヴィルジニーは、ショックを受けた僕が言葉を失っているあいだに、踵を返し去ってしまった。
いったい……なんだというのだ。
いまの冷たい態度、そして言葉――春先ならともかく、今更になって、僕に対し言うようなことか?
そう思いながらも、この感覚自体には、覚えがあった。
いつぞや、ヴィルジニーに避けられた上、変態と罵られたことがあった。リリアーヌの軽蔑の眼や、ベルナデットの嘲笑など、あれと共通点が多い……というか、ほぼ同じだ。
ただ、あの時とは違い、僕はリリアーヌやベルナデットをからかったりしていない。
僕の知らないところで、なにかがあったのだ。
では、そのなにかが起きたのは……僕が思いついたのは、昨夜、僕らが男子会をやっていた、その裏で、女性陣も女子会をすると言っていた、そのことだ。
そこで、起きたのだ、せっかく詰めた距離感が、一夜で台無しになってしまうような、何かが。
何が起こったのか、正確に知る方法はひとつだけ。その場にいた誰かに聞くしかない。
しかし先ほどの様子では、ヴィルジニー、ベルナデット、リリアーヌから聞き出すのは、おそらく無理。
であれば、セリーズ。彼女なら、貴族の御令嬢方と違い、僕が聞けばきっと話してくれるだろう。
僕はメイドに彼女の所在を尋ね、
セリーズは食事を終え、食後のお茶を頂いているところだった。
学園で貴族の振る舞いにだいぶ慣れた様子のセリーズ。ゆったりと紅茶を楽しむ姿は、まるで貴族の御令嬢と変わらぬように見えた。給仕をしてくれるメイドに笑顔で礼を言う姿だけは、違っていたが。
「セリーズさん、お尋ねしたいことが」
そう言いながらテーブルの向かいに腰を下ろすと、セリーズは一瞬、表情を固くしたが、平静を装ってカップをテーブルに戻した。
「おはようございます、ステファン様」
「……おはようございます」
挨拶を返した僕は、セリーズの澄ました様子に、すでにわざとらしいものを感じ取っていた。
しかし……それでも聞くしかない。
「昨夜……なにか、ありましたか?」
「……なにか、とは?」
セリーズは僕の方を直視しようとはせず、そう言った。
その態度が、明らかになにかあったことを示していた。
「他の三人の様子が、その……なにか、おかしいので」
セリーズは相変わらず目を合わせず、首を傾げる素振り。
「考えられるのは、昨夜の女子会だけなんですよ」
僕が言うと、セリーズは首を横に振った。
「わたしの口からは、何も申し上げられません」
そう言ったセリーズは、僕の恨めしそうな目に気付いたのだろう、今度は頭を下げた。
「申し訳ございませんが」
その様子を見ればやはり明らかに、昨夜の女子会で何かがあったのだ。
貴族令嬢の三人と、平民のセリーズの間で、女同士の絆、みたいなものが結べているのだとすれば、喜ぶべきなのかもしれないが。
僕は返事をせず、行儀が悪いことを承知で頬杖を付いた。
「また、あることないこと言って、盛り上がったとか、そういうところでしょ」
そうすると、セリーズは上目遣いに僕を睨みつけた。
「悪いのは、ステファン様の方だと思います」
「…………は?」
僕が聞き返すとセリーズは、しまった、と言わんばかりの表情で顔を背ける。
「ぼく……
だが、セリーズはこちらの方を見ようとしなかった。
「わたしの口からは、申し上げられません」
セリーズが情報源にならない、となると、密室での出来事を知ることは不可能――一度はそう思った僕だったが、件の女子会には、参加者がもうひとりいたことを思い出した。
マリアンヌ・ドゥブレー侯爵令嬢だ。
彼女はそもそも、僕の協力者でもある。ヴィルジニーたち悪役令嬢組と、殊更強い結びつきがあるわけでもない。
彼女なら、きっと話してくれるはずだ。
酔いつぶれてしまった弟と違い、彼女は昨夜のうちに、キチンと自分の別荘に戻ったということだった。
朝食を終えた僕は、さっそくドゥブレー家の別荘に向かった。その日は特に予定はなかったし、女性陣には無視され、男性陣は皆、昨夜の酒が効いているのか、まだ起きてきていなかった。
玄関で出迎えてくれた女性使用人は、知っている人物だった。
「セシルさん? どうしてここに?」
使用人として正しい作法で挨拶をしたセシル嬢は、片目をつぶって言った。
「アルバイトです」
「アルバイト?」
「ああ――臨時雇い、ですね」
「どうしてまた」
「夏休みの学園にいても、仕事がないんです。学園の使用人の半分は、この間は同じように外で働いていますよ。リゾートに行かれる貴族様の臨時使用人をやるのは、よくあることですね」
僕が知らなかったのは、伯爵家ぐらいになると使用人の管理も使用人に任せられるからだ。
「お久しぶりですね。お元気でしたか」
「おかげさまで」
世間話をしながら、案内してもらったのは客間。
リゾートの別荘らしく、大きく窓が開いて、明るい部屋だ。
大して待たされず、マリアンヌは現れた。
いつものように清楚な格好だが、昨日の話の後では、その彼女の身体のラインが美術館の女神像とダブる――
「おはようございます、ステファン様」
彼女だけは、他の御令嬢方と違い、いつものように可憐に微笑んだ。
ホッとする僕。
挨拶を返すと座り心地の良さそうな椅子に腰を下ろし、「さっそくですが」と切り出した。
「朝早くから申し訳ありません。マリアンヌ様に、いくつかお聞きしたいことが」
「王子のことでしょうか? でしたら――」
僕は首を横に振った。
「その件のこともありますが、その前に、その……昨夜のこと、ですが。マリアンヌ様も、“女子会”に参加されたのですよね」
マリアンヌはなぜか返事をせず、意味有りげな笑みを浮かべた。
僕は気にしないようにして続けた。
「なにか、その……変わったことは、ありませんでしたか」
マリアンヌは、わざとらしく口角を上げると、「その前に」と言った。
「そういうおはなしでしたら、その前に、ステファン様にお答え頂きたいことがございます。
言葉を切ったマリアンヌは、僕の反応を伺うようにして、続けた。
「しかし、ステファン様――
「――は?」
マリアンヌが何を言い出したのか、とっさにわからない僕は、そういう間抜けな反応をしてしまう。
だがマリアンヌは、その笑みに冷徹なものすら浮かべて、こう言った。
「貴方様が、
腹の奥の方に、冷たいものが落ちる感触。
いったい――昨夜の女子会……マジでなにがあったの……?
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