98. 不貞の提案

「しかし……マリアンヌ嬢を皆のように褒めるのは難しいな」


 フィリップ王子の発言に、シルヴァンがムッとした顔をする。


「そうでしょうか」


「悪い意味ではないよ」


 苦笑し、宥めるように言った王子は、続けた。


「マリアンヌ嬢は素晴らしい美人だが、なによりとても清楚で、ボクは正直――皆のようなに、彼女を見たことがない」


「そんなバカな」


 すぐに言ったのはジャック。


「王子も、今日はご覧になったでしょう? マリアンヌ様の水着姿を」


 うんうん、と頷くリオネル。


「マリアンヌ様は、やはり完璧でした。自分など、女神が地上に現れたのだと、そういう想像をしてしまったぐらいです」


 またもや苦笑する王子。


「確かに素晴らしく整った身体をなさっておいでだが……しかし、ベルナデットやヴィルジニーほど、胸が大きいわけでもないし」


「マリアンヌ様を見ていると、重要なのはサイズではないのだな、と思い知らされます」


 さっきまでベルナデットの巨乳を推していたはずのリオネル、さっそくの裏切り。


「完璧な形状とバランス……まるで美術品のようではないですか」


 今度はジャックの方が、同意を示すように頷く。


「王立美術館の、美の女神像だろ」

それがしも、それを思い出しました」

「というか、あの像はマリアンヌ様そっくりなんだ」

「マリアンヌ嬢の方が似てるんだろ。あの像は、何百年も前に作られたものだ」

「それにしてもよく似ています。モデルになったのは、ドゥブレー侯爵家の先祖に当たる女性かもしれない」

「侯爵家の歴史を考えたら、十分にありえますね」


「その話は秘密にしておくんだぞ。“女神像”とマリアンヌ様のお身体つきがそっくりだと知られたら、マリアンヌ様の裸体を想像するために、美術館に通う貴族令息が現れかねない」


 冗談めかしてそういった僕は、ジャックとリオネルに向かって首をすくめてみせる。


「王子の話を聞くんだっただろ?」


 今度こそ、と四つの視線が向かった先で、王子は肩をすくめた。


「だからさ、“美の女神像”を見て、いいおっぱいだな、とは思わんだろ」


 僕達は各々、顔を見合わせた。


「それは……」

「思いますね」

「ええ」

「思います」

「普通に」


「あの乳首をあんなところに展示していて、本当にいいのか、と、美術館に行くたびに思いますね」


 入ってすぐ、一番目立つところに置かれているのだ。


 真面目な顔で言った僕を、王子は驚愕と呆れがミックスした顔で見た。


「美術品だぞ?」

「美しいですが、エッチすぎます。アレを作った男は、相当ヤツです」

「伝説の芸術家に、なんてことを」


「わかりました。王子が我々ほど汚れていないと主張なさるのなら、今のところは納得しておきましょう」


 僕の言い方に文句がありそうな王子に気づきながらも、僕は続けた。


「しかし、マリアンヌ様の魅力は、そういうところばかりではないでしょう?」


 王子は考える素振りを見せたが、一瞬のことだった。


「そうだな……確かに、そうだ。彼女は――完璧だよ」


 言葉を区切った王子は、一同の顔を見回してから、続けた。


「とても洗練された――およそ、貴族令嬢に求められる資質をすべて持ち合わせた御仁だ。久しぶりに会ったというのに、彼女はとても自然で……一緒にいると、まるで何年も連れ添ったかのような、そう錯覚すらさせられる。

 よく見えているんだな、きっと。相手が何を必要としているのか、自分がどう振る舞うべきなのか、よくわかっている。控え目で決してでしゃばらない、と思いきや、必要とあれば躊躇なく前に出てくる大胆さも持ち合わせている。

 ああいう女性が伴侶であれば、男は安心して、貴族の妻としての仕事を任せられるだろう」


 べた褒めじゃないか――僕は少しばかり、呆れる。

 もうマリアンヌと結婚すればいいのに。万事丸く収まる。


 それにしても、さすがはマリアンヌ、というべきか。

 彼女は王子を落とそうと思って接しているわけでは、ない、はず。自然にやって、彼女は男にそのように評価させる、そういう資質の持ち主だ。王子ではない普通の男であれば、更にその外見にも惚れてしまうのだ。


 彼女が望めば、どの貴族家にでも嫁ぐことができるだろう。


「王子のお妃様であっても務まります!」


 興奮気味に言ったのはシルヴァン。


 王子は苦笑混じりに答える。


「確かに、人となりは申し分ないな。ボクにはもったいないぐらいの女性だ」


「そのようなことはございません!」


 シルヴァンはまたもや立ち上がった。


「王子はとても素晴らしい……将来、国を背負って立つにふさわしいお方です! そういう王子の伴侶の役割、姉上であれば立派に務め上げられます!」


 王子は苦笑を浮かべたまま。


「確かにマリアンヌ嬢は素晴らしい人材だ。彼女が王族の一員となり、国のために働いてくれることは、国益に適う」

「であれば――」


「しかし、ではヴィルジニーは? どうする?」


 すでに婚約を解消するつもりであるくせに……王子はそのようなことおくびにも見せず、意地悪にもジャックに問う。


 しかしジャックは、迷うようなこともなく言った。


「ヴィルジニー嬢は、ステファンに譲ればよいです」


 わあ嬉しい。

 僕は心中だけで、皮肉交じりにそう思う。


 しかし王子は、笑みを浮かべつつも真剣な表情になった。


「実は……それも少し考えた。理由は違うぞ。先ほど、ステファンがヴィルジニーを大いに褒めたからだ」


 何を言い出すつもりだこのバカ王子!


 フィリップ王子は、悩ましげに続けた。


「ステファンは、ボクにとっては大変重要だ。彼が望むなら、ボクはたとえそれが自らの婚約者であっても、差し出すのはやぶさかではない」


 婚約解消のことを知らなかったら、とても笑えない冗談を、王子は言う。知っていても笑えないが。

 リオネルとジャックすら、顔を引きつらせている。


 そのぐらい、僕を買ってくれている、という本来なら礼でも言うべき場面なのかもしれないが、文脈がひどすぎてとてもそういう雰囲気にはならない。


「では、現行の婚約は破棄し、姉上と婚約を!」


 嬉々として言うシルヴァンに、王子は首を横に振る。


「いや……ヴィルジニーとの婚約を解消する、となると、いらぬ波風が立つだろう。デジール公爵を敵に回すのは恐ろしい」


 あっ、そうか。王子は、デジール公爵が婚約解消を受け入れるつもりであることを、まだ知らないのだ。


 王子は笑った。悪い笑みだ。


「なにも、ヴィルジニーをステファンに譲るのに、婚約を解消する必要などない。ヴィルジニーには予定通りボクと結婚してもらって、ステファンにはその、愛人になってもらえばいい。ヴィルジニーも、好き合っている相手がいるなら、その方がいいだろう。希望通り王家の一員となりつつ、愛する者と結ばれる。万事、丸く収まる。ボクだって、ステファンが相手なら安心だ」


 妙案だろう、とばかりに、王子は両手を広げた。


「やっ、やめてください、そのようなご冗談を」


 呆気にとられた室内で、僕はなんとかそう言った。


「王子はそれでいいかもしれませんが、僕はマズイですよ。そんなの発覚したら、ですよ」


 手刀を作り、自分の首を撥ねる仕草をしてみせる。

 苦笑する王子。


「ボクはステファンを処刑したりしないよ」

「父がやります。国民も許してはくださりますまい」

「そうか……いいアイデアだと思ったんだが」


 顔色は変わっていないようだが、実際にはだいぶ酔っているのだろう。

 これでは、王子が何を言い出すかわからない。まったく冷や冷やモノだ。


「そもそもヴィルジニー嬢が僕のことをどう思っているか、などというのは、わからないではないですか。あの方が僕に気を許しているように見えたというのも、単にこの何ヶ月かそばにいて、僕のことを――執事かなにかだと思っているとか、そういうところでしょう」


 僕は大げさに肩をすくめてみせた。


「フィリップ王子を婚約者にしておきながら、他の男に目移りするような、そんな御令嬢がこの世にいるはずありますまい」


 他の三人には、僕の言葉は字義通りに伝わってくれただろうが、婚約解消がわかっている王子には、違う伝わり方をしてくれることを意図していた。


 ヴィルジニーと僕のことは、二人の婚約解消が決まった、そのあとにはじまったことだと、王子にアピールしたかったのだ。


 王子の表情からは……意図したように受け取ってもらえたかは、わからない。


「いえ、お気持ちはありがたいです。ただ、譲ってくださるなら、きちんと精算してからにしてください」


 王子が、僕がヴィルジニーに抱いている気持ちに気付いているなら、早く婚約解消の話を進めろ、と聞こえただろう。


 王子はニヤリ、と笑った。


「そうだな。ステファンのためにも、真剣に考えてみるか」


 えっ? ――あっ、ちょっと!

 王子はもしや、僕に譲るために婚約を解消する、というストーリーにしようというのか?


 それは……困る! それでは悪役が僕になる!


「では、その暁には、是非とも姉上との婚約を!」


 やはり興奮気味に言うステファンに、王子はまたもや苦笑いを浮かべた。


「そうは言ってもな」


 そして、グラスを傾けながら、何の気なしに、というふうに、続けた。


「マリアンヌ嬢は、それを望まれていないからな」


「――えっ?」


 シルヴァンは、顔を引きつらせた。


「どういうことです?」

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