96. 四面楚歌

「なにを……馬鹿なことを」


 苦笑を浮かべつつ首を振ってみせたのは、とっさのことで、上手く笑えている自信がなかったからだ。


「確かに」


 グラスの中の琥珀色の液体を回しながら、ジャックが言った。


「昨日の肝試し、正直、驚いた。ヴィルジニー殿はずいぶん、ステファン殿に気を許している様子だったし」


「ああ、そういえばそうだったな」


 思い出したように同意したのは、フィリップ王子。


「確かに見た。しっかり抱き合ってた」


「あっ、あれは……驚かされて、反射的にそうしたというだけでしょ。たまたま、そばにいたのが僕だったというだけで――そもそも、驚かしたのは王子じゃないですか」


「そうだったか?」


 わかっているくせに、わざとらしく笑う王子。


「いや、でもそれだけでもないんだな。その前、肝試しの最中にも、ヴィルジニー殿はこれみよがしに、ステファン殿と腕を組んでいたし」

「本当に?」


 訝しげに問うたリオネルに、頷きを返すジャック。


「まるで恋人同士のように、ね」


 再び視線を浴びた僕は、慌ててはいけない、とひと呼吸置くと、嘆かわしげに見えるように首を横に振る。


「あれは、当て付けでしょう。ジャック殿があんなことを言うから」

「あんなことって?」

「王子とマリアンヌ様が――」

「オーケー、わかった。それはいいとしよう」


 ジャックは僕の言葉を遮って、言った。


「しかし、今日のことは、どうかな?」


 ジャックの試すような視線に、僕は聞き返す。


「今日って?」


「トボけるなよ。午前中、二人で姿を消していたじゃないか」


 ドキッとした僕だが、なんとか表情には出さず、代わりに訝しげな顔を作る。

 確かに彼が言う午前中、僕とヴィルジニーは二人でいた。だが別荘を出たのは別々だった。あの秘密の浜辺にいるところを見られたはずもない。カマをかけているのだ、と思った。


わたくしはひとりで散歩に出てましたが?」

「黙ってこそこそと出ていったのは知ってる。そのあとにヴィルジニー殿もね。どこかで合流したのだろう」

「憶測ですよ。同じ時間にいなかったのは、ただの偶然です」


「そういえば、帰りは二人一緒だったな」


 王子はわざとらしく、いま思い出した、という風に言う。


「それも、嵐の後に。一緒に雨に打たれでもしたんじゃないか」


 状況証拠でしかない。言い訳はいくらでもできる。しかし……僕はこちらに向く視線のうち、リオネルとシルヴァンの目を見て、気づく。


 二人が今日、一緒にいたというベルナデットとリリアーヌ……もうずいぶんと前のことになるが、二人の意地悪令嬢は、僕がヴィルジニーに好意を向けていることに、気付いているというようなことを言っていた。


 女性陣に鼻の下を伸ばしていた男たちに、僕とヴィルジニーが時間差で出ていったことに気づく余裕が、本当にあっただろうか。もしかしたら、ヴィルジニーの不在に気付いたベルナデットとリリアーヌが、またそのことを思い出したのかもしれない。


 そして、リオネルやシルヴァン、そしてジャックに話した。


 僕がヴィルジニーに好意を向けている疑惑があることも含めて。


 彼らが頭から、僕とヴィルジニーの仲を決めつけているのであれば、何を言い募っても無駄のように思えた。逆に言い訳がましい、というか、誤魔化そうとしていると思われるだけだろう。


 さて、どう取り繕うのが最善か。


 僕が思考のため沈黙した隙に、シルヴァンが面白そうに言った。


「二人は水着でしたよ?」

「水着で二人っきりとは、なかなかやるじゃないか」


 ニヤニヤしながら応じるジャック。


「ステファン殿も案外、隅に置けないものですな」


「お二方ふたかた


 わざとらしいセリフを吐いたシルヴァンを、僕は睨みつけた。


「いい加減にされよ。よもや、お忘れではないでしょう? ヴィルジニー様は、フィリップ王子の婚約者でいらっしゃいます」


 沈黙した二人の視線が、同じ方向、すなわちフィリップ王子の方向を向く。僕も一緒になって王子の表情を確認した。

 先ほどまでと変わらぬ笑みを浮かべていて、その考えは読み取れない。


 僕はこれみよがしに溜息を吐いて、視線をこちらへと誘導した。


「そのような、誤解を招くような行動をしたつもりはないのですが……一緒に帰ったのは、嵐の雨宿りで偶然一緒になったというだけですし、昨日の肝試しは、そもそも余りもの同士でペアになっただけ。すべて偶然です」


 そう言って、大げさに肩をすくめて見せる。


「まあ、しかし、そのようなこと、どなたが言い出したのかは、見当が付きますがね」


 僕はわざとらしく、リオネル、そしてシルヴァンを見た。


「ベルナデット嬢かリリアーヌ嬢が言い出したのでしょう。あのお二人は、以前にも僕とヴィルジニー嬢に関して、勘ぐるようなことをおっしゃってましたし」


「以前にも?」


 ジャックの問いに、僕は頷きを返す。


「一学期は色々と、ヴィルジニー嬢と一緒に行動する機会があったのは事実。それについては、皆、承知のことかと思いますが」


 一同の顔を見回す、王子も、シルヴァンも、そしてリオネルも、それぞれ理解している内容に差異あれど、僕がヴィルジニーのそばにいる“正当な理由”を、知っていた。


「それを、あの二人は何を勘違いしたのか、僕がヴィルジニー嬢に恋心を抱いている、などと」


 溜息を吐いて、ウンザリしたように首を振ってみせる。


「まったく、御令嬢方は、なんでも色恋に結びつけたがる。困ったものですが……おおかた、わたくしとヴィルジニー嬢が一緒にいるところを見て、そのことを思い出したとか、そういうところでしょう。言うまでもありませんが、すでに皆様ご存知のように、わたくしがヴィルジニー嬢と行動を共にすることがあるのは、彼女に請われてのことです。王子殿下の婚約者のご依頼であれば、もちろん、無下には出来ませんので」


「では、二人でこっそり会っていた、などということはない、二人で一緒に戻ったのは偶然だ、と?」


 ジャックの確認に、僕は鹿爪らしく頷いた。


「先ほどからそう申し上げております。そもそも、いやしくも公爵令嬢であられるヴィルジニー様が、フィリップ王子という婚約者がありながら、他の男とやましいことなど、なされるわけがありません」


「ステファン殿の方も、ヴィルジニー嬢に対し、特別な感情はない、と?」


 僕は今度は、控え目に肩をすくめた。


「婚約者のいる女性です。そのようなことを考えるのは、先方に対し不敬かと」


 言った僕は、その時、フィリップ王子がこちらを伺うようにしていることに気付いた。


 訳知り顔の笑みを浮かべた彼は、僕の視線に気づくと、頬をニヤッと歪めた。


「そういうことか――」


「……なんです?」


 つぶやきを聞きつけたシルヴァンが問うが、王子は首を横に振った。


「いや――そういえば、ヴィルジニーと腕を組んだことなどないな、と思いついただけだ」


 息を呑む僕、そして三人に、王子は苦笑いしてみせる。


「いや、いいんだ。別に羨ましいとか思ってるわけじゃない」


 そして僕の方を見て、続けた。


「そういうタテマエを聞いているんじゃないんだよ、ステファン。実際にヴィルジニーと二人で過ごして、どうだったか、ってことを聞きたいんだ」


 僕は控え目にだが肩をすくめる。


「どうって?」

「とぼけるんじゃない」


 王子は面白そうに言った。


「言っちゃなんだが……キミは隠していたつもりなのかもしれないが、肝試しのとき、ヴィルジニーと一緒だったキミは、なんというか……」


 王子は言葉を選ぶように視線を彷徨わせ、それから言った。


「だいぶ、デレデレしていた」


 そんなバカな!

 僕は完全に表情をコントロールしていたはずだ!

 そりゃあ、ヴィルジニーと二人になれて、堂々と手まで繋げたのだ。嬉しかったのは間違いない。

 だけど、まさか、そんな……デレデレしていた、とまで言われるほど、顔に出ていたというのか!?


 僕は思わず、その場にいる四人の表情を伺ってしまう。

 フィリップ王子は、言わずもがな。

 シルヴァン、ジャックも王子に同意する様子だし、リオネルに至っては……顔を背けこちらを見ようともしない。


 ……マジなのか? 僕は……それほどまでに態度に出していたと? 隠せていると思っていたのは僕だけ!?


 迂闊だった……海に来て、どうやら僕自身、気が大きくなっていた。大胆に行動しすぎた。もう少し慎重に、ことを運ぶべきだった――


「心配せずとも、だからといって咎め立てしたりせぬよ」


 フィリップ王子は、気安い様子で言う。


「無礼講だ、と言ったし、男が女性を魅力的だと思う時、その相手に婚約者がいるとかいないとか、そういうのは関係がないだろう。

 それに、ステファンが、婚約者のいる女性を本気で口説こうとする男でないことは、わかっているしな」


 王子の、どこか皮肉めいた笑顔を見て、僕はようやく、彼の「そういうことか」の意味に気づく。


 僕は、ヴィルジニーは婚約者がいる女性だ、と口では言ったが、すでにその婚約者がいなくなると決まっていることを、僕が知っていると、王子は知っている。


 僕がはっきりと「ヴィルジニーに特別な感情はない」とは言わず……いや、、「それを考えるのは不敬だ」などと、曖昧な言い方をしてしまった理由に、王子は気付いたのだ。


 惚れている相手のことを、嘘でも「特別な感情はない」と言えなかった、僕の気持ちに。


 王子の発言のおかげで、これからこの場で僕がヴィルジニーとのことで発する言葉は、酒の席での冗談の類だと言える雰囲気が、出来上がった。


 だから王子は、ここで他の三人に遠慮することなく、僕に本音を言えと、言っているのだ。


 たとえ本音を言っても、それが本音だとわかるのは、王子と僕だけ、だから。


 これは敗北確定負け確イベントなのだろうか――僕はグラスの中の液体に目を落とす。どう答えるのが正しいのかわからないのは、酒のせいばかりではないだろう。


 嘘を言うのは……良くないように思える。最終的に、ヴィルジニーを我が物にしたいのだ。そうなったとき王子に、嘘を言ったとバレるのは、よくない。印象は明らかに悪化するだろう。王子の元婚約者をいただくのであれば、その関係は王子に認められ、祝福されなければならない。そうでなければ、世間に否定的に受け止められかねない。王子から相手を奪った、などとでも噂が立つようなことは、絶対に避けなければならないのだ。


 では、本当のことを言う? こちらは無難のように思えるが……僕がヴィルジニーに好意を抱いていると知った王子が、何を考え、どう行動するかは、まったく見当がつかない。これまでの彼の言動を見れば、ヴィルジニーに執着するようなことはないとも思えるが……


 王子に知られるのは、もっと後の予定だったのだ。彼らの婚約が公に解消され、何の障害もなくなり、それこそ、王子や王家の関することではない、という状況になってから。


 この段階で知られることは、良いことなのだろうか?


 正解は、わからない。

 であれば、予期される結果の内、比較的、マシな方を選ぶしかない。


 僕はグラスに残っていた中身を、一気に煽った。


 王子はすぐに、僕のグラスに酒を注ぐ。


 グラスの中でゆったりと揺れる液体を眺めた僕は、意を決して、口を開いた。

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