94. はっきりした課題
ヴィルジニーとフィリップ王子が婚約の解消に同意したという事実に、安心していた、というのはある。
もはや、僕がヴィルジニーを口説く障害はない、と思っていたのだ。
フィリップ王子との結婚を諦めたヴィルジニーは、好意を向ける僕を無視できないどころか、かなり意識してしまっている。僕はそこに付け込んだ形だが、夏休み中の幾度かのご自宅訪問を経て、関係性はかなり進んでいた、と自分では評価していた。
事実、口ではなんだかんだ言いながらも、彼女は僕と手を繋ぐとか、腕を組むなどといったスキンシップを嫌がることはなかったし、かなりハードルが高いであろう水着デートにさえも応じてくれたのだ。これはかなりの進展と言って良いだろう。その後に起きたトラブルに置ける過剰な身体接触は、緊急事態だったゆえ、とりあえず数に入れないにしても。
そう、問題は、そこ――トラブル回避のために逃げ込んだ洞穴で、彼女が示した態度だ。
発言とは裏腹に、僕にかなり気を許しているヴィルジニーだが、その一方で、現状では彼女は、僕に対して特別な感情があることを決して認めようとしないことがはっきりした。
ヴィルジニーとフィリップ王子の婚約が、公式にはまだ解消されていないからだ。
高慢、自己中心的で自信過剰、サディストの気すらある典型的な悪役令嬢、ヴィルジニー・デジールだが、同時に彼女は、まごうことない貴族令嬢だ。その貞操観念は、
たとえ名目としてのものであったとしても、婚約者がいるという事実を尊重し、その婚約者に操を立てる、そう振る舞うべきと考えるのが、貴族令嬢だ。
それこそが貴族令嬢であると、彼女たちは刷り込まれているのだ。
その婚約が公式に解消されない以上、ほかの男(つまり僕)への恋愛感情がたとえ芽生えていたとしても、本人は決して、それを認めたりしないのだ。
だから現状では、これ以上の進展は望めない。
この状況を打開する方法は、唯一つ。
王子との婚約解消を、速やかに成立させることだ。
婚約解消のハードルのひとつ、ヴィルジニー側すなわちデジール家の意向は、すでに把握してある。
展開として本当に良いのか、僕の制御下にあるのかはまったく定かではないが、とにかく彼女の父、デジール公爵は、婚約解消に同意してくれている。
問題は、王子側の方だ。
ヴィルジニーと婚約解消について同意した、という話を王子から聞いて以降、この件について、彼と話をしてないのだ。
一番の理由は、僕がその進捗を気にするのはおかしいから。
王子は、僕がヴィルジニーに恋していて、早急に婚約解消して欲しいことを、知らない。
そんな僕が「婚約解消の進捗どうですか」と聞くのは、どう考えてもおかしいだろう。
ことは重大事だ。色々と手順もあるだろう。しかしなにより、王子自身が早期の婚約解消を望んでいたのでこのようになったのだ。さほど待たされることはないだろう、と楽観していた。
しかし、今日ここまで、王宮方面から噂が漏れ伝わってくることすらない。
もちろん、王子から報告もない。当然、王子には、僕に報告する義務も義理もないが、唯一そのことを知っている友人である僕には、進展があればきっと話してくれるだろう。
それすらもない、ということは。
もしかしたら王子は、まだこのことを、父親である国王に伝えてさえいないかもしれない。
早急に確認する必要がある。
ヴィルジニーがここまで心を許してくれているのだ。できればこのバカンスの間に――流石にそれは無理か。いやしかし、この夏の間にでも、もう少し進展が欲しい。
そろそろ、キスぐらい許してほしいではないか。
キスか――僕は彼女の唇、ではなく、なぜか、あの洞穴で目の当たりにした、彼女の白い首筋を思い出す。
自然に、あの美しい肌にキスして許される、そのぐらいの関係に、早くなりたい。
婚約解消さえ公になれば、その程度はきっと、許してくれる。
そのぐらいには親密になったという、自信はあるのだ。
そのためにも、なんとかこのバカンスの間に、王子に進展を確認する。場合によっては、その尻を叩くということぐらいはしたい。
彼と、自然にそういう話ができる場があればいいのだが……
「提案があるのですが」
そう言ったリオネルは、気のせいか、どこか思い詰めた様子に見えた。
午前中の雨が嘘のように、好天に恵まれた午後を過ごした、夕方。皆が別荘に戻ってきたというタイミング。
遊び疲れた様子で、デッキに出したソファに寝そべるように横たわっていた王子が、目を閉じたまま応じる。
「提案って?」
王子はリラックスを通り越して、完全に脱力しきった様子だった。フィリップ王子が人前でこれほどくつろいだ様子を見せることは滅多にない。どうやらこのバカンスは、彼にとっていい息抜きになっているようだった。
頷いたリオネルは、僕、そしてジャックの顔を見比べて、それから言った。
「今夜――夕食の後なのですが、どうでしょう、男性陣だけで過ごしてみる、というのは」
なんだそれ、むさ苦しい。誰が好き好んで――と顔をしかめたのは、なんと僕だけ。
「夕食の後、というと、あれか、大人たちがやるヤツ」
ジャックの言葉にリオネルがうなずき、僕はそのやりとりで二人が同意した内容を察する。
貴族には、来客を迎えての夕食の後は、男性陣だけ残り、酒を飲む、という習慣がある。
リオネルは、あれをやろうというのだろう。
王子は機嫌よく笑う。
「なるほど。大人の真似事をやるというわけだな。面白そうだ」
貴族であるから、これまでそういう機会がなかったわけではないが、常に自分たちの保護者など、大人がいての席だった。学園敷地内での飲酒は禁じられていたし、同世代の男だけで気兼ねなく酒を飲む、という機会は、確かにこれまでなかったのだ。
起き上がった王子は、笑顔で言った。
「令嬢方がいては、憚れる話もあるしな。ボクは構わないぞ。ステファン?」
正直、気は進まない。どうせならヴィルジニーと過ごした方が良いし、隙があるなら王子と二人で話したいとも思っていたところ。
とはいえ、ジャックも乗り気の表情だし、僕の立場では、和を乱すようなことは言えず。
「王子さえよろしければ」
「それって、
と言ったのは、特に今夜については何の約束もしていなかったシルヴァン。朝早くからこっちに来て、ずっと一緒に遊んでいたようだが。
「今更遠慮するなよ。いいだろ?」
王子が僕に聞き、うなずきを返す。
「もちろんです」
この状況で仲間はずれにもできまい。
「よし、決まりだ」
「そうであればぁ、
話を聞いていたベルナデット。
笑顔でそう言うと、ヴィルジニーの方を伺った。
「
ヴィルジニーはピンと来ていない様子の顔をしたが、
「構いませんよ。他にやることがあるわけでもありませんし」
「ガールズトークですね」
嬉しそうに言うセリーズに、リリアーヌが眉根にシワを寄せる。
「せめて、レディーストークと言ってくださらないかしら」
前世の記憶がある僕としては奇妙だが、貴族令嬢である彼女たちには、自分たちは
「それは、
マリアンヌが訊ね、ベルナデットが微笑みを返す。
「もちろんですわぁ。マリアンヌ様にもぉ、聞きたいお話しがございますの! 是非ぃ、参加して下さい!」
「えっ? それは……何を聞かれるのか、少し、恐ろしいですわね」
はしゃぐ様子のベルナデットと、苦笑いするマリアンヌ。
そのベルナデットとリオネルが、一瞬、目配せしあったように見えた。
だがその時の僕は、ヴィルジニー、そして王子のことばかりを考えていて、それを気に留めたりはしなかったのだ。
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